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竹馬の友
しおりを挟むその頃、
桔梗屋はそわそわと浮かれ立っていた。
先ほどサギも帰ってきたので、そろそろ盆を開こうというのだ。
広間には盆と呼ばれる畳ほどの大きさの白布が敷かれて、ツボ振りのお竜姐さんを真ん中に白布の縦に沿って玄武一家の男衆がズラリと肩を並べて座っている。
「――」
みな一様に目付きが鋭く、博徒らしく無表情である。
その広間へと向かって手代の金太郎と銅三郎がいそいそと長い廊下を進んでいた。
「――おや?金太郎さん、銀次郎さんは?」
「ああ、銀次郎なら最後の火の用心の夜廻りは自分一人でも廻ってくると言って出掛けてしまったよ。わたし等だって噂に聞くほどの評判のお竜姐さんを見たくもないとは、まったく話せん奴だ」
「へええ、あんな美女を間近に拝めることなんぞ滅多にないというのに。きっと銀次郎さんみたいのがおったんちんと言われるんでしょうね」
その時、
「これっ、銅三郎、お前は軽口が過ぎるぞ。おったんちんだのと小僧が意味も分からず面白がって真似するだろうがっ」
しわぶき声に振り向くと熟練の菓子職人四人が怖い顔で睨んでいた。
「へいっ、以後、口を慎みますっ」
お調子者の銅三郎は口ばかりで反省の色もなくペコッと頭を下げる。
「親方、とっくにお宅へお帰りになってたんぢゃあ?」
金太郎が訊ねる。
熟練の菓子職人四人はカスティラが焼き上がると仕事が終わるので昼七つ(午後四時頃)には帰宅するのだ。
「ああ、ついさっき甘太が報せに来てくれたんで戻ってきたんだ」
「女賭博師のツボ振りを見られると聞いたもんでな」
「しかも、すこぶる付きの美女だと聞いたでな」
「楽しみだのう」
熟練の菓子職人はみな桔梗屋の目と鼻の先に所帯を持っている。
わざわざ報せに行くとは見習いの甘太もなかなか爺さん連中の扱いを心得ているようだ。
その頃、サギは桔梗屋の裏長屋の一軒一軒に土産の餡ころ餅を配って、最後にお桐母子の新居となる一軒へ来ていた。
戸口には真新しく『仕立物 お桐』と表札も掛かっている。
「お桐さん、近うなって良かったのう」
「ホントにみなさんのご親切のおかげで」
お桐はせっせと千代紙を貼って破れた襖を修繕していた。
破れたまま放っておけない性分なのだ。
娘のお栗も千代紙に糊を塗って甲斐甲斐しく手伝っている。
「ん?杉作はどこにおるんぢゃ?」
「お隣へ泊りに行っております。今夜は鋸一や槌吉や釘太とみんなで一緒に寝ようと誘われて」
鋸一、槌吉、釘太の三人は兄弟ではなく、それぞれの父親が大工の倅である。
「ほほう。杉作はあの三人とは同い年なんぢゃな」
壁板一枚を隔てた隣から笑い声が聞こえてくる。
「うっまぁい」
「頬っぺたが落ちるぅ」
「落っこちたぁっ」
「うはははっ」
寝しなに思いがけず届いた羽衣屋の餡ころ餅に大はしゃぎなのだ。
「賑やかぢゃのう」
サギは杉作の屈託ない笑い声など初めて耳にした。
「ようやく杉作も幼馴染みと同じ手習い所にまた通い始めて、三年前の朗らかな杉作に戻ったようで」
お桐は満足げな笑みを浮かべる。
ずっと杉作は手習い所に通えない焦りで気が立っていて、田舎の農家の暮らしにも馴染めなかったが、三年ぶりに生まれ育った日本橋へ戻ってきて鬱屈から解き放たれたのだろう。
「弟の樺平も今月いっぱいで足の怪我の治療を終えて、おまけに玄武の博徒の娘さんと夫婦になるんだそうで」
お桐は桔梗屋へ戻るなり玄武一家が客として来ていて、女賭博師が奥様のお葉と親しげなことにすっかり安心していた。
「そりゃあ良かったのう。めでたし、めでたしぢゃなっ」
来月からは弟の樺平の千住での治療と宿屋の費用が掛からなくなるのだから、お桐の仕立物の稼ぎだけで暮らしに不自由はしないはずだ。
サギはもうこれでお桐母子の心配事はすべて解決したのだろうと思った。
「ああ、腹いっぱい」
「そいぢゃ、腹ごなしだっ」
「竹馬やろうっ」
「駆け比べだっ」
隣の戸がガラッと開いて、童四人がバタバタと表へ飛び出してきた。
夜四つ(午後十時頃)も近いというのに江戸の童は宵っ張りなのか。
みな、元気いっぱいそれぞれの竹馬に跨って駆け廻っている。
ちなみに昔は竹馬といえば竹一本の前に手綱になる縄が結んであって、後ろに馬の尻尾に見立てた竹の葉っぱが垂れていて、跨って馬乗りごっこをするのが竹馬である。
「おっ、何ぢゃアレ?わしもやるっ」
サギは本物の馬は乗りこなしても竹馬遊びなんぞやったことがないので、興味津々、すぐに表へ飛び出した。
余っている竹馬を借りて跨ってピョンピョンと跳ね廻る。
おや、月明かりの下、その影法師を見やれば、さながら箒に跨って飛ぶウイッチ(魔女)のようではないか。
しばし、駆け比べの先頭を切ってピョンピョンと飛び跳ねていたが、
「おおい、サギぃ?何してる。早く来い。盆が始まるぞっ」
甘太が大声で呼んでいる。
「あっ、そうぢゃった。盆ぢゃ、盆ぢゃっ」
サギは竹馬に跨ったまま竹垣をピョンと飛び越し、一目散に桔梗屋へ駆けていった。
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