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迷えば凡夫 悟れば仏
しおりを挟む一方、
(ううむ)
(むぅん)
(どうしたらいいんだろう?)
虎也はまだ五里霧中から抜け出せず、ひたすらに彷徨っていた。
猫魔か、新猫魔か、自分はどっちに付くべきなのか。
迷いに迷っていた。
肩に竹竿を担ぎ、片手を顎に当て、眉間に皺を寄せて、ひたひたと、
いったい日本橋の北側を何周したことであろうか。
「あれ?い組の虎也だよ?」
「また店の前を通った」
「いつまで続けるんだろ?」
「火の用心の夜廻りだよねぇ?」
「ああ、でなきゃ、用もないのにああして歩き廻るもんかね」
「それにしてもスラリと姿の良い男前だね」
日本橋の通りに露店を出している連中の声も虎也の耳には入らない。
その時、
「あ、虎也さんだっ」
本石町の湯屋から出てきたのは桔梗屋の若衆の大助、中助、小助と菓子職人見習いの甘太である。
虎也は桔梗屋の手代の銀次郎と一緒に一番手の火の用心に出掛けた小僧四人が夜廻りを終えて湯屋へ寄ってひとっ風呂浴びてから帰って、二番手の火の用心に出掛けた若衆三人と甘太が夜廻りを終えて湯屋へ寄ってひとっ風呂浴びて出てくるまでの間、延々と五里霧中を彷徨っていたのだ。
日暮れから二時(約四時間)ほども経っている。
「こんばんはっ」
甘太は虎也の前方に立って声を掛けた。
ドンッ。
気付かずに甘太とぶつかって、やっと虎也はハッと我に返った。
「――あ?桔梗屋の。あ、そうそう、山算屋の火事の時は世話になったな」
虎也はすぐさま取り繕う。
「ああ、火事場での度胸といい、器量といい、桔梗屋の奉公人でなきゃ火消しのい組に誘いてぇくれえだと、い組の頭も言ってたっけな」
虎也がおだてると、
「えへぇ」
甘太も若衆も照れて頭を掻いた。
火消しの纏持ちの虎也は憧れの的なので甘太も若衆も頬を赤らめてメロメロだ。
そこへ、
「あれ、サギだっ」
甘太が指差す通りの向こうからサギがピョンピョンと飛び跳ねてくるのが見えた。
「――」
サギの背後には大きな風呂敷包みを抱えたドス吉もいる。
熊蜂姐さんがドス吉にお土産の餡ころ餅を持って送っていくように命じたのだ。
「お、みんなぁ、虎ちゃんもおる」
サギはピョンとひとっ飛びで湯屋の前へ飛んできた。
「え?サギは虎也さんと親しいのか?」
甘太が(いつの間に?)という不満顔で訊ねた。
サギと虎也の忍び同士の繋がりなど甘太は想像もしていない。
「おう、仲良しぢゃよ」
サギは当然のように答える。
(虎ちゃん?仲良し?いや、コイツと仲良くなった覚えはないが?)
虎也はこめかみの青筋をピクピクさせたが、
「――あっ、そうだっ。仲良しだ。サギ、ちょいと頼みがあるんだがよ」
すぐに思い直し、サギに親しげな態度を見せた。
「なんぢゃ?何でも言うてみい」
サギは鯛をたらふく食べたので機嫌が良い。
「来月のたぬき会に俺も参加させて欲しいんだが」
虎也は「おめえから桔梗屋の奥様に頼んでくれ」というつもりだったが、
「うん。ええよ」
サギは気軽に独断即決である。
「たぬき会の参加者は得意の芸を披露するんぢゃぞ。まあ、お前はその竹竿でビヨンビヨン飛んで見せたらええんぢゃ」
「おお、そんなことなら訳ねぇぜ」
虎也はあっけなくたぬき会の参加が決まったのでホッとする。
いくら悶々と(どうしたらいいだろう?)と悩んだところで、当日のたぬき会のその場にいなければ何もしようがないのだ。
(そうだ。どうするかは、その時だ)
今から考えても無駄なので決断は当日の自分に任せることにした。
やがて、一行は桔梗屋の裏木戸の前に着いた。
「ご免なすって」
ドス吉はお土産の風呂敷包みを下ろし、ドスの利いた声で挨拶すると、ドスドスと来た道を戻っていく。
「そいぢゃ、来月のたぬき会でな」
虎也は挨拶もそこそこにドス吉の後を追う。
「――」
しばし、虎也はドス吉と前後して日本橋の通りを歩いていた。
虎也の長屋は逆方向なのだが、ドス吉の真意を確かめたかったのだ。
ドス吉も察しているらしく、人気のない芳町の路地へ入るとやにわに足を止めた。
虎也は声を潜めてドス吉の背中に訊ねる。
「親父から聞いたぜ。ドス吉、たぬき会の刺客のこと本気かよ?」
「ああ」
ドス吉は感情のない乾いた声で答える。
「何で?どうせ斬られっちまうだけなんだぜ?」
「ああ、本望だ。むしろ斬られてぇのさ」
ドス吉は振り向いてニヤリと笑った。
「――っ」
虎也はゾワッと皮膚が粟立つ。
(笑ったのか?いや、口元を歪めただけかも知れねえ)
共に芳町で生まれ育った幼馴染みだが、ドス吉が笑うのを初めて見たのでホントに笑ったのかも疑わしい気がした。
「分からねぇだろうな、おめえには。俺ぁ、この先、生きてたところで花も咲かなきゃ、実も生らねえ、虚しい身の上さ。いっそバッサリ斬られて、竜胆と折り重なって倒れた時、俺ぁ、初めて『――ああ、生まれてきて良かった』と悦びに浸りながら最期の息を引き取るんだぜ。願ってもない死花ぢゃねえか」
ドス吉は無表情で淡々と語った。
要するに片惚れしている竜胆とどさくさ紛れに心中がしたいだけなのか。
「お、おめえ、滅多にしゃべらねえ奴だと思ってたら、案外、案外――」
虎也は言葉が見つからない。
(――案外、気色悪い?いや、違うな。何にせよ、コイツは自分に酔ってやがるのか?)
(わざわざ斬られたいと言うんなら何も俺が止め立てするまでもねえ訳だ)
ぐったりと拍子抜けした虎也であった。
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