294 / 312
上げ膳据え膳
しおりを挟むサギがビックリ仰天してのけ反っている頃、大亀屋と同じ一角にある待合い茶屋の恵比寿では、
(ここは、こんな格好で来るところではないのう――)
我蛇丸は格子の天井や座敷の欄間の見事な飾り彫りやキラキラした銀襖や床の間の活け花を険しげな目で眺めていた。
伯母のお虎に「お平らに」と足を崩すように促されて胡座に座ったが、それでも仏像のように固まっていた。
こういう時の我蛇丸はまったく見るからに田舎出の若者であった。
我蛇丸を挟むように両側に座っている猫魔の美人姉妹、お虎とお三毛は芝居見物帰りのよそゆきで装っているのだ。
(蕎麦屋の調理場からすっ飛んで来たんぢゃから仕方ないが――)
立派な座敷にそぐわない錦庵の印半纏に黒の股引という粗末な身なりのためにどうも居心地が悪い。
先日の猫魔との会合では仕立て下ろしの一張羅の着物で堂々としていられたのだ。
我蛇丸は剣術と蕎麦打ちと卵焼きで鍛えたガッチリした肩幅ながら気持ちの上では縮こまっていた。
「我蛇丸ぅ。何をそう畏まってるんだえ?」
「そうだよ。お前は猫魔の頭領なんだから。この芳町の一角は猫魔の庭も同然なんだ。自分ちのつもりで大きな顔しておいで」
お虎とお三毛が叱咤するように言う。
「はあ」
我蛇丸は曖昧に返事して盃の酒をチビリと舐めた。
忍びの習いで酒は飲めないなどとは言い出せなかった。
そこへ、
「お待たせ致しました」
スッと襖が開いたと思うと、華やかな振り袖姿の若衆が現れ、淑やかにお辞儀をした。
「大黒屋の久弥でござります」
久弥は床の間の前で畏まっている我蛇丸に粘っこい視線を向けてニッコリと妖艶に笑んだ。
(――大黒屋の久弥――?)
さては、陰間か。
我蛇丸は我知らず戦慄を覚えた。
以前、小梅から自分の幼馴染みの大黒屋の久弥という陰間を呼んでやってくれと言われて「気が向きましたら」と適当に答えたが、勿論、気が向くつもりなどは毛頭なかった。
それが、よもや顔を合わせることになろうとは。
久弥は幼馴染みの小梅に打ち明けていたとおり前々から我蛇丸に片惚れしていた。
陰間は客に待合い茶屋などに呼ばれると提灯持ちの男衆一人に付き添われて徒歩でやって来るので妓楼の遊女などと違って町を頻繁に出歩いている。
それで、久弥のほうでは日本橋の通りで蕎麦の出前中の我蛇丸の姿をよく見掛け、蕎麦せいろ五十枚を楽々と肩に担いだ逞しい男っぷりにうっとりと見惚れていたのだ。
「ほほほ、何で陰間なんぞ呼んだかって顔だね?とっくにお見通しさ。あたし等の色香にピクリともしない我蛇丸の様子を見たら、ねえ?」
「ほんにさ。久弥は芳町で一番の流行りっ子だよ。急なのによく来れたね?先約があったろう?」
お虎とお三毛は親しげな笑みを久弥と交わす。
「いえ、よう呼んでくれはりました。へえ、先約なんぞすっぽかして飛んでまいりましたんえ」
久弥は京訛りのおっとりした口調で言うと優雅に振り袖の裾を滑らして座敷へ入ってきた。
しなやかな立ち居振る舞いだ。
だが、
(どうも蒟蒻のようぢゃな)
我蛇丸の目には妙にクニャクニャして見えただけであった。
たしかに久弥は芳町で一番の陰間だけあって顔立ちも言葉使いも立ち居振る舞いも申し分なく美しいのだか、自分が惹かれるようなところは芥子粒ほども見受けられない。
陰間などと引き比べるのも畏れ多いが、児雷也のように美しく優雅ながらピシッと威厳ある高貴な佇まいというのは滅多に見られるものではないのだと我蛇丸は改めて思った。
「さっ、久弥も来たことだし、あたし等はこれで失礼しようかね」
「ああ、久弥、後は頼んだよ」
お虎とお三毛はさっさと席を立った。
「えっ?」
我蛇丸はまさか久弥と二人きりで座敷に残されるとは思いもしなかったのでビックリと目を見開く。
「へえ、お任せ下さりまし」
久弥は心得たような笑みでお虎とお三毛を送り出した。
我蛇丸と陰間の久弥の二人きりになった座敷はひっそりと静まり返った。
「ささ、我蛇丸さん、今宵は日頃の憂さも忘れて、ごゆるりと」
久弥は粘っこい笑みを浮かべてにじり寄るように我蛇丸の傍らへ座った。
膝がくっ付くほどに近い。
「――」
我蛇丸は警戒するように身を固くした。
怖かったのだ。
この蒟蒻のようにクニャクニャした陰間が、むくつけき鬼よりも怖かった。
誰にも知られたくない弱みを暴かれてしまうような恐れだ。
その弱みとは何だかは自分でも定かではないのだが。
「――」
仏像のように微動だにせず座っている我蛇丸に、
「もう、じれったいほど初心なお方もあったもの」
久弥は妖艶な流し目をくれながら我蛇丸の腕をムギュッと抓ねった。
「てっ、何でわしの腕を抓ねくるんぢゃっ?」
我蛇丸は飛び上がるようにビックリと手を引っ込める。
さらに、ムッと怒り目で久弥を睨んだ。
「まあ」
久弥は我蛇丸の睨んだ目も可笑しいようにクスクスと笑う。
十歳の頃から親元離れて十一歳からお座敷に出ている久弥はさすがに余裕綽々で我蛇丸など坊や扱いだ。
「巷ではこないな唄も流行ってはりまするえ?」
久弥はおもむろに三味線を膝に抱えて爪弾きで唄い出した。
ぺペン♪
「サー、抓ねりゃ紫、喰いつきゃ紅よ 色で仕上げた アリャこの身体~♪」
火消しの連中がよく「エンヤラヤ サノヨーイサ」と唄っている唄だ。
「サー、君は小鼓 調べの糸よ 締めつ ゆるめつ アリャ音を出す~♪」
朴念仁の我蛇丸でも唄にスケベな意味合いを含んでいることは察せられた。
ぺペン、ペン♪
(むうん、茶屋遊びでは手拍子を打つべきなんぢゃろうか?)
(『エンヤラヤ サノヨーイサ』と合いの手を入れたりするのが粋人なんぢゃろうか?)
あれやこれや考えたが我蛇丸は相変わらず仏像のように固まったまま手拍子も合いの手も何も出来なかった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
矛先を折る!【完結】
おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。
当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。
そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。
旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。
つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。
この小説は『カクヨム』にも投稿しています。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
大陰史記〜出雲国譲りの真相〜
桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯
古代雅之
歴史・時代
A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。
女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。
つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。
この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。
この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。
ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。
言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。
卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。
【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。
【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?
この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる