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餡ころ餅で尻を叩かれる
しおりを挟むその頃、
桔梗屋の客間では、
「おや?あの銀の器は?」
お竜姐さんがふと飾り棚にある銀細工の器に目を留めていた。
「ああ、これでござりますかえ?先日、ひょんなことから土蔵で見つけましてなあ、滅多にない妙工と思うて無聊の慰みに飾って眺めておったんですわなあ」
お葉はいそいそと立つと、飾り棚から銀細工の器を取ってきて「どうぞ、お手に取ってご覧じませ」と自慢げにお竜姐さんへ差し出した。
以前、草之介がコソ泥の真似をして土蔵から持ち出した件の舶来の銀製品だ。
「どこぞか西洋の器でしょうかえ?わしの父が生前に長崎から取り寄せておりましたが、わしはまるで詳しくないもので」
お葉は知りもしないが、これはフランス製のボンボン入れである。
「ほう、これは見事な銀細工にござんすこと」
お竜姐さんは目八分に銀細工の器を持ち上げ、透かし彫りの銀細工をつくづくと眺めて、ひっくり返して底にある刻印を確かめるや、否や、
「こ、これは――おいそれと口にするのも憚れまするが、抜け荷(密貿易)で長崎へ入ってきた品ではあるまいかと――」
やにわに切り口上でそう告げた。
「げっっ?」
お葉は不意打ちを食らったように喉を詰まらせる。
滅多にない見事な銀細工なので今度のたぬき会にも広間へ飾って来客にお披露目しようとさえ思っていたのだ。
それが、よもや抜け荷(密貿易)の品だったとは。
江戸幕府が貿易を許可しているのは蘭船と唐船だけである。
だが、その他の国の船も漂流を装って日本へやってきては抜け荷(密貿易)を行っている。
取り締まる役目の長崎奉行が抜け荷に加担していた不祥事も数年前にあったのだ。
「こんなものを持っていることがお上にでも知れたら問答無用でお縄になるところでござんすよ。まったく、桔梗屋さんの不用心なことといったら」
お竜姐さんは暢気なお葉を窘めると、やれやれと呆れたように首を振る。
ご法度が生業である博徒のお竜姐さんには驚くほどのことでもないが。
「いや、だって、抜け荷の品だとは、つゆ知らず」
お葉は今頃になって涙目でオロオロとした。
「たしか、抜け荷(密貿易)の罪は獄門(斬首のうえ晒し首)ではなかったろうかえ?」
「いえ、それは昔のこと、今はおそらく入れ墨刑で済むかと」
「入れ墨っ?」
お葉は我が身を抱いてブルッと震えた。
朝な夕なウグイスのフンで磨き上げた玉の肌に入れ墨など。
もし、あの時、草之介の馬鹿者がこの銀製品を盗んだまま同心に捕まっていたらと思うと背筋がゾッと寒くなった。
「え、ええ、恐ろしい。こんなもの、どこへどうしたら?――あ、いっそ床下に穴を掘って埋めてしまおうかえ?」
お葉は(一刻も早く人目に触れないところへ隠さなくては)と狼狽えつつ、座敷を行ったり来たりして銀細工の器を元の革張りの箱に収めると風呂敷にしっかと包んだ。
「まあ、もったいない。埋めるくらいなら玄武で頂戴してもようござんすが?まだ他にもありましたら戴いてまいりましょう」
お竜姐さんは頼もしげに微笑む。
「え?ほんに、助かりますわなあ」
お葉はホッと胸を撫で下ろし、他にも草之介が持ち出した銀の匙の革張りの箱を風呂敷に包んだ。
それにしても、いったい桔梗屋の土蔵にはどのくらい抜け荷の品があるのだろう。
「では、確かに」
お竜姐さんは行き掛けの駄賃とばかりに舶来の銀製品を手に入れてホクホクであった。
一方、同じ頃、
「――んがっ?」
裏庭ではサギが竜胆の鼻を摘まんでいた。
「サギ、何だって俺の鼻を摘まむんだよっ?」
「ぢゃって、わしゃ、夜目が利くからの、鼻を摘ままれたら分かるんぢゃ」
「あ、そうか。けど、俺だってお前の顔くらい見えてるぜ?」
「なんぢゃあ」
まだ鼻を摘ままれても分からぬほどには日は暮れてないようだ。
「ところでよ、何だ?あれ?」
竜胆は裏庭の隅に積まれた泥の山へ振り返った。
「ああ、ありゃ、お枝が泥んこ遊びでこしらえた泥饅頭ぢゃよ」
お枝の泥饅頭は大きさも丸さも綺麗に揃っていて、熟練の菓子職人が『お枝坊様の泥饅頭には菓子職人のわし等も敵わん』とおだてたので、ここ数日、張り切って丸めていたのだ。
おかげで裏庭に泥饅頭の山を築いた。
「あ、そうそう、熊蜂姐さんが羽衣屋の餡ころ餅が余って仕方ないからサギに早く食べにおいでってよ」
竜胆は泥饅頭を見て思い出したように言った。
「へ?何でわしが羽衣屋の餡ころ餅が食べたいって知っとるんぢゃ?」
サギはキョトンとする。
「何、すっとぼけたことを。お前に頼まれたんで小梅があちこちのお座敷で『羽衣屋の餡ころ餅が食べたい」と触れ廻って、そいで、贔屓の旦那衆から毎日のように羽衣屋の餡ころ餅が届くんぢゃねえか」
「あいや、そうぢゃったっ」
サギはこれも自分で頼んでおいてコロッと忘れていた。
そもそも富羅鳥ではサギが何をねだったところで聞いてくれた例しがないのだ。
(しみったれの根性悪の連中ぢゃからのっ)
富羅鳥に比べれば玄武も猫魔もなんと律儀で親切で気前の良い人達であろう。
ついさっきカスティラの耳のオヤツを食べたばかりだが、羽衣屋の餡ころ餅が待っていると聞けば、じっとしてはいられない。
「わしゃ、ちょっくら蜜乃家へ行ってくるっ」
「えっ?」
竜胆がビックリ顔した時にはサギはもう地べたを蹴って屋根の上である。
屋根伝いにピョンピョンと飛んでいけば本石町から芳町まではあっという間だ。
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