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藪をつついて蛇を出す
しおりを挟む「ええいっ、わしゃ、お縞のところへひとっ走りして『金鳥』を取り返してくるわっ」
シメは鼻息荒く立ち上がると凄まじい勢いで縁側から裏庭へ飛び下りた。
「えっ?待てっ」
「早まるなっ」
「どこぞへ行くんぢゃっ?」
我蛇丸、文次、ハトは同時に言葉を発し、片膝立ちになって裏庭を振り返った。
「お縞は娘のおマメのおる蜜乃家に決まっとるわっ」
背を向けたまま言い捨てシメはもう裏木戸から出ていった。
ガコッ、
ガコッ、
ガコッ、
ドブ板を踏み割るように乱暴な下駄の音が路地に響き渡る。
「いかん。鬼のシメと違うてお縞はただのか弱い女子ぢゃ。手荒な真似して絞め殺しかねんぞっ」
我蛇丸、ハト、文次はあたふたとシメの後を追う。
「あっ、いかん。雉丸がおった」
ハトは慌てて引き返し、寝ていた赤子の雉丸を背負って、みなの後を遅れて走る。
「ニャッ」
忍びの猫にゃん影は塀から屋根へと黒い影のように飛んでいく。
「すわ、何事ぞっ?」「火事かっ?」「泥棒かっ?」
通りを往来する人々がただならぬ血相で路地から飛び出てきた一行にビックリと見返った時には、すでに砂煙だけが舞い上がり、瞬きする間もなく、シメ、我蛇丸、文次、ハト(背中に赤子の雉丸)の姿は人混みの遥か遠くへ過ぎ去っていた。
細い掘を横切る。小舟町を抜ける。
バササササーーーッ、
富羅鳥の五人と一匹はさながら落葉を掃く疾風のごとし。
芳町へ出る。まもなく、蜜乃家の前であった。
「はぁ」
一息吐いて見上げた裏木戸の横木には裏長屋の住人の表札が並んでいる。
「あれはっ」
シメが指差す先には堂々と『小唄師匠 お縞』と表札があった。
しかも、
ぺペンペン♪
裏長屋から聞こえてくる三味線の音、
「ええ~、しょんがいな~♪」
小唄は聞き慣れたお縞の声だ。
「どうやら逃げも隠れもせんようぢゃな」
一行は毒気を抜かれたようにガックリと裏木戸をくぐった。
がむしゃらに息せき切って駆け付けたのが気恥ずかしいほど相手は余裕をかましているではないか。
「あれ?シメ小母さん?」
おマメが目ざとく裏庭の人影に気付き、縁側へ出てきた。
「お、お前、おマメかえ?」
シメは豪勢な振り袖姿で現れたおマメに目を見張った。
「うん。そうさ」
おマメが大きく頷いてみせると髪に差した花簪や銀のピラピラ簪が揺れる。
華やかな簪に引けを取らぬ雛菊のような顔がさも得意げな笑みを浮かべている。
ついこの間まで子守りをしていた娘とは信じられぬ変化ぶりだ。
そもそも今までおマメは膨れっ面しか見せたことがなかったのだ。
「こりゃ、たまげた。変われば変わるもの」
「さなぎが蝶になるとはこのことぢゃ」
みなが呆気に取られて、おマメを眺めていると、
「――おや?その声はシメとハトかえ?」
裏長屋の障子戸が開き、お縞が姿を見せた。
「お縞っ、やっぱり猫魔の間者ぢゃ。ここにいると思うたわっ」
シメはバッと振り返り、まさしく鬼の形相でお縞を睨み付ける。
「おマメ、お前は奥へ行っといで」
「うん」
お縞に追い払われておマメは素直に座敷へと引き返す。
忍びの一族の話はおマメには興味がなかった。
「間者とか何とか気色ばんで何を言ってるんだい?」
お縞はドスンと縁側へ腰を下ろし、顎を反らして鼻先で笑った。
「シラを切るかっ」
シメは澄まし顔のお縞を見て、さらに怒りが込み上げる。
「だって、間者ってのは敵の様子を探る者のこったろ?あたしゃ、我蛇丸の又従姉で、我蛇丸は猫魔のお玉の子。敵どころか猫魔と富羅鳥と蟒蛇は否でも応でも絶っても絶たれぬ血を分けた身内だろうが?」
お縞は血を分けたことが忌々しげだ。
「――」
我蛇丸も不本意ながらという顔で頷いた。
「ううぅ」
シメは言い込められて黙ってしまう。
お縞の言うことは至極もっともなので返す言葉もない。
「敵同士だったなぁ戦国の世のこったろ?それをいまだに敵呼ばわりするなんざ、何かえ?猫魔と親しく付き合うのが気に食わない訳でもあるのかい?」
そう言われてみれば元より富羅鳥のほうには猫魔に対して遺恨など何もないのだ。
「それにね、おマメの父親は猫魔の男なのさ。だから、あたし等がここにいるのに何も不思議はあるものかい」
「何っ?それなら、お縞は十三年も前から、わし等を謀って猫魔の男とねんごろになってたってことか?」
シメは憤然となる。
「いけないかい?そりゃ、あたしゃ、富羅鳥の大膳の許嫁だったけど、その大膳が猫魔のお玉と夫婦になっちまったんだから、あたしが猫魔の男と好い仲になったって文句があるかい?」
お縞は皮肉っぽく片頬を歪めて笑う。
最初に裏切ったのは大膳のほうだと言いたいのだろう。
当時、お縞は十四歳、父母を早くに亡くし、蟒蛇の身内といったら祖父の錦太郎だけだった。
それだけにお縞は富羅鳥のお鴇を母のように慕っていた。
そのお鴇がお縞を差し置いて猫魔のお玉を嫁として迎え入れたのだ。
お縞はどれほど寂しく切なかったか。
「右も左も分からない江戸へ出てきて、誰も知る人のない花街で熊蜂姐さんや大亀屋の番頭さんに親切にされたら、そりゃあ、情も移るってものさね」
お縞は「仕方ないだろ」と言わんばかりにフンと顔を逸らす。
「ああ、まったくぢゃ。お縞は悪うない。何もかも、父、大膳の罪ぢゃ」
我蛇丸は申し訳なさげに頭を垂れた。
「――」
お縞は罪もない我蛇丸に八つ当たりしたようで気が咎め、横目でチラと我蛇丸の顔を見やった。
あの頃、大膳は十九歳でちょうど今の我蛇丸の年齢だった。
逆さ八の字の眉も強い目元もよく似ている。
我蛇丸の面差しを見るにつけ、お縞は古傷に冷たい風が沁みるように胸が痛んだ。
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