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魔女、くノ一
しおりを挟む「いや、まるっきり信じとらんで笑っとるようぢゃが、魔女、マジぢゃぞ」
唐突に貸本屋の文次の声がした。
「文次っ?いつの間にっ」
サギはビックリと振り返る。
文次は忍びだけに何の気配もなく裏庭に立っていた。
「いつもどおりに裏木戸から声を掛けたんぢゃが、大笑いしとって聞こえんかったんぢゃろ?――毎度、貸本屋にござります」
文次は奥様のお葉に挨拶して、風呂敷包みを縁側に下ろした。
「ふ、ふんっ、文次、昨日も来たぢゃろうが?何でまた今日も来たんぢゃ?」
サギは忍びの地獄耳のはずが自らの大笑いで文次の声を聞き逃したとは不覚であった。
「ああ、長屋のおかみさん等に小さい子が読む赤本を持ってきとくれと頼まれたんでのう」
文次は木箱から幼児向けの赤本を出して縁側に並べていく。
赤本は『桃太郎』『浦島太郎』『猿蟹合戦』『一寸法師』等々、お伽噺の本だ。
「なあ?文次さんも西洋の魔女という女の妖怪のことを知っとるんだえ?」
お葉は興味津々に膝を進めた。
桔梗屋ではお葉と草之介だけが貸本屋の文次も富羅鳥の忍びだと正体を知っている。
「ええ、蟒蛇の忍びが長崎と江戸を行ったり来たりしておるので西洋の噂はよく耳にしておりまするが――」
文次は裏庭にある竹箒を指した。
「魔女というのは黒猫をお供に連れて、箒に跨がって宙を飛んでおるそうにござりますよ」
「箒に?跨がって?」
お葉は怪訝な顔をする。
「さだめし、サギあたりが黒猫のにゃん影と屋根を飛んでおるのを異人に見られでもしたら魔女と間違えられるやも知れん。おっ、そういえば、魔女、くノ一、奇遇にも似ておるのう」
文次はカラカラと笑う。
「魔女、くノ一、たしかにイッチが一致しとるが――」
サギはつまらぬ駄洒落を言うと、ピョンと裏庭へ飛び下り、竹箒に跨がってみた。
「ふぅん、なるほどのう。魔女というのは綺麗好きな妖怪ぢゃな。宙を飛びながら屋根の煤払いをしよるんぢゃ」
それ以外に箒に跨がって宙を飛ぶ理由などあろうか。
「箒に跨がって宙を飛んだとて近所迷惑とも思えんし、魔女狩りだの火炙りだの出鱈目にしても物騒ぢゃのう」
サギは竹箒に跨がって裏庭をピョンピョンと飛び廻る。
「いや、ところが、魔女狩りも火炙りもマジらしいんぢゃ」
文次が真顔で言った。
マジもマジで西洋で魔女狩りが廃止されたのはサギが竹箒に跨がっている今この時よりもずっと後のことであった。
「うへえっ?マジぢゃと?」
サギに戦慄が走った。
「西洋、ヤバいっ」
黒猫を連れて箒に跨がって宙を飛んでいるだけで火炙りにされるというのか。
「西洋人、イカレとるっ」
桔梗屋の先代、弁十郎の言うとおり、幕府が鎖国したのはまったく正しい判断に違いなかった。
「そしたら、サギも綺麗好きな魔女に倣って、ちょいと屋根へ飛んで雨樋に溜まった塵を掃き出しておくれな」
お葉は至って暢気だ。
「うん、ほいぢゃ」
サギは竹箒を持って屋根にピョンと飛び上がる。
せっせと雨樋の塵を隅から隅まで掃いていくと、
ザカザカと足音が聞こえてきた。
「誰ぞぢゃろ?」
「大人数で桔梗屋の路地へ入ってくるぞ」
サギと文次は揃って聞き耳を立てる。
足音は七、八人はいるようだ。
「まあ、畳屋さんにござりましょうか?たしか畳替えは明日のはずにござりまするが――」
乳母のおタネも足音に気付いて縁側から茶の間へやってくる。
「畳屋さんがこんな遅い時分に来るとは思えんわなあ」
お葉は不意の来訪者に思い当たらず首を傾げた。
サギが屋根の上から覗き込むと、足音の一行は八人で路地を裏木戸へ向かって進んでいた。
(――ありゃ誰ぞぢゃ?)
先頭を歩くのはスラリと細身の女。
その背後に逞しい男衆を従えている。
サギはピョンと裏庭に飛び下り、
ギイッ。
「何ぢゃ?」
木戸を開けるなり先頭の女に尋問した。
「――っ」
いきなり目の前で木戸が開いてサギが顔を突き出したので女は不快げに目を吊り上げた。
女は裏木戸の前で後れ毛をちょいちょいと整えて、いざ「ご免なさいよ」と声を掛ける寸前だったのだ。
「あたしの名を知りたいのかい?それとも、ここへ来た要件を知りたいのかい?」
出鼻をくじかれた女はつっけんどんに返した。
見るからに勇肌で粋筋の女だと分かる。
背が高く眼光鋭いすこぶる美女だ。
ただ、サギはあまりに美男美女を見慣れているために女の美しさをまるで気に留めなかった。
「名と要件っ。両方に決まっとろうがあっ」
サギはチビながら仁王立ちで威張って答える。
そこへ、
「お、おい、サギ。玄武一家だよっ」
聞き覚えのある声がして、女のすぐ後ろのガッチリした男の背後から竜胆がひょいと顔を出した。
「あやっ、竜胆っ?」
屈強な男衆の中に紛れて華奢な竜胆は姿が見えなかったのだ。
おまけにいつも派手な紫地に柄物の羽織を着ている竜胆が今日は他の男衆と揃いの黒い半纏であった。
「こちらはお竜姐さん」
竜胆が先頭の女を紹介する。
「ほえっ?お竜姐さんっ?」
サギは(シマッタ)と思った。
女賭博師のお竜姐さんには是非とも丁半博打のツボ振りをご教授賜りたいと願っていたのに初対面から印象を悪くしてしまったではないか。
「えっと、これはこれは、ええっと」
サギは忍びの習いで行儀作法くらいは身に付けているのだが、肝心なところでしどろもどろになった。
「うへへ」
挨拶の言葉が出てこないので今更だが愛想笑いして誤魔化す。
「……」
お竜姐さんはサギの愛想笑いもパキパキと凍り付かせんばかりの冷ややかな眼差しで睨んでいる。
(お、恐ろしいのう。さすがに只の女子ではなさそうぢゃ)
サギはお竜姐さんの迫力にビビッた。
「ほれ、サギ、玄武一家が来たと桔梗屋の奥様に取り次いで来いよ。早くっ」
竜胆はしっしと手で払うようにサギを追い立てる。
「うあっ、そうぢゃった」
サギは慌てて身を翻し、裏庭から茶の間へ走っていく。
博徒の玄武一家のお竜姐さんがいったい何の用で桔梗屋へやって来たのだろう。
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