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用のない星は宵からござる
しおりを挟むその晩。
我蛇丸、ハト、シメは日本橋芳町の茶屋、恵比寿へやってきた。
戦国の世から敵同士の猫魔の一族と茶屋で会合するなど甚だ不本意ではあるが、敵に後ろを見せて怖じ気づいたと思われたくはない。
「小梅は『来れば分かるよ』なんぞと言うとったが」
「なんの話し合いぢゃろのう?」
シメとハトは戦々恐々という顔で細い路地を進んでいく。
「あれこれ考えても始まらん。行くぞ」
我蛇丸は意を決して恵比寿の戸口へ入っていった。
「こちらでお待ちにござります」
恵比寿の女中に案内されて二階の座敷へ通される。
すでに座敷には熊蜂姐さん、お虎、お三毛、小梅が待ち構えていた。
「お招きに預かりまして――」
我蛇丸、ハト、シメは儀礼的に挨拶して、先方から勧められるまま上座へ着いた。
それにしても、玄武一家の親分の妾である蜜乃家の熊蜂姐さんまで猫魔と富羅鳥の話し合いに同席するのはどういう訳であろう。
三人はそう訝しげに熊蜂姐さんを見やった。
十八歳の蜂蜜の母にしては若く二十四、五歳にしか見えぬが、どうせ『金鳥』で若返ったのだろうと察した。
猫魔の三姉妹のお虎、お三毛は初めて見る。
滅多にないほどの美人であるが、この二人もやはり『金鳥』で若返ったらしく、せいぜい二十歳ほどにしか見えない。
二人は年齢を二十歳も若く偽って他所の土地でまだ芸妓を続けているのだ。
「……」
お虎もお三毛も獲物を狙う猫のように爛々と鋭い目で我蛇丸を見つめている。
(母のお玉もこの姉妹と似たような顔立ちぢゃったんぢゃろうの)
我蛇丸はますます実の母、お玉に対して冷え冷えとした気持ちになった。
すると、
「――た、玉丸――」
やにわに熊蜂姐さんが目をうるうるさせて我蛇丸に勝手に付けた名を呼んだ。
「……?」
我蛇丸は左右をキョロキョロとする。
そんな名の猫でも座敷にいるのかと思ったのだ。
「――ぷ――」
小梅は笑いを堪えてフルフルと肩を震わせている。
「――玉丸ぅぅっ」
熊蜂姐さんは感極まったように我蛇丸に飛び付かんと身を躍らせた。
愛しい我が孫をヒシと抱き締めるつもりであった。
だが、
「――っ?」
我蛇丸は咄嗟に身を躱し、
「――ぅっ」
熊蜂姐さんは両手を前に伸ばした格好でバッタリと畳に倒れ込んだ。
「ぶふっ」
小梅は堪え切れず吹き出した。
「な、何の真似ぢゃ?いきなりっ?」
「我蛇丸に抱き付こうと?さては色仕掛けかっ?」
ハトとシメは熊蜂姐さんが我蛇丸をたぶらかそうとしていると思い込んだ。
「い、色仕掛けとは何だい?せっかくの祖母と孫の感動の対面なんだよっ」
熊蜂姐さんはいまいましげにバッと起き上がる。
風情を重んじる熊蜂姐さんからしたら、ここは大事な愁嘆場であったのだ。
「――祖母と孫?」
我蛇丸、ハト、シメはキョトンとした。
「ああもう、なんだい?まるっきり話が噛み合わないぢゃないのさ」
「おっ母さんが猫魔の三姉妹の母親だって富羅鳥には伝わってないのかい?」
お虎とお三毛は苛立たしげに顔をしかめる。
伝法な口調からして気立ても相当に荒そうだ。
「――熊蜂姐さんが猫魔の三姉妹の母親っ?」
「そ、そいぢゃ、我蛇丸の祖母っ?」
ハトもシメも唖然とした。
「……」
我蛇丸は疑わしげに熊蜂姐さんを二度見する。
言われてみれば、お虎、お三毛とよく似ている。
見た目で母子というよりは姉妹のようだ。
(――祖母――?)
我蛇丸は熊蜂姐さんを三度見する。
この二十代半ばにしか見えぬ妖艶なる美女を自分の祖母と思えというのが無理な話だ。
「ああ、べつに、婆様となんざ呼ばれたかないんだよ。孫の虎也や小梅にだって熊蜂姐さんと呼ばせてるんだし、玉丸もそうお呼び。――あ、玉丸ってのはあたしがお前に付けた名だよ。お玉の子だから玉丸さ」
熊蜂姐さんは気を取り直し、艶やかに笑んだ。
「ああ、我蛇丸なんて名より玉丸のほうが猫魔らしいよ」
「そうさ。お玉姉さんの子でれっきとした猫魔の一族なんだから、我蛇丸よりか玉丸さね」
お虎もお三毛も玉丸という名を称賛する。
「――いや、みな幼名で呼んどるが、本名は我蛇左衛門なんぢゃ」
我蛇丸は落ち着き払って訂正した。
しかし、我蛇丸は十六歳で元服して名を我蛇左衛門と改めたが、身内の誰もが面倒臭がって我蛇左衛門とは呼ばなかった。
「ああ、そいぢゃ、玉左衛門でいいよ」
熊蜂姐さんはこちらもあっさりと改名する。
「――さてと、玉左衛門?」
熊蜂姐さんは居ずまいを正して座り直すと、
「今晩、ここへ呼んだのは他でもない。お前を正式に猫魔の頭領に任命するためなんだよ」
重々しい口調で宣言した。
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