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落花枝に還らず
しおりを挟む「ねえ?明日の晩、茶屋の恵比寿へ来てくれんだろうね?」
小梅はじれったそうに振り袖を振り廻しながら訊ねる。
ホントは熊蜂姐さんが実の祖母だと我蛇丸に明かしてやりたいのだが、小梅は熊蜂姐さんが会合の席で涙ながらの臭い芝居で祖母の名乗りをするだろうと楽しみにしているので黙っている。
「ぢゃから、何の用件かと聞いとるぢゃろうが?」
我蛇丸は声を荒げるでもなく淡々と繰り返す。
「ここで言えんような用件ぢゃろう。猫魔が富羅鳥を恨んどるのは分かっとるんぢゃ」
「何を企んどるか怪しいのう。どっおせ罠ぢゃわ」
ハトとシメは警戒心をあらわにする。
「もおう、おんなじ富羅鳥の忍びなのにサギと違ってガッチガチに守りが固いったらっ」
「サギなんざぁ熊蜂姐さんとだって仲良しなのになっ」
小梅と竜胆はまだるっこしく苛立ってきた。
「サギが?熊蜂姐さんとも?」
我蛇丸はまたサギは大事なことを何も報告しないのかと渋面した。
「ああ、もお、来たら分かるよっ」
小梅はそう言い捨て、錦庵を出ていく。
「あ、小梅、待てよ。そいぢゃっ」
竜胆は慌ててトラ猫の入った柳行李を小脇に抱えて後に続いて出ていった。
「――いったい何の用件ぢゃろう?」
「まさか、今更、猫魔に忍びの猫を返せというつもりぢゃあ?」
「ええ?けど、にゃん影は富羅鳥山で産まれたんぢゃから富羅鳥の猫ぢゃろう?」
「初代の忍びの猫は十年前に死んどるしのう。子孫はにゃん影の他にも富羅鳥山に何十匹もおるが、まさか、全部ひとまとめにして返せとか?」
ハトとシメはあれやこれやと取り越し苦労する。
「あっ、もしや、猫魔のお玉が亡くなった訳を追及されるんぢゃなかろうか?」
「そりゃ、わし等も聞いたことないのう」
「そうぢゃ。文次なら知っとるかも知れん」
貸本屋の文次は三十歳で、二十年前に猫魔の三姉妹のお玉が富羅鳥山で落とし穴に落っこちた時にはもう十歳なので何があったか覚えているはずだ。
ハトは裏長屋へ文次を呼びに走っていった。
(そういえば、実の母はどうして亡くなったんぢゃろう――)
我蛇丸はやにわにザワザワと胸騒ぎがした。
お玉の死の原因は知らぬほうがいいような気がしてならない。
「そりゃあ、知っとるが、聞かんといたほうがええこともあると思うんぢゃがのう」
店にやってきた文次は珍しく固い表情をして言った。
やはり、お玉の死には我蛇丸が知らぬほうがいいような事情があるようだ。
「そう言われると尚更に気になるぢゃろうが?」
「のう?」
シメとハトは聞くべきか聞かざるべきかを窺うように我蛇丸の顔を見やる。
「……」
我蛇丸は僅かに躊躇ったが、
「――いや、聞こう。どんなに耳障りな話でも隠さずに有りのままを話しとくれ」
真実を知らねばなるまいと意を決した。
「それぢゃあ、まあ、話すがのう――」
文次は重い口を開いた。
それは、十九年前、
玉のように健やかな赤子の我蛇丸が産まれて半年ほど経った冬のこと。
江戸へ出ている富羅鳥の若い衆三人が年の暮れに帰郷してきた。
すると、お玉は大膳の目を盗んで若い衆三人にこっそりと近付き、三人が江戸へ戻る時に自分は富羅鳥山から逃げ出すので手を貸して欲しいと頼んだのだ。
「頭領もさすがに若い衆三人の様子を怪しんだらしく、ある日、猟の途中で小屋へ戻って、見てしまったんぢゃ」
それは、お玉が自ら帯を解いて着物をはだけ、白く輝く玉の肌を見せ付けながら若い衆三人に迫っている姿であった。
若い衆三人は目を皿のようにしながらも「勘弁しとくれぢゃあ」「頭領を裏切ることは出来ねえ」「ご無体ぢゃあ」と必死に己れの欲望に打ち勝たんとしていたが、
お玉は高飛車に「だって、あたしゃ、大膳みたいに女を悦ばせる能もない下手っぴいの相手にゃ飽き飽きしてんだよ。お前等、江戸でそれなりに女遊びはしてきたんだろ?ねえぇ?どうなのさ?」と言いながら、若い衆三人を強引に自分の上に押し倒した。
そうなると、若い衆三人はついに理性の箍が外れて狂ったようにお玉の肌に貪り付いた。
お玉は「ああぁあぁあん」と盛りの付いたメス猫のように、はしたない喘ぎ声を上げ始めた。
大膳は自分の前ではいつでも生娘のように恥じらいのある純情可憐なお玉の人が変わったような淫らな姿を目の当たりにしたのであった。
「な、なんということぢゃ――」
「そんなことが――」
シメとハトが思い描いていた大膳とお玉の恋物語がバラバラと崩壊していく。
「……」
我蛇丸は実の母のあまりにも醜悪なる正体に言葉を失ったようだ。
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