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江戸城の陰謀
しおりを挟む一方、
羽衣屋では、
「やはり、反タヌキ派の背後には相当な権力が控えているってことか?」
虎也が父、又吉の自信有りげな言動を裏付ける権力の主が何者かを訊ねたところであった。
「ふふん、お前にはコソッと教えてやろう」
又吉はグイと虎也の肩を引き寄せてコソッと耳打ちした。
「――へ?猿平様?えっと、聞いてもさっぱり分からねえんだけど」
虎也は聞いてはみたものの権力者など縁もゆかりもないのでその名も知らなかった。
しかも、猿平とは苦し紛れにひねり出したような名ではないか。
「なに?猿平様を知らん?上様の従兄弟に当たるお方ではないか。まったく、ろくすっぽ忍びの仕事のない天下泰平の世の忍びは将軍家の内情にまで疎いとは」
又吉はやれやれと嘆息してから、将軍家の内情をかいつまんで説き明かした。
今の将軍様は十代目の家治である。
遡って、八代目の暴れん坊将軍、吉宗には三人の息子、家重、宗武、宗尹がいた。
しかし、長子である家重は身体が弱く生まれながらに言葉が不明瞭であった。
一方、田貫兼次の父は吉宗が将軍に就任した折りに紀州藩から連れてきた紀州藩士のうちの一人である。
兼次は幼い頃から抜きん出た美貌の上に頭脳明晰と評判で、やがて十二歳で吉宗に初お目見えし、十四歳の時に七歳年上の家重付きの小姓となった。
そして、その持ち前の『気配り、目配り、心配り』で家重の不明瞭な言葉を聞き取れるという特殊能力を発揮した。
家重の不明瞭な言葉を聞き取れたのは江戸城広しと兼次をおいて他にはいなかったと言われている。
だが、近臣の中には身体が弱く言葉の不明瞭な家重よりも武術に優れて学問に秀でた文武両道の次男の宗武を次期将軍にと推す声が多かった。
宗武もすっかり自分が次期将軍だという気になっていた。
ところが、父の吉宗は長男を差し置いて次男が継ぐなど言語道断と譲らず、周りの反対を押し切って身体が弱く言葉の不明瞭な家重を九代目の将軍の座に就けて自らは隠居したのである。
九代目の将軍となった家重の通訳として掛け替えのない兼次はますます寵臣として出世街道まっしぐらであった。
家重がいまわの際に息子の家治に残したという言葉も「兼次を大事にしてやってくれ」だったと伝えられている。
家治も家重の不明瞭な言葉が聞き取れたかは定かではないが、そう言い残したので十代目の家治も亡き父の遺志を尊重して田貫兼次を登用してきたのである。
「その九代目になり損なった宗武様のご長男が猿平様なのだ」
又吉は長い説明で喉が渇いたらしく、冷めたお茶をゴクリと飲み干した。
「ははん、つまり猿平としては九代目の言葉が不自由なのにこじつけて自分の父親が将軍の座に就くはずが田貫様の通訳のおかげで問題にならなかったのが気に食わねえんだな」
虎也は話を聞いただけでも反感を覚えて猿平と呼び捨てである。
猿平は父、宗武が九代目の将軍になっていたら自分が十代目の将軍だったのだと田貫兼次と今の将軍様に対して逆恨みの念を抱いているのであろう。
「ふん、自分の従兄弟である上様を暗殺させようとは猿平って奴はとんだ人でなしぢゃねえか」
虎也は改めて聞けば聞くほど田貫兼次が立派な人物であるという思いを新たにしただけで、その田貫兼次を貶めんと策略する猿平などのために働くのは真っ平ご免だと思った。
「いや、お前は知らんだろうが、八代目の吉宗様とて紀州におった頃に自分のお庭番に将軍家の跡継ぎを次々と暗殺させて将軍の座に就いたという噂のあったお方だぞ。まあ、噂だかな――」
又吉は餡ころ餅をまた頬張った。
火消の六人の分が手付かずのまま残されているので、餡ころ餅は食べ切れぬほどある。
「へええ、将軍家がそんな陰謀に満ちていたとはな」
虎也は話半分に聞いておくことにした。
「まあ、猿平様の人柄などはどうでもいい。権力者にまともな人間などおらぬのだから、どのみち目糞鼻糞だ。要はそのうちに田貫様が滅び、猿平様の時代になるということだ。わしよりも先の長いお前こそ猿平様に仕えるのが身のためなのだぞ。なにしろ、猿平様はお前とさほど年齢が変わらぬ若さなのだからな」
又吉は可愛ゆい息子の虎也のためを思えばこその新猫魔の発足なのだと強調した。
田貫から猿平へと勢力が変わる時代が訪れることを確信しているようだ。
「けどよ、猫魔の一族は玄武一家にくっ付いて田貫の勢力の恩恵を授かってきたというのに裏切るのか?」
虎也はやはり乗り気にはなれない。
「ああ、それこそが猫魔の一族だ。いいか。猫は三日で恩を忘れるのだ」
又吉はそう言ってからニヤリとほくそ笑んだ。
さだめし、自分でも上手いことを言ったと思ったのであろう。
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