富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
238 / 312

細工は流々仕上げをご覧じろ

しおりを挟む

「お待たせ致しました」

 茶屋の女中が酒と料理の膳を運んできた。

 待合い茶屋は座敷を貸すだけなので仕出し料理屋から取った料理である。

 恵比寿も仕出し料理屋も蜜乃家も同じ敷地内にある玄武一家の店なので、熊蜂くまんばち姐さんの孫の虎也にとって芳町のこの一角は自分の庭のようなものだ。

 この大年増の女中も素知らぬ顔で接客しているが、普段は「虎ちゃん」などと呼ぶような虎也が幼い頃からの顔馴染みであった。

「ああ、勝手にやるからいい」

 虎也は女中がお酌しようとするのを邪魔そうに手で制し、女中に座敷を下がらせると自分が甲斐甲斐しく児雷也のさかずきに酒を注いだ。

「さ、どうぞ、どうぞ。追っ付け我蛇丸も参りましょうが児雷也殿を飲まず食わずでお待たせしては我蛇丸にわしが叱られまする」

 女中が階段を下りていったのを察すると虎也はまた作り笑顔でペラペラと朗らかな口調で好人物の芝居を続ける。

「では、お言葉に甘えて――」

 児雷也は盃を手に取るや、

「――おや?窓の外に人影が?」

 やにわにハッと驚いた顔で虎也の背後の丸窓の外を見やった。

「――え?」

 虎也は警戒するように背後の丸窓を振り返る。
 
 その丸窓は東側で、サギと坊主頭が裏長屋の二階の窓から覗いているのは南側の腰高窓だ。

「……」

 虎也は背後を振り返ったまま丸窓の外を見渡した。

 丸窓の障子は半分だけ開いていて茶屋の庭木越しに藍染めのぼかしのような夜空が望める。

 何かが動いたように見えたのは茶屋の庭木の枝葉が風にサワサワと揺れているので、そのせいかも知れぬと思った。

 
 その瞬時、

 児雷也はササッと素早く自分の膳と虎也の膳をすり変えた。


「――あっ?今のは何ぢゃ?児雷也は何で膳をすり変えたんぢゃ?」

 サギはまた目をパチクリする。

「ああ、児雷也は茶屋の女中が児雷也の使う盃だか、使うた盃だかをペロペロと舐め廻しておるという噂を聞いたもので、ご丁寧に茶屋では宴の初めと終わりに膳を他の者とすり変えるのだ」

 坊主頭には見慣れたことで珍しくもないらしい。

「ほほお」

 どうりで児雷也の膳をすり変える素早さは手慣れたものだとサギは感心した。

 せんだって、おクキが茶屋の女中が児雷也の盃を奪い合ってペロペロと舐め廻すという噂をシメに話したが、おクキと親しい近江屋の女中のお糸から児雷也の耳へも入っていたのだろう。


「ああ、人影に見えたのは丸窓の障子に映った枝葉の影のようでござりました」

 児雷也はそう誤魔化して、すり変えた盃で澄まし顔して酒をチビリと一口飲む。

「はあ、それはそうと、どうぞ召し上がって下され。おお、秋らしく松茸の炭火焼きとは。これは美味い。さあ、児雷也殿も冷めぬうちに――」

 虎也は膳のすり変えに気付きもせず児雷也に飲ませるために自分も酒をグビグビと飲み干し、松茸の炭火焼きに舌鼓を打つ。

 忍びの習いで酒は飲まぬ虎也だが、児雷也は投剣で人並み以上に目が良いので飲んだ振りは出来ない。

 児雷也も松茸の炭火焼きに箸を伸ばした。

「これは美味しゅうござります」

 サギと同じ血が流れるだけに児雷也もご馳走には目がなかった。

 松茸の炭火焼きをツマミに酒も進む。

「……」

 虎也は盃を口元に運びながら「してやったり」という笑みを浮かべた。

「いやはや、児雷也殿の投剣はまったく見事にござりまするなあ。わしはあまりに我蛇丸が熱心に勧めるもので見に参りましたが、我蛇丸も蕎麦屋さえなければ毎日でも児雷也殿の舞台を見に参りたいといつも申しておるのでござりますよ」

 虎也は調子良くペラペラと作り話をする。

「左様にござりますか」

 児雷也は満更でもなさそうだ。

 そのうちに、

「まっらく、我蛇丸はまら来らい、――な、何ら?酔いぁ廻っれ――き――ら――」

 ペラペラとしゃべる虎也のろれつが廻らなくなってきた。

「どうなされました?」

 児雷也は何事かと身を乗り出して虎也の顔を見つめる。

「――ら、ろう――しれ――」

 虎也の顔付きは朦朧もうろうとして目の焦点が合っていない。

「――たん――ら――」

 そのまま虎也はフラリと上体が斜めになってバッタリと畳に伏し倒れた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

B29を撃墜する方法。

ゆみすけ
歴史・時代
 いかに、空の要塞を撃ち落とすか、これは、帝都防空隊の血と汗の物語である。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯

古代雅之
歴史・時代
 A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。 女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。 つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。  この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。  この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。  ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。  言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。 卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。  【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。  【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?  この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

江戸時代改装計画 

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

処理中です...