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麻の中の蓬
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「ご免下さりまし」
美根は父の根太郎に先んじて、朝早くから桔梗屋を訪れた。
「叔母上様ぁぁ。恥を忍んで申し上げまする~ぅ。どうか、わたくしに二百両をお貸し下さりまし~ぃ。必ずや必ずやお返し致しまする~ぅ。身勝手な願い出とは重々に承知しておりまするが、何卒、なぁにぃとぉぞ~ぉぉ」
挨拶もそこそこに美根はお葉の前にバッと手を付いて頭を下げる。
改まると芝居がかった口調になるのは奥女中の頃の癖で、お城では芝居がかった口調で用件を述べるのが習わしだからである。
「ま、まあ、ええと、あの、美根――さ――ま?」
お葉はすっかり面食らってしまった。
あまりに品格ある武家娘の気迫についつい様付けで呼んでしまう。
姪とはいえ美根と顔を合わせるのは二十年も前のお葉と樹三郎との祝言の日以来であった。
その頃の美根はまだほんの七歳くらいだ。
「――のうのう?番頭さん。あの女子は誰ぞぢゃ?」
サギは廊下から客間を覗きながら一番番頭の平六の半纏の裾を引っ張った。
平六は早くも逆さ箒をこしらえている。
「ほれ、あのイヤぁぁぁな客、白見根太郎の娘だそうにござりますよ」
平六は以前にも増して「イヤぁぁぁな」のところで顔をクシャクシャにしかめた。
「おうっ、思い出した。桔梗屋にとってダニかシラミか油虫のイヤぁぁぁな客ぢゃなっ」
サギはポンと手を打つ。
あの時もサギは客間の話を盗み聞きしていたのだが、根太郎は美根という娘のためにと言って嫁入りの持参金二百両をお葉に用立てて貰っていたのだ。
(そうぢゃ、『わしに似たばかりに不器量で不憫で、不憫で』と二度も言うとったんぢゃ)
たしかに美根はカエル面の根太郎に似て丸顔で目がやたらに大きいが不憫がるような不器量とは思えない。
(むうん、何かに似とるんぢゃが――)
サギは美根と似たものが何だったかと首を捻る。
「先に若旦那様が『白見の伯父が来たら追い返すように』と番頭のわし等に申し付けたことをどこで知ったのやら?娘を代わりに金の無心に寄越すとは」
番頭の平六はいまいましげに逆さ箒をタンッと廊下に立て掛けた。
「叔母上様。その上、厚かましい願い出にござりまするが、どうか、わたくしをこちらで働かせて下さりまし」
美根は父母宛てに書き置きを残し、もう二度と再び帰らぬつもりで下谷の屋敷を出てきたのだ。
「まあっ、こちらで働くとは?つい先日、お嫁入りのための持参金二百両をご用立てしたというのに?」
お葉はいったい美根の嫁入りはどうなったのやらと気が気でない。
「――ええっ?父がこちらに持参金二百両を?」
美根は寝耳に水であった。
「わ、わたくし、そのような話は露知らず、なんと、恥知らずな願い出を――」
父の根太郎が頻繁に桔梗屋に金を無心していたことなど十四歳の年齢から十四年もお城の奥女中を勤めて宿下がりしたばかりの美根には初めて知ることだ。
「いったいどういう事情がおありでお嫁入りをせずに働くなどと?」
お葉は興味津々に身を乗り出す。
「ええ、じ、実は――」
美根は「よくぞ聞いて下さりました」とばかりに、奥女中仲間だった久良の身の上を涙ながらに打ち明けた。
「――まあっ、もっと早くに知っておれば身売りする前に助けて差し上げられたものを――っ」
お葉は貰い泣きしつつ今まで桔梗屋が湯水のごとく無駄遣いした金でいったい何人の娘を苦界から救えたことであろうかと悔やんだ。
「わしにお任せなされまし。その久良様は今日にでも吉原から連れ戻して参りましょう。――ちょいと、誰か?番頭さん?」
お葉は縁側のほうへ首を伸ばして番頭を呼び付ける。
「へ、へえっ」
縁側とは反対側の廊下でサギと一緒に盗み聞きしていた番頭の平六は自分まで貰い泣きしながら大慌てでグルリと縁側へ廻って客間にすっ飛んでいった。
「なあ?吉原の遊女を身受けするには幾らほど入り用かえ?」
「はあ、遊女にもピンからキリまでござりましょうが、ピンならば千両ほどだとか」
「そう、千両はさすがに手持ちがないわなあ」
お葉はしばし考えて、
「――あ、そうだえ。穴蔵に黄金の観音像があったろう?あれと引き換えに久良様を返して貰えまいかと妓楼へ持っていって聞いてみておくれ」
「へ、へえっ」
番頭の平六はさっそく手代と若衆に穴蔵から重たい観音像を引っ張り出させると大風呂敷を被せて大八車に乗せて吉原へ運んでいった。
吉原の妓楼の遊女は二十七歳が定年で、二十七歳を過ぎても借金を返せねば最下級の切見世へ落とされることになる。
昨今は武家娘の遊女など珍しくもなく、二十五歳と薹が立ち、美人とは言い難い狆に似た器量の久良なので妓楼の主は黄金の観音像ならば喜んでとホクホクと引き換えに応じてくれた。
こうして、
お葉はその日の午前中のうちに一人の武家娘を苦界から掬い上げたのであった。
「久良様っ」
「美根様ぁぁ」
久良は番頭の平六に桔梗屋へと連れられてくると、飛び付くように美根と抱き合って泣き崩れた。
「良かったのう」
サギも思わずホロリとする。
以前、若侍八人がすこぶる熱心に吉原遊びの相談をしていたが、若侍にとってはウキウキの吉原でも遊女にとってはそうでもないらしいことが分かった。
「けど、うちで働くと言うても人手は足りておるし、お城の奥女中まで勤めた才媛なのだから教養を生かした仕事でなければもったいないわなあ?」
お葉は武家娘二人を家に引き受けてしまってから、どうしたものかと乳母のおタネに相談した。
なにしろ、上女中のおクキが錦庵へ手伝いに行っていても人手は足りているほどなのだ。
「奥様、手習い所はいかがにござりましょう?前々から佐保師匠が女子の稽古場に手が足りぬと困っておられるようにござりましたが――」
おタネはなるべく武家娘に桔梗屋での自分の領分を侵されぬよう外で働かせることを強く勧める。
そうして、
あっという間に美根と久良は桔梗屋に身を寄せながら手習い所へ師匠見習いとして通うことに決まった。
「めでたし、めでたしぢゃなっ」
「いや、まったく」
サギは逆さ箒を手に番頭の平六と並んで「うんうん」と頷きながら手柄顔した。
黄金の観音像を持って吉原まで行ってきたのは番頭の平六でサギは盗み聞きしただけであったが。
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