227 / 295
賽は投げられた
しおりを挟む「うわっ、汚っい部屋ぢゃのう」
サギは長屋の竜胆の部屋を見るなり顔をしかめた。
相変わらず猫だらけの狭い四畳半の万年床の周りがごちゃごちゃと足の踏み場もなく散らかっている。
「あ~、ちょいと片付けるから」
竜胆はサギを裏庭に待たせて、せっせと部屋の掃除を始める。
竹垣の向こうの蜜乃家の裏庭に面した座敷におマメがいた。
おマメは鏡に向かって顔に美白のウグイスのフンを塗りたくっている。
「おマメ~」
サギは竹垣越しに手をブンブンと振った。
「あれっ、サギさんっ」
だしぬけに竹垣からサギが顔を出したのでおマメはビックリと声を上げた。
「へえ、あんまり久々でビックリした」
サギがお花やおクキと一緒に蜜乃家を訪れた日から何日も経っていないが、あの日、おマメは玄武の親分にビビッて死んだふりをしていたので覚えていないのだ。
十三歳の年端もいかぬ娘が家出したというのに蟒蛇と富羅鳥の誰もおマメの様子を見に来ぬらしい。
母のお縞までほったらかしなのだから娘を預けても安心なほどお縞は熊蜂姐さんに信頼を寄せているのであろう。
やはり、お縞は熊蜂姐さんの手先なのか。
「さすが鬼と蛇の連中ぢゃの。誰もおマメを心配せんとは。血も涙もないとはアヤツ等のことぢゃ」
サギは悪態を付きながら、蜜乃家の女中のおピンが出してくれたお茶をグビグビと飲む。
相変わらず蜜乃家には贔屓の旦那衆からの貢ぎ物の上菓子が山ほどあった。
蜂蜜姐さん、松千代姐さん、半玉の小梅はとっくにお座敷へ出ていて、熊蜂姐さんも出掛けているようだ。
「おマメ、これからはわしが毎晩でも遊びに来てやろうぞ」
サギは親切ごかしておマメに言った。
「どっおせ食べ物が目当てのくせにさ」
おマメは憎まれ口を叩いてみせたが、
「蜜乃家ではね、毎日毎日、仕出し料理のご馳走なんだよ。錦庵では蕎麦ばっかし食べさせられて飽き飽きしてたから家出してきてホント良かったよ。そいで、芸妓は手が荒れてたらいけないって茶碗一つ洗わされやしないしさ。毎日毎日、踊りやお茶の稽古だけさ。三味線はもう教えることは何もないってさ。わっちゃ、踊りの筋も良いんだって。あ、ちょうどこれから晩ご飯なんさ」
さしものおマメも他人の家で心細かったと見えて、サギが来てホッとしたようにペラペラよくしゃべる、しゃべる。
いまだに蜜乃家では口も聞けぬほど借りてきた猫になっているのだ。
「ふんふん、して、今晩のご飯は何ぢゃ?」
サギはあわよくば晩ご飯もご馳走になろうと思った。
桔梗屋で晩ご飯を済ませてから火の用心の夜廻りに出たがサギの人一倍すぐに減る腹はすでにペコペコだ。
「仕出し料理屋はいつも作った料理が余るんでござんすからね。サギさんが食べに来てくれりゃ大助かりにござんすよ」
女中のおピンもサギをもてなすよう熊蜂姐さんから言い付かっているのか、やけに愛想が良い。
すぐに玄武の仕出し料理屋からサギの分まで料理が届いて晩ご飯のお膳の支度が整えられた。
今日も豪勢な宴席の料理に熱々のご飯が付いている。
(うひゃひゃ、ここで毎晩、ご馳走を食べて、竜胆の長屋で遊んで、兄様、いやさ、我蛇丸の奴めが茶屋に現れるのを待っておればええんぢゃ)
(草之介なんぞを元に戻してやるために面倒臭い仕事ぢゃ思うたが、わしのように人助けに尽力する者にはちゃんと天が褒美を与えて下さるものなんぢゃ)
サギはご馳走も自分の仁徳の賜物と思って、
「いただきますぢゃっ」
遠慮なしにモリモリと鯛の刺身を頬張った。
おマメの取り留めのないおしゃべりを「ふんふん」と聞き流しつつ、ご馳走を食べ終えるとサギは竜胆の長屋へ遊びに行った。
一応、おマメも誘ったのだが、博徒の子分と仲良く遊ぶほどおマメはスレた娘ではなかった。
竜胆の部屋はすっきり片付いて、座敷の真ん中には白布が敷いてある。
「――ん?これは何ぢゃ?」
サギは白布の上の小さなツボとサイコロ二個を指差した。
「これは丁半博打の台になる盆布。これは丁半博打に使うツボとサイコロさ。知ってのとおり、玄武一家は博徒だからよ。俺も自由自在にサイの目が出せるようにツボ振りの修行中なのさ」
やおら竜胆は片膝立ちで座り、
「ようござんすか?ようござんすか?」
指先に挟んだサイコロ二個とツボの中を前に向けて見せて左右に流し目を決めてから、
「勝負っ」
シュタッと手を交差させてツボにサイコロを投げ入れ、ツボをひっくり返してタンッと盆布に伏せた。
「おおっ、なんか分からんが格好ええっ」
サギは竜胆の華麗な身振りに目を輝かせた。
「――ピンぞろの丁っ」
竜胆は得意げにニヤリとしてみせる。
だが、
「ぴんぞろのちょー?」
サギは何のことやらと首を傾げた。
「ちっ、そーいや、物知らずだったな。ピンはサイの一の目。一が揃えばピンぞろ。丁半の丁は偶数、半は奇数。二つのサイの目を足した数が丁か半かさ」
竜胆は手っ取り早く説明すると、
改めて、
「ピンぞろの丁っ」
ツボをパッと持ち上げた。
予告どおりにサイコロは二個とも一の目だ。
「おおおっ?」
サギは度肝を抜かれた。
「どうやるんぢゃ?どうやるんぢゃ?わしもサイコロを振って思いどおりの目を出したいんぢゃっ」
興奮して竜胆に掴み掛かる。
賭博師になる訳でもあるまいにツボ振りを覚えたくて仕方ない。
「おう、そいぢゃ、サギにこれをやらあ」
竜胆は箱から新しいツボとサイコロ二個を取り出し、サギに差し出す。
「うわぃ」
サギは大喜びでツボとサイコロ二個を受け取った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
14
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる