224 / 325
安に居て危を思う
しおりを挟む「何でわしがこんなことをせにゃならんのぢゃ」
サギは錦庵の調理場でブツクサと文句を垂れながら洗った器をせっせと布巾で拭いては棚に並べていた。
もう何ヶ月もこうして器を布巾で拭き続けていたような気がする。
しかし、実際には蕎麦の丼鉢をまだ五つばかりしか拭いていなかった。
「ああ、ああ、サギ。もうジットリと湿っとる布巾で拭きよる奴があるか。まめに乾いた布巾に取り替えんかい」
シメがやかましく咎めて竹竿に干してあった布巾を取るなり、いきなりサギに投げ付ける。
「わわっ」
サギは飛んできた布巾を慌てて掴み取った。
――が、
ガチャンッ。
なんたる不覚。
布巾を取った代わりに手に持っていた丼鉢を落とし割ってしまった。
「ふ、不意討ちとは卑怯なりぢゃぞっ」
サギはあたふたして『自分は悪くない、シメが悪い』とばかりにシメを非難する。
「かあ、情けないのう」
シメは嘆かわしげに首を振った。
店に手伝いのおクキがいなければ『富羅鳥の忍びともあろう者が――』としつこく小言を続けたことであろう。
「きゃっきゃっ」
シメが背におぶっている赤子の雉丸までもがサギを小馬鹿にして笑っているかのようだ。
「くうぅ」
サギは悔しげに足元に散らばっている割れた丼鉢の欠片を睨んだ。
「ほれ、サギ」
ハトが箒と塵取りを持ってきてくれたのでサギはしぶしぶとしゃがみ込んで丼鉢の欠片を拾った。
(ふいぃ、あんまり久々ぢゃから勘が鈍ったんぢゃ――)
サギは忍びばかりで油断ならぬ錦庵を家出してから暢気な桔梗屋でのほほんと暮らすうちにすっかり気が揺るんでしまったのだと自分に言い訳した。
(ハトは優しいが、あとは鬼と蛇の連中ぢゃからの。とことん性悪なんぢゃ)
心の内でブツクサと悪態を付く。
そもそも洗い物などしたこともなく器を布巾で拭いたのも初めてだったのだ。
丼鉢の欠片は床板の蓋の上まで散っている。
「ちっ、隙間に入っとる」
サギは面倒臭そうに蓋の手掛け部分の溝に入った細かい欠片を箒で掃き出した。
その時、
(――あっ)
サギはハッと思い出した。
以前、ハトがこの床板の蓋を開けて床下の貯蔵庫から鳥の味噌漬けを取り出した時のことを。
かなりの深さに掘り込まれた貯蔵庫は石できっちりと四方を囲まれていた。
縄の付いた竹籠が底に吊るしてあり、取り出す時は井戸の釣瓶のように縄を巻き上げる仕組みであった。
(これは、穴蔵と同じようなものぢゃっ)
『金鳥』の玉手箱はこの床下の貯蔵庫の中に違いない。
忍びの勘だ。
つい今しがた『勘が鈍ったんぢゃ』と思ったばかりであるが、サギは確信した。
そこへ、
「しっぽくを二人前だわいのう」
おクキが注文を伝えに暖簾口から顔を出し、訝るような目付きでサギを見やった。
おクキの目はサギの横顔とその視線の先の床板とを交互に見比べる。
「ぬぅ」
とたんにおクキの目は険しくなり、眉間になにやら、すこぶる迷惑そうな皺が寄った。
「……」
サギは丼鉢の欠片を拾う手も止めたまま、ひたすら床板を睨みながら考えを巡らせていた。
(むうん、店を開いている最中は『金鳥』を取り出すのは無理ぢゃ)
(あ、そうぢゃ。さっき兄様は今度、恵比寿とかいう茶屋へ行くと言うて、お縞に着物を選んでもろうてたんぢゃ)
(当然、茶屋へ行くのは錦庵が店仕舞いした後ぢゃろ)
(その留守を狙って店に忍び込んで『金鳥』から金煙をちいとばかし頂戴すればええんぢゃ)
(茶屋へ行く日がいつかは聞いとらんが、火の用心の夜廻りついでに芳町で張り込みするんぢゃ)
(兄様が茶屋へ入ったのを見届けて錦庵に忍び込めばええんぢゃ)
茶屋で誰かと逢い引きをするならば座敷を貸し切る一切り(約二時間)は居続けるに違いない。
それだけあれば『金鳥』の玉手箱を貯蔵庫から取り出して金煙を小瓶に移すくらいの仕事は余裕ではないか。
(お茶の子さいさいぢゃ)
サギはしめしめとほくそ笑んだ。
その間、
「……」
おクキが暖簾から顔を半分だけ覗かせてサギの様子をじっと窺っていたが、サギはおクキの視線にまるで気付かなかった。
おクキは稲荷神社の狐の石像と同じくらい微動だにせず、その気配を消していたのだ。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる