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忍びの地獄耳
しおりを挟む「ぬ、盗人めっ、さては塀を乗り越えて逃げたかっ。追え、追えいっ」
町方同心は焦ったように十手を振り上げて塀の外を指し示す。
自分が挟み撃ちを命じたものの盗人を見失ったのでバツが悪く一刻も早くこの場を立ち去りたいのであろう。
「御用だ、御用だ」
町方同心と小物等はわらわらと裏木戸から通りへと走り出ていった。
(――むうん?)
サギは先ほどからずっと草之介の重たい足音が行く先を忍びの地獄耳で追っていた。
(妙ぢゃぞ。さっき草之介の足音は中庭へ入っていった)
草之介が走り込んだ路地からは屋敷の外壁を通り抜けねば中庭へ出るのは不可能なはずだ。
(壁のどこかに隠し扉があるということか?)
サギはハタと思い出した。
この桔梗屋は下女中十人の亭主である大工等が建てた屋敷だということを。
先代の弁十郎は不測の事態に備えて用心深く屋敷に隠し扉を作らせていたに違いない。
それで秘密厳守のために大工等を桔梗屋の裏長屋に住まわせて、その女房等も下女中に雇って良い待遇にしているのであろう。
(むうん、こりゃ、からくり屋敷かも知れんのう)
サギは改めて桔梗屋の広い屋敷を見渡した。
その夜五つ。(午後八時頃)
サギは奥の間でお葉にコソッと穴蔵での一件を説き明かした。
「――ええっ?年寄りの『銀鳥』?うちにそんなものが?それで、あの盗人が草之介だと?」
お葉は驚いてサギの顔を見返す。
「うん、そうぢゃ。銀煙を吸うて四十歳ほどの肥えた姿ぢゃが間違いなく草之介ぢゃ。草之介も『銀鳥』のことは知らんかったと言うておったがのう」
「ああ、わしもお父っさんからは『金鳥』のことしか聞いておらんかったわなあ。まあ、けど、どうりで。わしはあの盗人にどうも見覚えがあるような気がしたんだえ。わしの母方のお爺っさんによう似ておったんだわなあ」
「お葉さんのおっ母さんのお父っさんか?」
「そう、わしのおっ母さんは京の菓子屋の娘でなあ。お父っさんは京で菓子屋の株を買うて、菓子屋の娘を嫁にして江戸へ戻ってから桔梗屋を始めたんだわなあ」
「ほほお、お葉さんのおっ母さんは京の人なんぢゃな」
聞けばなるほど生まれも育ちも江戸といってもお葉のおっとりした言葉に江戸っ子らしさは些かもない。
「おっ母さんもお爺っさんもふくよかな人だったわなあ」
桔梗屋の子等は草之介とお花は母のお葉に似ていて、実之介とお枝は父の樹三郎に似ている。
お葉のふっくらした容貌を見ると草之介も年を取るほど肥える体質なのであろう。
毎晩毎晩、料理茶屋の美食三昧でろくすっぽ身体を動かさぬのだから肥えてしまっても無理はない。
「まあ、とにもかくにも草之介が無事に逃げおおせて良かったえ」
お葉はホッと安堵の息を吐く。
もし、あの時、草之介が捕まってお縄になっていたらと思うと今更ながらに肝が冷える思いがした。
「それで、草之介は今どこに?」
お葉は探し物のようにキョロキョロする。
「大丈夫ぢゃ。草之介なら二階におる」
サギは目をクリッと向けて天井を見上げた。
草之介は中庭から縁側に上がって二階の自分の部屋へ入っていったとサギは見当を付けていた。
忍びの地獄耳で重たい足音が階段を上がっていくのを聞いていたのだ。
「ほれ、台所の小母さん等に小腹が減ったと言うて、おにぎりをこしらえて貰ったんぢゃ。草之介に持っていってやる」
サギはおにぎりが五つ詰まった重箱を見せる。
「ああ、安心した。サギ、頼んだえ」
お葉は感謝の眼差しでサギに手を合わせた。
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