216 / 312
三十六計逃げるに如かず
しおりを挟む(いや、これは草之介なんぢゃが、四十歳ほどで肥えとるが、草之介なんぢゃが――)
サギは草之介の変貌を何と誤魔化したら良いものか分からず金ピカの観音像の脇で口をパクパクさせる。
「盗人め、番所へ突き出してやるっ」
手代三人が草之介を穴蔵から強引に押し出し、土蔵の外へ引っ立てた。
「いや、あの――」
サギは「待った、待った」と言わんばかりに両手をバタバタと振りながら後を追って土蔵を出る。
裏庭の明るい日射しの下へ出ると草之介の変貌ぶりが余すところなく鮮明になった。
どこから見ても四十歳ほどの肥えた姿に美男の頃の草之介の面影は片鱗も残っていない。
「手足を縛っておくか」
「誰か縄を持ってきておくれ」
金太郎と銀次郎の二人がグイッと草之介の手を後ろに廻す。
「痛たた、は、放さんかっ。わしだ。草之介だっ」
草之介はもがきながら喚いた。
後ろ手に縛られては敵わない。
「金太郎っ、銅三郎っ、わしが分からんのかっ?」
しかし、四十歳ほどの肥えた草之介が何を喚いたところで信じる者などいる訳もない。
「何をほざくかっ」
「うちの若旦那様は十九歳のスラッと姿の良い評判の美男だぞっ」
「貴様のようなデブの老いぼれが図々しいっ」
手代三人はもがき暴れる四十歳ほどの肥えた草之介を地べたに押さえ込む。
ゴトッ。
バタッ。
草之介の身幅の足らぬ着物の前合わせがはだけて、懐から革張りの箱が二個こぼれ落ちた。
「ああっ」
「これは穴蔵に仕舞ってあった南蛮渡来の品っ」
「盗人の動かぬ証拠だっ」
万事休す。
このままでは草之介は盗人としてお縄になってしまう。
「あ、あわ、あわわ」
サギが口をパクパクさせながら助けを求めるように裏庭を見渡すと、
茶の間の縁側にお葉、お花、実之介、お枝、
それを護衛するように縁側の前で物干し竿を構えて立ちはだかる下女中十人、
裏庭には番頭三人、若衆三人、小僧四人、熟練の菓子職人四人、見習いの甘太、
集まりも集まったり、桔梗屋が大集合だ。
そこへ、
タタターッ、
「盗人はそやつにござりまするかっ」
乳母のおタネが薙刀を振りかざし、恐ろしい形相で突進してきた。
「わ、わあっ」
あまりのおタネの迫力に手代三人までもがビビった。
一瞬、手代三人に隙が出来る。
その隙を逃さず、
「ええいっ」
ガツッ!
「ぐわっ」
草之介は銀次郎に頭突きをかまし、
ドカッ!
「ぐふっ」
金太郎の股間に膝蹴りを見舞い、
バッ!
銅三郎の手から刺又を奪い取った。
「ちょこざいなっ。盗人っ。きええいっ」
おタネが薙刀を草之介に振り下ろす。
「とやあっ」
カンッ!
草之介は刺又で薙刀を打ち払った。
(――ああっ?草之介は剣術をやるのかっ?)
サギはビックリと目を丸くした。
刀ではなく刺又ではあるが基礎からしっかりと剣術の稽古をした者の構えだ。
そういえば、以前、草之介の意外な俊敏さに驚いたことがあったではないか。
「きええいっ」
カン!
カン!
「やあっ」
カン!
カン!
薙刀と刺又でおタネと草之介の打ち合いが続く。
なかなかの接戦だ。
ただ、惜しむらくは草之介が四十歳ほどの肥えた姿ということである。
せっかくの勇ましい見せ場だというのに。
「はあっ、はあっ」
草之介は息切れでヘトヘトになってきた。
「……」
おタネは息も乱さず薙刀を構えてジリジリと間合いを詰めて草之介に迫る。
その時、
ピーーッ、
ピーーーッ、
甲高い呼子の音が響いた。
「盗人を捕らえよっ」
紫色の房の十手を振り上げた町方同心の指揮の下、「御用だ、御用だ」と六人の小物がわらわらと裏庭へ駆け込んできた。
小物というのは町方同心が捕り物の手伝いに雇っている者のことである。
「う、うわっ」
草之介は焦って刺又を小物等に投げ付け、身を翻して裏庭から路地へ出る。
「待ていっ」
「向こう側へ廻れっ。挟み撃ちにしろっ」
町方同心の指図で、小物等は二手に分かれて路地へ廻る。
だが、草之介は挟み撃ちにはならず二手に分かれた小物等は路地でお互いに鉢合わせしただけであった。
長い棟がHの字に五棟も組み合わさった複雑な屋敷の構造を知らぬ追っ手を出し抜き、
草之介はまんまと逃げ失せたのであろうか?
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
矛先を折る!【完結】
おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。
当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。
そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。
旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。
つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。
この小説は『カクヨム』にも投稿しています。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
大陰史記〜出雲国譲りの真相〜
桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯
古代雅之
歴史・時代
A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。
女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。
つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。
この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。
この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。
ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。
言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。
卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。
【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。
【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?
この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる