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草之介の変貌
しおりを挟む(――そ、草之介っ?)
サギは裏庭に転がったままハッと思い出した。
かつて富羅鳥城でご正室の凰子様が『金鳥』の金煙を吸い過ぎて産まれる前の血塊にまで戻ってしまったという痛ましい話を。
(年寄りの銀煙を吸い過ぎたら――?)
シワシワのヨボヨボで腰が曲がった白髪の年寄りになった草之介が朽ち果て、白骨化していく姿が脳裏に浮かぶ。
(ひいぃ――っ)
自分の想像だけでサギは震え上がった。
その時、
「ひゃああっ」
「わあっ、待てえーっ」
台所の裏庭のほうから下女中五人の悲鳴と菓子職人見習いの甘太の叫び声がするや否や、
バッサ、
バッサ、
六羽の軍鶏が一斉にこちらへ逃げてきた。
さらに、
スタタターッ、
何匹もの猫が軍鶏を目掛けて突進してくる。
これぞ猫まっしぐらという勢いだ。
猫は十二匹はいるであろうか。
いつ産まれたのか四匹はまだ仔猫だ。
「グアッ、グアッ」
「シャーッ」
軍鶏六羽と猫十二匹の格闘が始まった。
元来、闘鶏なだけに軍鶏はすこぶる気性が荒い。
バッサ、
バッサ、
羽ばたいて飛び廻る軍鶏六羽、飛び掛からんとする猫十二匹。
「グアッ、グアッ」
「シャーッ」
突如として阿鼻叫喚の巷と化した裏庭。
バッサ、バッサ、
バッサ、バッサ、
縦横無尽に飛び交う軍鶏六羽の鋭い嘴と猫十二匹の剥き出しの爪の雨あられだ。
「ひええっ」
「きゃあっ」
「うわあっ」
「ひいぃっ」
多勢に無勢、サギ、お花、実之介、お枝は地べたに顔を臥せて身を守るしかなかった。
「痛てっ、こ、このっ、待てっ」
バッサ、バッサ、
見習いの甘太は引っ掻き傷だらけになりながら軍鶏を捕らえんとして竹籠を何度も地べたに振り下ろすが、ことごとく空振りする。
すると、
「グアッ、グアッ」
軍鶏六羽が土蔵の中へ逃げ込み、猫十二匹が追っていった。
ガタン、
ガタン、
ドタッ、
バタッ、
軍鶏六羽と猫十二匹が暴れ廻る物音がけたたましく響く。
「わあっ、こらっ、あっちへ行けっ」
穴蔵の中から草之介の叫び声が聞こえた。
(そ、草之介っ?無事ぢゃったかっ?)
サギはパッと顔を上げる。
草之介に追い払われたのか猫が何匹かタタターッと連なって裏庭へ飛び出てきた。
仔猫は仔猫のままだ。
(――ぎ、『銀鳥』はっ?)
サギはつんのめりそうに慌てて土蔵へ駆け込んで、開口から穴蔵を覗き込んだ。
いつ消えたのか穴蔵は蝋燭の火も消えて薄暗い。
(あ、あった。玉手箱ぢゃっ)
穴蔵の床に『銀鳥』の玉手箱が落ちているが、蓋はちゃんと閉まっている。
サギはヒラリと飛び下りると用心深く玉手箱の紐をきつく結んで、落ちていた紫色の風呂敷にしっかりと包んだ。
「――草之介?」
キョロキョロと穴蔵を見渡すと、金ピカの観音像の台座の横に草之介が身を屈めて丸くなっていた。
丸くなって――。
「そ、草之介――か?」
サギは怪しむように草之介を見た。
「わ、わしはいったい――?」
草之介は身体に異変があるものの何が自分に起きたのか理解しておらずキョトンとして振り返った。
「う、わ――っ?」
サギは思わずギョッとして尻餅を突く。
「……」
唖然、呆然、口をポカーンと開き、目を皿のように見開いて草之介の顔を凝視する。
その草之介の変貌ぶり。
年の頃は四十歳ほどであろうか。
それよりもなによりも、その変わり果てた体型。
でっぷりと肥えて顔は真ん丸の二重顎だ。
元々がスッキリと細身の美男だけにあまりの変わりようである。
「う、ぐぅ、は、腹が、く、苦しい――」
突然、草之介が四つん這いに倒れて呻いた。
「ど、どうしたっ?――あ、なんぢゃ、いきなり肥えたので帯が下っ腹に食い込んどるだけぢゃ」
サギはホッと安堵した。
草之介は白骨化もしなかったし、ヨボヨボの爺さんでもなし、四十歳ほどならまだまだ壮健で何も心配はなさそうだ。
「どれ、うんしょ、結び目がきつく締まって固いのう」
サギは草之介の背中へ廻って帯を緩めて巻き直してやる。
「ふはぁ~っ」
草之介は腹の締め付けを解かれて大きく息を吐いた。
下着の襦袢の腰紐や三尺の紐は細いので肥えた弾みで引きちぎれてしまったようだ。
「い、いきなり肥えただと?な、何で、わしの身体が?その玉手箱はいったい?煙が噴き上がったので、すぐさま蓋を閉じたが――」
草之介の頭の中は謎で溢れ返っていた。
まず、自分のタプタプの分厚い腹が信じられない。
「これは『銀鳥』の玉手箱ぢゃ。草之介、お前もよう知っとる若返りの『金鳥』とはあべこべに年寄りになる銀煙が噴き上がるんぢゃ」
「と、年寄りにっ?そんな玉手箱まであったのか?わ、わしは年寄りになってしまったのか?」
何故にサギが『金鳥』や『銀鳥』のことなど知っているのかを訝る余裕は草之介にはない。
草之介はおそるおそる両手で自分の真ん丸になった顔を触ってみた。
「あ、ああっ?顎が、首がないっ?」
あのスッキリした細い顎と細い首はどこへやら。
「なに、年寄りになったというても四十歳ほどぢゃ。肥えたというても丸正屋の熊さんほどぢゃから安心せえ」
サギは他人事だと思って気楽に草之介の背中をポンと叩いた。
「う、うう」
草之介は『金鳥』を知っていただけに『銀鳥』にもそれほどは驚かぬようだが自分のぼってりした二重顎に絶望的な顔になった。
「うんしょっと」
サギは四つん這いの草之介の腰に自分の片膝を掛けるようにして帯をギュッと結んでやる。
そこへ、
「――ぬ、盗人だあっ」
頭上から見習いの甘太の大声がした。
「――っ?」
サギと草之介がハッと梯子段を見上げると見習いの甘太とお花がビックリ顔して開口から覗き込んでいる。
二人共、髪や着物に軍鶏の羽根をくっ付けて顔は土埃だらけだ。
「だ、誰かあっ、早うっ。盗人が穴蔵におるっ。今、サギが捕まえたわなっ」
お花が大声で叫びながら裏庭へ走り出ていく。
ちょうどサギが四つん這いの草之介の帯を結んでいた体勢が盗人を取り押さえたところに見えたらしい。
「いたぞっ」
「盗人めがっ」
「神妙にしろっ」
手代三人が手に手に刺又を構え、口々に叫びながら土蔵へ飛び込んできた。
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