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長いものには巻かれろ
しおりを挟む一方、
ここは日本橋の羽衣屋。
「うぐえ」
「げぷ、もう食えねえぇ」
「うっぷ」
座敷にバタバタと倒れ込んだ火消六人が餡ころ餅にえずいていた。
「虎也ぁ、ヤケ酒ならぬヤケ餡ころ餅も大概にしろよ」
火消等はゲンナリと山盛りの餡ころ餅を見やった。
「ばっきゃろっ、酒なんざ食らって火事でも起きたらどうすんだっ」
虎也はヤケ食いに餡ころ餅を口に掻き込む。
「あああ、ヤケになっても妙に律儀なんだからなあ」
「憂さ晴らしなら岡場所へ繰り出してパアッとよお」
「ダメダメ。虎也は女にゃ興味ねえからよ」
「そいぢゃ、陰間茶屋でもいいからよお」
「陰間は高けえよお」
みな血気盛んな年若い火消なのだ。
餡ころ餅のヤケ食いに付き合うよりは色町で派手にドンチャン騒ぎたい。
「うっせえっ、とっとと消え失せろっ」
虎也は振り向き様に餡ころ餅の刺さった竹串を投げ付けた。
ブスッ。
「うわっ」
ちょうど火消の髷の先っちょに竹串が突き刺さる。
「あっぶねえな」
「危うく串刺しにされるとこだ」
「おう、仰せのとおりに消え失せようぜ」
「くわばら、くわばら」
火消六人は愛想尽かして羽衣屋を出ていった。
「ちくしょうっ、どいつもっ、こいつもっ、気に入らねえっ」
虎也は八つ当たり気味に竹串で餡ころ餅をブスブスと突き刺す。
先日、熊蜂姐さん、否、お熊婆さんが猫魔の一族へ我蛇丸を引き入れようとしていると知って以来、虎也は荒れに荒れていた。
どうにかしてお熊婆さんをギャフンと言わせてやりたい。
しかし、虎也には何の考えも浮かばなかった。
「ちくしょうぉぉ」
なにをしたところで猫使いである我蛇丸に嫉妬して僻んでいると思われるのがオチなので、みっともない真似は出来やしない。
そこへ、
背後から怪しげな男が近付いてきた。
黄色と紫色の横縞の陣羽織という悪趣味な行商人の格好をしている。
「ふほほ、荒れておるな。――猫魔の虎也殿?」
男は虎也の耳元にコソッと囁く。
「……?」
虎也は振り返って訝しげに男を見た。
男は行商のお面売りらしく、辛子色の頭巾を被り、顔にキツネのお面を着けている。
手に持った丁字の竹竿には売り物の張り子のお面がキツネ、タヌキ、お多福、ひょっとこ、赤鬼、青鬼と連なっている。
「おぬしにうってつけの仕事があるのだが、訊きたくはないかえ?」
男は柱にお面の連なった竹竿を立て掛け、虎也の前にどっかりと胡座を掻いた。
「一つ、タヌキ退治に手を貸して欲しいのだ。目障りなタヌキめを懲らしめてやらねばならんのでな」
キツネのお面で顔は分からぬが嗄れ声を聞く限りでは年の頃は五十代後半といったところか。
「無論、カメがタヌキの仲間でネコはそのカメの飼い猫と承知してのことだ」
遠廻しに言っているが、タヌキは老中の田貫兼次、カメは玄武一家、ネコは猫魔の忍びのことであろう。
「タヌキに恨みでもあるらしいな」
虎也は男をまじまじと観察した。
行商人の身なりをしているが武士に違いない。
田貫兼次に恨みを持つ武士は多いので、今更という気がする。
「ああ、あのタヌキめはちいとばかり顔が美しく知恵が廻るので足軽の倅の分際で上様に取り入り、男色で出世した小姓上がりの色ダヌキだ。あの小賢しいタヌキにこれ以上、我々の庭を荒らされてなるものか」
男は憎々しげに吐き捨てる。
低い身分ながら高い能力で老中まで異例の大出世を遂げた田貫兼次を妬んで逆恨みし、田貫の悪評を流しているのは高い身分ながら無能の上級旗本らしいが、この男もその手合いか。
「――ふん」
虎也はどうでも良さそうに聞いていた。
「来月のたぬき会にやって欲しい仕事があるのだ」
男はコソッと虎也に耳打ちした。
「――えええっ」
虎也はのけぞる。
いきなり大仕事にもほどがある。
だいたい虎也は猫魔の若頭とはいえ忍びの仕事など一度もしたことはないのだ。
「勿論、断ればおぬしの命はない。となれば、やるしかあるまい。ふほほ」
「どっちにしても捕まったら死罪だろうが?俺に何も得がねえだろうが?」
「案ずるな。決して捕まることはない。おぬしの身は反タヌキ派が守ってやる。いずれタヌキが滅び、我々の天下が訪れる。我々のほうへ付くのが先見の明ある賢いネコというものぞ」
男は自信たっぷりだ。
よほど後ろ楯に大物の権力者が控えているのか。
「俺に反タヌキ派の飼い猫になれと?」
虎也は苦々しい顔になった。
田貫兼次と玄武一家が親密だからこそ猫魔の一族はその恩恵に預かっているのだ。
それというのも田貫兼次の妻は元は矢場で矢取り女をしていた看板娘の美人であるが、矢場は玄武一家の店でその美人は玄武の親分の腹違いの妹であったのだ。
「ふほほ、おぬしが案ずることくらい分かっておる。なにも飼い猫になれとは言わん。おぬしは今までどおりに猫魔として素知らぬ顔で暮らしながら陰でコソッと我々の仕事を引き受ければ良いだけなのだ」
「陰でコソッと?」
そういえば、それこそが忍びというものだ。
わざわざ今日から反タヌキ派に付くなどと高らかに宣言する必要もない。
「俺が裏切ってカメにペラペラしゃべるとは思わねえのか?カメは忠義にタヌキにたぬき会の妨害の企みを報せるだろうぜ?」
「なに、事前に知られたところで痛くも痒くもない。おぬしがなにを言うても証拠がない。口約束だからのう」
「……」
どちらにしても虎也に何の得もないのだが。
たとえ多額の報酬を出すと言われたとしても虎也は桔梗屋の草之介から受け取った五百両も手付かずでビタ一文も使っておらぬのだから金は有り余っているほどだ。
「そうだの。もし、我々を裏切ったら、おぬしの大事な者をヒドイ目に遭わせるとでも言うておくかのう」
男は愉快げに言う。
「へっ?俺にはそんな者は一人もいねえぜ?」
虎也は鼻で笑った。
自慢にもならぬが十九歳の今まで恋仲の一人としていた例はないのだ。
「ふほほ、そうかな?」
男は懐に手を突っ込む。
「フニャ~」
トラ猫が寝惚け面で男の懐から顔を出した。
「――と、とらじろうっ?ま、まさかっ?」
虎也は愕然とした。
自分の長屋の一軒にいるはずの愛猫のとらじろうではないか。
放し飼いなので通りで捕まえることは出来ようが、よもや、とらじろうが怪しい男の懐にゴロゴロと入っているような馬鹿猫だったとは。
「ふほほ、このトラ猫はたぬき会が終わるまで預かっておく。トラ猫が無事に帰るか、トラ猫の三味線となって帰るかは、おぬし次第だ。ふほほ」
男はトラ猫をまた懐に押し込んで座敷を出ていった。
「とらじろう――」
虎也は半泣きになった。
思わぬ事態になってしまった。
とらじろうの命を守るためには自分が反タヌキ派の企みに加担せねばならぬのか。
不本意ではあるが忍びとして初仕事ではある。
(たぬき会か――)
虎也は我知らず武者震いを覚えた。
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