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芝居茶屋
しおりを挟むあくる日、
サギとお花と乳母のおタネはテケテケと日本橋境町へやってきた。
色町の芳町の横あたりが芝居町の境町と葺屋町である。
「ほおお、すごい人ぢゃのう」
サギは振り袖姿で仁王立ちして通りを眺めた。
日本橋はどこでも人、人、人でごった返しているが芝居小屋の前はさらに黒山の人だかりだ。
「さっ、早う芝居茶屋へ――」
おタネが力付くで人混みを押し退け、サギとお花は芝居小屋の向かいにある芝居茶屋へ入った。
「これはこれは、毎度、ご贔屓に――」
芝居茶屋の番頭が愛想笑いで出迎える。
桔梗屋は芝居小屋の再建の際にしこたま寄付をした別格の上客であった。
江戸三座といわれる中村座、市村座、森田座には明和の大火の復興に日本橋の大店がこぞって再建のための寄付をしたのだ。
「いつもの西桟敷にお席をご用意してござります」
番頭が絵番附をお花とサギに手渡す。
絵番附とは芝居の演目の配役や見せ場が絵入りで書かれたもので芝居茶屋が客に配っている。
「うわあ、絵がいっぱいぢゃあ」
サギは美麗な絵番附に大喜びした。
「――ん?」
お花はつい普段の芝居見物の調子で芝居茶屋の座敷に上がってからハタと気付いた。
「あれ、おタネ?あたしゃ平土間の真ん中の鶉枡を一枡取っておくれと頼んだのに、何で桟敷席なんだわなっ」
いきなり乳母のおタネに文句を言う。
今日は幕臣八人と武家娘の見合いを見物するのが主な目的なのだから見合いの武家娘と同じ西桟敷に座ったら武家娘の顔が見られぬではないか。
「おや、お花様はいつも西桟敷がお気に入りでござりましたでしょう?」
おタネはキョトンとする。
葦簀張りの見世物小屋でもあるまいに桟敷席がある芝居小屋でわざわざ平土間の鶉枡が良いなどという訳が分からない。
鶉枡とは平土間を一間四方(ほぼ畳二枚分)に区切った枡席で一枡に六人くらい座ることが出来る庶民の席だ。
「今日はいつもと違うて平土間がええんだわな。平土間の真ん中の鶉枡の客にこちらの桟敷席と取り替えてくれるよう頼んでおくれ」
お花が我が儘っぷりを発揮して、芝居小屋の桟敷番が平土間の客に話を付けてきた。
桟敷番はそれぞれの芝居茶屋の名を記した座席の見取り図を持って客を席へ案内する仕事である。
庶民には高値の桟敷席に平土間の料金で座れるのだから鶉枡の客は喜んで席を替わってくれるであろう。
「ほおお」
サギは芝居茶屋の女衆が持ってきた高坏に盛られた菓子に目を輝かせた。
黒漆塗りの高坏に和紙が敷かれて紅白の菓子が山盛りになっている。
まずは芝居茶屋でのんびりしてから芝居小屋へ移って芝居見物するのだ。
江戸時代の芝居は明け七つ(午前五時頃)から暮れ七つ半(午後五時頃)まで公演していた。
だが、あまりに公演が長いだけに人気役者の見せ場の他は脇役が延々としゃべっているだけで退屈である。
「面白い見せ場だけ見たらええわな」
芝居見物など珍しくもないお花は人気役者の出番しか見るつもりはない。
「うん、面白い場面だけでええ」
サギは人気役者など誰も知らぬので芝居には大して興味はなく幕の内弁当のほうが楽しみである。
「そいぢゃ、昼のちょっと前に芝居小屋に入ればええわな」
「うん、小半時くらい待ってから幕の内弁当が来るのがちょうどええんぢゃ」
サギとお花が菓子を摘まみながらお茶をしていると、
「ほほほ」
その座敷の脇を美根とお桐が談笑しながら通り過ぎていった。
しかし、サギは菓子を見ていてお花は絵番附を見ていたので見違えるように美しいよそゆき姿のお桐にはまったく気付きもしなかった。
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