富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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芝居蒟蒻芋南瓜

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 その先刻、桔梗屋では、

「きりこ~、きりこ~♪何誰様どなたさま細工~、児雷也様のお手細工てざいく~、お手細工~♪」

 お花が裏庭に面した座敷でせっせと刺繍を刺していた。

 この頃は踊りや長唄の稽古から帰って昼ご飯を食べるとオヤツ休憩を挟んで晩ご飯までは刺繍の稽古という熱の入れようなのだ。

 そこへ、

「ただいまっと」

 サギがお枝と裏木戸から帰ってきた。

「ほおら、やっぱり手習い所なんぞつまらんかったんだえ?」

 お花は「そら見たことか」という顔をした。

 どうせサギのことだから昼の弁当を食べたらとっとと帰ってくると踏んでいたのだ。

「おうっ、つまらん。お花の言うとおりっ、まったくつまらんところぢゃ。わしゃ席書会までズル休みすると決めたんぢゃっ」

 サギは大きく頷いてズル休み宣言した。

「うん、それがええわな」

 お花もズル休みに賛成する。

 そもそも、お花は七歳の初午に手習い所に入門したが翌年に明和の大火で日本橋一帯が焼け野原になり、田舎に四年も疎開していたのでちょうど都合良く手習い所に通わずに済んでいたのだ。

 江戸へ戻ってから通った女師匠の女筆めふで指南所は弟子もお花を含めて三人ほどで席書会などもなく、至って生易なまやさしい稽古であった。

「おや、サギさん、お枝坊様までお戻りにござりまするか。お花様?明日あすの芝居見物のお支度は宜しいのでござりますか?」

 乳母のおタネが縁側へやってきた。

「あっ、そうだわな。芝居見物は明日あすだわなっ」

 案の定、お花は刺繍に夢中でコロッと忘れていた。

 明日は武家の見合い見物ついでの芝居見物ではないか。

 母のお葉といい、兄の草之介といい、面喰いと忘れっぽいのは血筋らしい。

「そういや、明日ぢゃっけ?」

 サギも色々と慌ただしくコロッと忘れていた。

「おタネ、あたしゃ刺繍で手が離せんから振り袖を出して広げておいておくれな。そうだわな、古代唐花の柄にするわな。サギのも色違いで支度してな」

 お花は秋物の振り袖の中でもなるべく控え目な柄を選んだ。

 人様の見合いに自分が着飾って目立とうとするほどお花は不粋ではないのだ。

「へ?色違い?わしも振り袖を着るのか?」

 サギは心底イヤそうな顔をした。

 動きづらい振り袖は舟遊びの時でりだ。

「だって、芝居見物にそんな筒袖とたっつけ袴なんぞで行けんわな。振り袖は曙色あけぼのいろ瑠璃色るりいろの色違いだからサギには瑠璃色が似合うわな」

 お花はサギとまたお揃いの振り袖を着て出掛けるのが楽しみでウキウキした。

 祖父の弁十郎は妹のお枝が産まれて八ヶ月後に亡くなってしまったが姉妹を分け隔てせずに同じ振り袖を色違いで誂えてくれたのでお揃いで二着ずつある。

「へえ、それでは振り袖と帯と出しておきましょう」

 おタネも芝居見物に付き添うのでウキウキと足取り軽く二階へ上がっていった。


 その昼七つ。(午後四時頃)

「毎度ぉぉ、小間物のご用はぁぁ?」

 裏木戸に行商人がやってきた。

 しかし、あの震え声は。

「八木殿っ?なんぢゃ?その格好は?」

 サギは頭のてっぺんから足の先まで八木を見た。

 お庭番の八木明乃丞は行商人にふんしていた。

 木綿の着古した着物を尻はしょりして股引ももひき、頭に手拭いを被って草鞋わらじ履き、大きな長四角の風呂敷包みを背負っている。

「あれまあ」

 お花も頭のてっぺんから足の先まで八木を見る。

 いつもの羽織袴で二本差しの武士の姿と比べると、こちらのほうがさまになっているような気がしないでもない。

「いやぁぁ、武士はお供を連れねば出歩くこともままならぬゆえ面倒なのでござるぅぅ。それで行商人の姿でぇぇ」

 八木はよっこらせと風呂敷包みを縁側へ下ろした。

「へええ」

 お花はお庭番がお城のお庭の警備と聞いていただけで将軍様の密偵などとは知らぬので目を丸くした。

 お庭番が武士の身分を隠して行商人などに扮するのはよくあることだ。

 八木は明次郎めいじろうという偽名で行商人の鑑札もちゃんと持っている。

 お庭番が変装の際には日本橋通旅籠町とおりはたごちょうの大丸呉服店へ入って奥で着替えたという。

 大丸が変装の着物や小道具を用意したのである。

「これはほんの手土産にござるぅぅ」

 八木が風呂敷を開いて行李こうりから金沢丹後の有平糖を出した。

「うわぃ、有平糖ぢゃっ」

 サギはピョンと飛び上がる。

 白地に撫子色の縞模様で花のように綺麗な有平糖はすっかりサギのお気に入りだ。

 金沢丹後の有平糖は蝶々も本物の花と間違えたほどという逸話がある。

「ほほお」

 サギは有平糖を舐め舐め、行商の行李の中を物珍しげに引っ掻き廻した。

 行商の小間物の楊枝ようじ、歯磨き粉、元結もとゆい、鬢付油びんづけあぶらなどの商品も一通り揃っている。

「お侍さん、明日は見合いだえ?髪結かみいさんへはこれから?」

 お花は男子おのこでも見合いともなれば身支度はことさらに整えるものと思っている。

 兄の草之介などは茶屋遊びに出掛ける前はいつでも鏡に張り付いてまげを入念に直しているのだ。

 だが、お花は知らなかったが武士は家でお供の者などが髪を結うので髪結床へは行かぬものである。

「あいやぁ、それがしは上役の命令で不承不承にする見合いなので身支度など構わずに良いのでござるぅぅ」

 八木はお花に言い訳するように「不承不承」のところで語気を強めた。

「それより、明日のことで念を押しておかねばなるまいとやって来たのでござるぅぅ。芝居小屋の中ではそれがしや他の幕臣には決して話し掛けず、くれぐれも知らん顔していて下されぇぇ」

「えええ、つまらんのう」

「仕方ないわな。勝手に人様の見合いを覗きに行くんだもの」

「小町娘のお花殿は言うに及ばず、サギ殿も妙に目立つゆえ、とにかく見物席では見合いの桟敷席をキョロキョロと見ず、大人しく静かに舞台のほうだけ向いて芝居見物していて下されぇぇ」

 八木はしっかと釘を刺した。

 見合いを台無しにされたらサギとお花にペラペラとしゃべった自分が他の幕臣に恨まれてしまう。

 とにかく小納戸の山鹿と猪野と勘定見習いの三人は見合いに意欲満々で張り切っているのだ。

「くれぐれも目立たぬようにでござるぅぅ」

 八木はしつこく駄目を押して「毎度ぉぉ」と行商人のていで帰っていった。
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