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口は重宝
しおりを挟む一方、その先刻、
お花は裏庭に面した座敷でせっせと刺繍を刺していた。
なにしろお花は来月のたぬき会までに児雷也に贈る刺繍の財布をこしらえなくてはならぬので忙しい。
「きりこ、きりこ~♪何誰様細工~♪児雷也様のお手細工~、お手細工~♪」
「お若衆様」を「児雷也様」と替え唄にして唄いながら軽やかにスイスイと刺繍針を動かしていく。
そこへ、
「お花様、晩ご飯にござります」
女中のおクキが呼びに来た。
「もうそんな時分?」
お花は刺繍を一切り付けて茶の間へ向かう。
「――あれ?サギは?」
ご飯と聞けば、すっ飛んでくるはずのサギの姿が見えない。
「そういえば、見掛けませぬが――」
おクキは錦庵の手伝い(赤子の雉丸の子守り)から半時ほど前に帰ったばかりでサギが出掛けたことすらも知らない。
「オヤツ時にもおらんかったんだわな。どこへ遊びに行っとるんだろの?」
お花とおクキは茶の間に近い台所を覗きに行った。
「サギならわしが手習い所から帰った時にはおらんかったぞ」
「おひるごはんのときはいたわな」
台所の板間には実之介とお枝もいて、ちょうどお桐とお栗と一緒に帰る杉作が来ていた。
「なあ、サギの行き先に心当たりないかえ?」
お花が杉作に訊ねる。
「えっ?サギの行き先?きっとたぶん誰かにくっ付いて遊びに行ったんぢゃないか。小松川までだってホイホイと付いてきたくらいだしなっ」
杉作は評判の小町娘の美しいお花を間近に見てドギマギしつつも、それが恥ずかしく、ぶっきらぼうに受け答えした。
「そうだわな。目黒まで粟餅を買いに行ったことまであったくらいだもの」
あのサギなら美味しいオヤツを求めて遠方まで足を伸ばすということも充分に有り得る。
オヤツの八木が昨日も今日もやって来なかったのだから尚更だ。
その時、
「ご免なさいよ」
裏木戸からガラガラ声が聞こえてきた。
あの声は蜜乃家の女中のおピンだ。
「お花様、ほら、蜜乃家の――」
おクキが先に気付いて、お花にコソッと耳打ちし、裏木戸へ小走りしていく。
「あれ」
お花も慌てておクキの後を追った。
「まあまあ、何ぞご用で?」
おクキは声を潜めて、おピンを裏庭から見えぬように路地へ押し出した。
「へえ、実はサギさんがうちへ遊びにいらしておいでなんで、ご心配なさらんようにとお知らせに参ったんでござんすよ」
おピンも声を潜める。
「まあ、サギさんが蜜乃家へ?」
おクキは何か怪しむように、一瞬、険しい目をした。
「もお、なんだえ。サギったら自分だけ遊びに行ったなんてズルイわな」
お花は食い意地の張ったサギのことだからご馳走が目当てに違いないと暢気に思った。
「――あ、なあ?サギが蜜乃家へ遊びに行っとるなんて、おっ母さんには何と言って誤魔化したらええかの?」
お花はおクキに相談する。
「へえ、わしが奥様にサギさんは錦庵へ戻っているとでも言うておきましょう」
おクキはお花と結託して奥様のお葉にも平気で嘘をつく頼もしい女中だ。
「そいぢゃ、わしはサギさんに桔梗屋さんでは錦庵に戻ったことになってると申し伝えればようござんすね」
おピンも心得たもの。
こういう口裏合わせは芸妓屋の女中はお手のものと見える。
「うん、頼んだわな」
お花はサギが蜜乃家に行っていることは母のお葉には知られずに済みそうだとホッと安堵の笑みを浮かべた。
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