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下戸と化け物はない
しおりを挟む「はひ、はひ、ひぃ、ひぃ――」
サギは腹の皮が捩れるほど笑いに笑って、
「ふいぃ、笑い過ぎて腹ペコぢゃあ――」
笑い疲れて荒巻鮭のままでグッタリした。
「ああ、今、仕出し料理屋からお膳を持ってこさせるよ」
熊蜂姐さんが手をポンポンと打つと、しばらくして竜胆が座敷へ入ってきた。
「その紐を解いておやり」
「へい」
竜胆は警戒するようにサギの胴体の紐を解く。
両腕が自由になったサギは起き上がって着崩れした着物をバサバサと直し、
「ふんっ、わしを縛ったのも竜胆か?後できっちり、この礼はさせて貰うからのう。覚えとれよっ」
歯を剥き出して竜胆を威嚇した。
「何を言ってんだい。お前が大暴れして手が付けらんないから紙で巻いて縛って静かにさせただけぢゃないか」
熊蜂姐さんが呆れ顔して言うと竜胆は大きく頷く。
「わしが大暴れした?」
まったく覚えていない。
「ああ、もう、そりゃあ、ヒドイのなんのって――」
竜胆はうんざりと吐息する。
聞けば、サギは竜胆の長屋にあった火吹き竹を掴んで「うひゃひゃひゃ、ほれ、足をおっ開けえ、フーフー吹かせろぉ」と笑いながら小梅を追い掛け廻し、
止めに入った竜胆を押し倒して背中に馬乗りになり「当てられたなら、当ててみなんせ~♪」と唄いながら竜胆の尻を火吹き竹で叩きまくり、
小梅が助けを呼んで箱屋のドス吉と子分のメバルが駆け付け、四人がかりで暴れるサギを障子紙で巻いて紐で縛ったのだという。
「わ、わしがそんな不埒なことを――?」
ブランディウェーとかいうのに浸したカスティラを食べただけなのに信じられない。
「見るかい?おかげで尻が痣だらけさ」
竜胆は着物の裾を捲ってみせる素振りをしたが、さすがに熊蜂姐さんの前で尻を晒すようなことはしない。
「むぅん、ホントに覚えとらんのぢゃあ」
サギはシュンとうなだれたが、
「――ん?」
ご馳走のニオイにバッと顔を上げた。
廊下から女中三人がお膳を運んできたのだ。
サギの目の前に速やかに三の膳が置かれる。
「うわぃ、ご馳走ぢゃあっ」
サギはケロッと跳ね上がって万歳した。
刺身、蒸し物、煮物、椀物と彩り良く料理が並んでいる。
器も立派なものだ。
「ああ、宴席で客に出したのと同じ料理だよ。今晩は大一座のお座敷があるんで余分にこしらえたからね。たんとお上がり」
熊蜂姐さんはニッコリしてサギに箸を手渡した。
ご馳走でサギが容易く釣れるのは分かりきっている。
宴席のお膳には丼飯など決して付かぬものだが、ちゃんと熱々ご飯も用意されて女中が大盛りによそってくれる。
「うっ、ううっ」
サギは一口頬張ってあまりの美味さに「ううっ」しか出ない。
熱々ご飯で上等な料理茶屋の三の膳をおかずに食べるとは何とも言えぬ贅沢だ。
「サギ、食べながらでいいから聞いとくれ。お前に来て貰ったのは他でもない、あたしと孫の玉丸との間をお前に取り持って欲しいと思ったからなんだよ――」
やにわに熊蜂姐さんは切なげに声を落とした。
「何の因果か猫魔と富羅鳥は戦国の世からの敵同士。そのうえ、猫魔は大事な娘と忍びの猫まで富羅鳥に奪われ、血を分けた祖母と名乗ることもなく玉丸の姿も遠くからそっと見守っていただけ――」
さらにうるうると目に涙を滲ませる。
「いったい猫魔が富羅鳥に何をしたっていうんだい?こんなヒドイ目に遭わされても可愛い孫の玉丸が富羅鳥にいると思えばこそ猫魔は涙を呑んで富羅鳥のあくどい仕打ちに耐えてきたのさ――」
「んぐ、んぐ」
サギはご飯を頬張りながら頷く。
「ああ、分かっておくれかい?サギ、お前だって富羅鳥にヒドイ目に遭わされて錦庵を出て桔梗屋にいるんぢゃないのかい?」
熊蜂姐さんはそれとなく水を向ける。
「ん、うぐっ、そ、そのとおりぢゃっ」
サギはゴクンとご飯を飲み下すと、息咳って身を乗り出した。
「わしゃ富羅鳥の連中の腐れ根性には我慢がならんのぢゃっ」
やっと我蛇丸と忍びの仲間にコケにされた経緯を親身になって聞いてくれる相手に巡り合ったのだ。
サギはここぞとばかりに恨み辛みをぶちまけた。
「まあ、まあ、なんてヒドイことする連中だろうね。サギが忍びとして一生懸命に勤めに励もうという健気な気持ちを踏みにじるような真似をするなんざぁ、ああ、あたしゃ許せないねえっ」
熊蜂姐さんは大袈裟に怒ってみせてサギに味方する。
「そ、そうなんぢゃ。わしは一生懸命に、人攫いを捕らえんとして、そ、それなのに――」
サギはじわじわと涙が込み上げ、
「あ、あ、兄様とみんなして、わ、わしだけ仲間外れにして、グルになって、騙しおって。う、うぐ、ぐひ、ぐひいぃぃっ」
とうとう号泣して畳にうっ伏した。
「あああ、笑い上戸かと思えば泣き上戸かよ?ホント、こうるせえ奴――」
竜胆がお膳を退かしながらボソッと呟くと、熊蜂姐さんは竜胆の尻を煙管でペシッと打った。
さんざん火吹き竹で叩かれた尻にジンジンと痛みが走る。
「――てぇぇ」
一番、ヒドイ目に遭っているのは自分ではないかと竜胆のほうが泣きたいくらいだ。
「とにもかくにも、玉丸がそんな情けない真似をするのも富羅鳥のお鴇って婆と大膳の野郎に育てられたせいさ。あの極悪非道な母子がそもそもの元凶なんだよっ」
「ぐひっ、ぐひっ」
「ああっ、富羅鳥にいると玉丸はますます根性悪になっちまう。お玉の子なんだから根は真っ当に違いないんだよ。それなのに、富羅鳥なんぞにいるばかりにっ」
「ぐひっ、ぐひっ」
「今ならまだ間に合う。これ以上、犬畜生に成り下がる前に玉丸を猫魔に取り返してやるのさっ」
熊蜂姐さんは猛々しく息巻く。
「ぐひっ、ぐひっ」
サギは熊蜂姐さんに合いの手を入れるかのように嗚咽を繰り返す。
猫魔の一族がお玉の子である我蛇丸を取り返すつもりだとはまったく意外であった。
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