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美中に刺あり
しおりを挟む我蛇丸はそのまま近江屋の別宅へは戻らずに日本橋を南詰めから北詰めへ渡った。
橋の北詰めのたもとに行商の飴売りがいる。
飴売りはやたらに目立つ赤い頭巾に紫と黄の横縞の陣羽織という格好をしていて、屈んで長四角の木箱の蓋の上で棒状の飴を包丁で切っている。
その飴売りの前に屈み込んだ馬の尻尾のような髪の小柄な後ろ姿には目もくれず我蛇丸は足早に横切っていった。
「なんぢゃこりゃあ、おかめさんの顔がへしゃげとるぢゃろうがあっ」
飴売りに文句を言っているのはサギである。
「わしゃ、おかめさんの顔がちゃんとしとる飴がええんぢゃあっ」
サギは顔のへしゃげた飴を飴売りに突き返す。
『どこを切っても金太郎』でお馴染みの組み細工の飴であるが、江戸時代はまだ金太郎飴ではなく、福助やお多福の顔であった。
「食べっちまえばどれも同じだがな」
飴売りは取り合わない。
「なあにい?わざわざ飴に顔を入れておきながら食べっちまえば同じとはなんちゅう言い草ぢゃ。それでも飴売りかあっ」
サギはしつこい。
「てんこちないガキだがな」
飴売りはしぶしぶと何本かの棒状の飴を真ん中から包丁で切った。
「これは顔が欠けとる」
「頭が潰れとる」
「ひん曲がっとる」
サギは飴の切り口を見てはダメ出しをする。
「うんっ。これならええ」
五本目の飴の顔を見てサギはやっと満足して飴代の四文を払った。
ベロベロと飴を舐め舐め歩き出すと、
「まったく、こうるせえ田舎者――」
橋の欄干に寄り掛かっていた若衆がボソッと呟いた。
そのまま黙って通り過ぎるようなサギではない。
「なんぢゃとお?」
足を止めてクルッと振り返る。
「――ん?」
若衆は派手な柄の紫色の羽織を着て行商人だか芸人だかチンピラだか分からぬガラの悪そうな風体だが、顔だけは色白の美少年であった。
サギはその美しい顔に見覚えがある。
「何だい、もう俺の顔を見忘れたかい?」
美少年がニヤリと笑う。
「――あっ、お前、『当てられたなら、当ててみなんせ♪』の花魁もどきぢゃっ」
サギは嬉しげに美少年の顔を飴の先で差した。
「しっ、こないなとこで唄うなや」
美少年はサギの袖を引っ張り、通行人の邪魔にならぬように橋の欄干へ寄せる。
「お前、今、上方の訛りぢゃの。わしゃサギいうんぢゃ。お前、名は何というんぢゃ?」
サギは嬉々として目を輝かせた。
「竜胆」
美少年はそう名乗った。
「ホントの名ぢゃないのう?」
見世物の芸名だろうかと思った。
「ああ、陰間の下地っ子の時に付けられた名さ」
今度は上方の訛りはない。
江戸の言葉も難なくしゃべれるようだ。
「へえ、お前、陰間か?」
「いや、なりそこなった。明和の大火で俺のいた陰間茶屋も焼けちまってさ。無事に逃げたはいいが、もう売り物にゃならねえってよ」
竜胆は自分の着物の襟をパッと広げて白い肌を見せた。
「――ん?売り物にならんって?」
サギは白い肌に目を凝らす。
「よく見ろ。ほれ、この火傷の痕」
竜胆が指差した鎖骨の端を見ると、たしかに薄紅の痕がある。
ほんの牡丹の花びらほどの火傷の痕だ。
「これっぽっちで?売り物にならんって?」
「お前、さっき、飴のおかめの顔にへしゃげとるの何のとさんざん文句付けておったくせに」
「いや、そうぢゃが、――あ、そういえば、陰間は高いって小梅が言うとったっけ?」
たしか陰間は一切り(約二時間)で金二分もすると言っていた。
金二分といえば粟餅が六百二十五個分である。
「ぢゃが、その火傷の他は綺麗な白い肌ぢゃろうが?わしなんぞ見てみい」
サギはとたんに張り合う。
「ほれ、鮎の塩焼きを取ろうとして囲炉裏に落っこちた火傷の痕ぢゃろ。ほれ、こっちは柿の実を取ろうとして枝が折れて木から落っこちて擦り剥いた痕ぢゃろ」
自分の腕や足のあちこちの古傷を見せびらかす。
柿の木の枝は折れやすいので柿の実が取りたくても決して登ってはならない。
「ほれ、こっちはわしの団子を盗った猿めから団子を取り返したら尻を噛まれ――」
「ああっ、尻まで見せんでええっ」
竜胆はたっつけ袴をずり下ろそうとするサギを慌てて押し止めた。
「なんぢゃあ、わしゃ、お前のチンケなものまで見せられたのにっ」
サギは尻の猿の歯形の痕を見せられなくて残念そうにたっつけ袴の紐を結び直した。
「ま、とにかく、陰間をせんでええことになったのは玄武の親分のおかげなのさ」
竜胆は脇に逸れた話を戻す。
「なんぢゃ、竜胆は陰間にならんで良かったんぢゃな」
『なりそこなった』などと不本意なように言ったので紛らわしい。
「ああ、竜胆って名も玄武の親分が付けてくれたのさ」
どうやら竜胆は表向きは陰間として陰間茶屋に属しているが玄武一家の子分という扱いらしい。
「へえ、玄武の親分の名付けはまともぢゃのう」
竜胆、この怪しげに艶っぽい美少年にピッタリの名だ。
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