富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
186 / 312

人の恋路を

しおりを挟む

 一方、その先刻、

 錦庵と目と鼻の先の桔梗屋では、

「くかぁ」

 もうサギは布団の中で大の字の高イビキであった。

「すぴぃ」

 お花とお枝は行儀良く、きの字で寝ている。

 昔は女子おなごが仰向けで寝るのは無防備ではしたなく、横向きで膝を曲げた『きの字』で寝るのが慎ましいとされていた。

「ううっんっ」

 ゴロン、

 隣の布団の実之介が勢い良く寝返りを打つ。

 ベチッ。

 手の甲がサギの顔面に当たった。

「――てっ」

 サギはいきなり鼻っ面を張られて目が覚めた。

「痛てて、なんぢゃもう」

 実之介に叩かれた鼻をさすっていると、

 カタ、
 カタ、

 ギキィ、

 表から下駄の鳴る音、裏木戸の開く音が聞こえてきた。

 手代三人が湯屋の帰りに火の用心の夜廻りをして戻ってきたのだ。

 カタ、
 カタ、
 カタ、
 カタ、

 小走りの下駄の音が後に続いて聞こえてきた。

「――おや?おクキ様、今時分にお戻りにござりますか?」

 手代の銀次郎が驚いたように訊ねる。

 どこへ行っていたのか、おクキも今頃になって帰ってきたのだ。

「……?」

 サギは布団から四つん這いで抜け出し、寝間の障子を開けて縁側へ顔を突き出した。

「へえ、ちょいと神田の実家に急用で遅うなったんだわいなあ」

 おクキはそそくさと縁側に上がって足早に女中部屋へ行ってしまう。

「銀次郎、野暮なことを訊くものぢゃない。あんなことを言うとるが逢い引きに決まっとろうが」

「そうでござりますとも。おクキ様は錦庵の我蛇丸さんと深間の仲になったとやら、銀次郎さん、ご存じなかったのでござりまするか?」

 金太郎と銅三郎は不粋な銀次郎に呆れ顔をする。

「なに?逢い引き?そのようなふしだらなっ」

 銀次郎は信じられぬように目を見開いた。

 とてつもなく堅物のためか色恋に関する噂話など銀次郎の耳には入らなかった。

 銀次郎が十歳で桔梗屋へ奉公に上がった時から二歳上のおクキはなにくれと世話を焼いてくれた姉のような存在である。

 ふしだらな行いを見過ごす訳にはいかない。

 さっそく、明日の朝にでも奥様へご注進し、おクキの素行を厳重に注意して貰わねばなるまいと銀次郎は考えた。

 真面目な銀次郎は男はしかるべき仲人を立てて相手の親に申し込み、許しを得て、晴れて許婚いいなずけにならねば二人で逢うなど許されぬことだと思っているのだ。

 カタ、
 カタ、

 手代三人は洗濯物の三尺と手拭いをぶら下げて裏庭の井戸端へ持っていく。

 桔梗屋の奉公人はしつけが行き届いているので湯屋から帰ると三尺と手拭いは自分で洗って物干しに干すのだ。

「う~ん、今まではおクキ様もなかなかの美人だと思うておりましたが、それは今日のお桐さんを見るまでのことにござりまするなぁ。お桐さん、なんとも言えんしとやかな優しげな美人にござりましたなぁ」

 銅三郎がニヤニヤと鼻の下を伸ばす。

「ああ、ずいぶん若う見えるからおクキ様と同い年と言うても通ずるな」

 金太郎もお桐の顔をよく見ていたようだ。

「いや、まったく。とても子持ちの後家さんには見えんでござりまするなぁ。わしの馴染みの吉池屋よしいけやの二十歳のおトメと比べてもずっと肌もピチピチだし、ずっと――」

「――銅三郎っ、よさんかっ」

 銀次郎はみなまで言わせず銅三郎を叱り付けた。

「お桐さんは火事でご亭主を亡くして二人の子を抱えて苦労されている人だぞ。お前の馴染みの岡場所の女なんぞと比べるとは何事かっ」

 銀次郎は恐ろしい剣幕だ。

「へ、へい。ついつい浮わついて調子に乗って、申し訳ないことを――」

 普段からお調子者の銅三郎はペコペコと謝る。

「口を慎むようにっ」

 銀次郎は沸然ふつぜんとして縁側に上がって寝間へ入っていった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。 当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。 そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。 旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。 つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。 この小説は『カクヨム』にも投稿しています。

B29を撃墜する方法。

ゆみすけ
歴史・時代
 いかに、空の要塞を撃ち落とすか、これは、帝都防空隊の血と汗の物語である。

倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯

古代雅之
歴史・時代
 A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。 女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。 つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。  この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。  この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。  ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。  言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。 卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。  【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。  【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?  この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。

処理中です...