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十四年前の秋
しおりを挟む「しかし、鷹也様の亡き後、秘宝を悪用するやも知れぬ不心得者から守らんとして持ち出したのぢゃ。決して盗んだ訳ではないっ」
雁右衛門は開き直った。
「いや、無断で持ち出せば弁解の余地なく盗人であろうかと――」
我蛇丸は納得しない。
「たわけっ。すでに鷹也様もおらぬ富羅鳥城でいったい誰に断れというんぢゃっ」
雁右衛門は甲高い声で怒鳴り付ける。
実年齢では八十四歳の爺のわりに気が短い。
「まあ、では、そのあたりの判断はひとまず置いておくとして、十四年前の話を――」
我蛇丸はなるべく逆らわぬことにした。
「ふんっ」
雁右衛門は大威張りの態度で事のあらましを語り始めた。
それは十四年前の秋。
鷹也の亡き後、富羅鳥城から秘宝を持ち出した雁右衛門はかつての忍びの伝で旅芸人の三十代半ばの夫婦の通行札を手に入れた。
江戸屋敷へ戻った雁右衛門はさしもの忍びの者であっても七十歳の老体で若君を背負っての旅は難儀なのでお鶴の方と若君を連れ出した後で『金鳥』の金煙を吸って通行札の旅芸人と同じ三十代半ばに若返った。
そして、富羅鳥山まで逃げてきたのだ。
事態を知った富羅鳥藩の江戸家老は直ちに富羅鳥城へ早馬で報せをやり、城から追っ手を向かわせた。
富羅鳥山へ雁右衛門を追ってきたのは富羅鳥藩の御手廻弓之者三人であった。
「あやつ等め、この雁右衛門を狙って矢をヒュンヒュンと射てきおった。さすがの腕前でぢゃがなっ」
雁右衛門はカカカと皮肉そうに笑った。
御手廻弓之者は雁右衛門には御手廻物頭の頃の配下であったのだ。
御手廻弓之者にとっては謀反人の雁右衛門を仕留め、秘宝と若君を無事に取り戻すことが任命であった。
雁右衛門は忍びの者だけに白煙の目眩ましで雲隠れの術を行い、身代わりに射られて矢が刺さった丸太ん棒を崖から落とし、自分は若君を抱えて草むらに潜んでいたのであった。
追っ手が崖を下りていった隙に雁右衛門は若君を連れて富羅鳥山を去っていった。
「若造の分際でこのわしを仕留めたなんぞと思い上がりも甚だしい。あやつ等め、己れの腕前に慢心しておったんぢゃ」
雁右衛門は憎らしげに口を尖らす。
かつての配下の者に易々と射られるような雁右衛門ではないのだ。
「それが、聞き及ぶところでは御手廻弓之者三人はそれきり姿をくらましたそうにござりまする」
我蛇丸は五歳の頃の出来事なので詳しくは知らない。
「ほほぉ」
雁右衛門は感心したような口振りだ。
御手廻弓之者三人は謀反人の雁右衛門の首も取れず、秘宝も若君も見つからず、面目をなくして城へ戻れなかったのであろうか。
ともあれ、そのような経緯で富羅鳥藩では雁右衛門が鷹也を暗殺し、秘宝を盗み出し、お鶴の方と若君を連れ出し、その挙げ句、足手まといになった二人を富羅鳥山で手に掛け、あまつさえ追ってきた御手廻弓之者三人をも返り討ちにしたに違いないとまことしやかに伝わっていた。
すべて雁右衛門の仕業にしておけば事件を吟味する面倒がないと富羅鳥藩の家老等の浅知恵が働いたのであろう。
鳥の多い富羅鳥山では人の亡骸などあっという間に鳥葬されてしまうので大した捜索もされなかった。
「しかし、富羅鳥の忍びの者だけは雁右衛門殿の潔白を信じておりました。そこで上様に再吟味を願い出て、上様には『この儀はすべて余に預けよ』との有り難きお沙汰を賜り、上様の密命にて蟒蛇の忍びと共に雁右衛門殿と若君と秘宝の行方を探しておったのでござりまする」
勿論、当時は五歳の我蛇丸が雁右衛門の潔白を信じていた訳もなく、雁右衛門の無実を主張したのは婆様のお鴇であった。
お鴇の亡き父は雁右衛門とは兄弟同然に育った仲であったのだ。
「そうぢゃったか。しかし、もう、わしは年貢の納め時ぢゃ。秘宝が無事に富羅鳥へ戻ったことが分かれば、わしはすべてを詳らかにし、鷹也様の墓前で腹を真一文字にかっさばいて果てるつもりぢゃった。これ、このとおり、遺書に有りのままを包み隠さずしたためてある」
雁右衛門は懐から封書を少し引き出してみせ、
「これは若君に宛てたものぢゃ」
また懐深くに押し込んだ。
「やはり、富羅鳥山で自害されるおつもりにござりましたか。今日はご正室の凰子様のご命日。それで、もしやと雁右衛門殿を追って参ったのでござりまする」
「……」
ご正室の凰子様と聞くや雁右衛門は心痛な面持ちでピクピクとこめかみを震わせた。
「それに、まだ話は終わっておりませぬ。雁右衛門殿は持ち出した秘宝をいったい誰に渡したのでござりまする?」
雁右衛門が秘宝を渡した人物がその後すぐに桔梗屋弁十郎に秘宝を預けたに違いないのだ。
その時、
「それは――」
雁右衛門が口を開いた刹那、
バサッ、
ヒュン、
突然、木の上から我蛇丸に黒い影が飛び付いてきた。
「――っ?」
我蛇丸は反射的に身を躱す。
「ニャッ」
黒い影は忍びの猫にゃん影だ。
間髪置かず、
ドスッ。
鈍い音がした。
「――ぐっ」
雁右衛門が呻いてバッタリとうつ伏せに倒れた。
背中に矢が突き刺さっている。
「おのれっ、曲者っ」
我蛇丸は歯噛みして矢が放たれた前方を見やる。
木の陰に隠れて弓を持った人影が身を翻して逃げていく。
「にゃん影、追えっ」
我蛇丸とにゃん影が木の枝に飛び付いて枝から枝へと飛び移っていく。
「ぎゃっ」
山道から男の叫び声が聞こえた。
「――っ?」
我蛇丸が山道へ飛び出ると、八木が横向きに倒れている。
「八木殿っ?」
八木の肩を抱えて上体を起こす。
「い、いきなり、矢が――っ」
すぐ脇の木の幹に二本の矢が突き刺さっている。
「矢がっ、矢がっ」
八木は錯乱して自分の身体をパタパタと触って矢が刺さったかを確かめた。
矢は八木が肩に掛けた振り分け荷に突き刺さっていた。
「はぁぁ、度肝を抜かれたでござるぅぅ――」
八木は全身の力が抜けてグンニャリした。
「ご無事でなにより」
我蛇丸はホッと安堵する。
だが、これは曲者の時間稼ぎであったのだ。
我蛇丸が八木に気を取られているうちに矢を射た曲者はとうに逃げ失せていた。
「――あっ、いかん、雁右衛門殿がっ」
我蛇丸はハッとして木の枝に飛び付き、また枝から枝へと飛び移って雁右衛門が倒れた場所まで引き返した。
だが、
「――ああっ」
我蛇丸は思わず草むらにへたり込んだ。
そこに雁右衛門の姿はなかった。
ただ、人形に押し潰された草だけがその痕跡を残していた。
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