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人の踊る時は踊れ
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「はぁ~、下野国にぃ 富羅鳥の秋は夢なれや 早や十四年の月花を~♪ 空も霞の夕照りにぃ 名残惜しむ帰る雁がね~♪ええ、しょんがいな~♪」
だしぬけに鬼武一座の座長、もとい、雁右衛門は滑稽な手踊りをしながら唄い出した。
「……」
我蛇丸は言葉を失う。
ここは緊迫した場面ではなかったのか。
「なんぢゃ、なんぢゃ、手拍子も合いの手もなしか?我蛇丸、お前は童の頃からちいとも変わっとらんの。ノリが悪うてつまらん奴ぢゃ」
雁右衛門はピタッと手踊りをやめると拗ねたように我蛇丸を睨んだ。
「畏れ入り奉ります。雁右衛門殿には大層ご壮健のご様子、まことにもって大慶に存じ奉りまする」
我蛇丸は改まって頭を下げてから、ふと思い出した。
そういえば、幼い頃の我蛇丸が知る雁五衛門は富羅鳥藩の重職にあるにも拘わらず剽軽で駄洒落好きな好好爺であった。
先々代の藩主から三代に渡って近臣として随従し、孫の代の鷹也からは心安げに「雁じい」と呼ばれていた。
そう、十四年前の雁右衛門は七十歳の老人であったのだ。
「昔っからお前はわしの駄洒落に笑いもせんかったのう」
雁右衛門は自分の唄と踊りがウケなかったのが不満げだ。
「それは、昔はなにぶんにも童で一向に意味を解せず――」
昔とは在りし日の鷹也が富羅鳥藩の恒例行事である春秋の遊山でご家来衆やお女中衆をゾロゾロと従えて富羅鳥山へご入山されていた頃のことだ。
童の我蛇丸もシメもハトも山を警護する忍びの者にくっ付いて遊山への同行を許されていた。
身分に拘らぬ鷹也の温柔敦厚な人柄ゆえに富羅鳥藩は至って和やかな雰囲気であったのだ。
遊山での雁右衛門は剽軽者の本領を発揮し、太鼓持ちよろしく振る舞っていた。
春は花見の桜の木の下で「伸ばして悪いは鼻の下~♪伸ばして良いのは命なりけり~♪」などと唄い踊りながら、キャアキャアと逃げるうら若きお女中衆を追い廻し、
秋は栗拾いの栗の木の下で毬栗を手に「十三ぱっかり毛十六~♪」などと唄い踊りながら、キャアキャアと逃げるうら若きお女中衆を追い廻していた。
シメとハトは雁じいの鬼ごっこが始まったとばかりに一緒に唄い踊り、はしゃいでいたが、我蛇丸はただ棒立ちでポカーンと眺めていた。
おそらく五歳の童ながらに仕様がない爺だと呆れていたのであろう。
「十三ぱっかり毛十六」とは、娘が十三歳で初潮を迎え、十六歳で毛が生え揃うという意味で江戸時代のオヤジがよく言う下品極まりない戯れ言である。
「お鶴の方様はケラケラと声を立てて笑うて下されたんぢゃがのう」
雁右衛門は大膳の小屋のほうへ顔を向け、まだ夢中で柿の実を取っているお鶴の方の姿を見やる。
「まさか、そのような下ネタで?」
我蛇丸は耳を疑う。
「ああ、お城のお女中衆でわしの駄洒落にケラケラと笑うて下されたのは後にも先にもお鶴の方様だけぢゃ」
雁右衛門はその頃を懐かしむように目を細めた。
「……」
我蛇丸はまじまじと雁右衛門の顔を見つめる。
秘宝『金鳥』による若返りの霊験を目の当たりにしたのは雁右衛門の姿が初めてだ。
十四年前の雁右衛門の白髪で細かった髷は黒髪で太くなり、萎びた頬はふっくらと張り、身体も肉付きが良くなっている。
たしかに若返ってはいるが七十歳と五十歳では別人と見違えるほどの変化ではない。
紛れもなく雁右衛門だと鬼武一座の舞台を見た時から分かっていた。
元々、雁右衛門は富羅鳥の忍びの者であった。
大名家は各藩によって役職がそれぞれに異なるが、富羅鳥藩では雁右衛門は藩主に常に付き従い警護する御手廻物頭として仕えていた。
老人になってから役職を退いたが、腰元になったお鶴がお世嗣ぎの若君を授かりお部屋様に昇格してからは鷹也の取り計らいで雁右衛門はお鶴の方付きのお世話役を仰せつかった。
お世話役はお部屋様に対してあらぬ下心を起こさぬよう老人に限られた役職であった。
雁右衛門は下ネタを言ってお女中衆に戯けこそするが実のところ愛妻家で妾の一人も持たず妻以外の女子の尻を撫でたことさえないと信頼されていたのだ。
雁右衛門もお鶴の方と若君のいる富羅鳥藩の江戸屋敷へ移っていたが、馬でなら日帰りも出来るため頻繁に江戸と富羅鳥を行き来していた。
「江戸屋敷ではお鶴の方様は五節句には必ずわしを呼んで下されてのう。いつでもお手ずから菓子を振る舞うて下された。金沢丹後の有平糖、鈴木越後の羊羮、桔梗屋のカスティラ、どれも美味であった。お方様は甘い物には目がござらんでのう」
雁右衛門はその頃を懐かしむように頬を緩める。
五節句は正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日である。
いずれの菓子司も五節句には特別に意匠を凝らして誂えた上菓子を将軍家や大名家に献上していた。
それならば江戸の上菓子は身重のお鶴の方が美味しく味わいながら胎内のサギを育んでいたことになる。
サギの美味しいオヤツへの並々ならぬ執念は産まれる前からの運命であったということか。
カァ、
カァ、
烏が飛んでいく。
雁右衛門の本筋をはぐらかすような思い出話を聞いているうちにもう日暮れになっていた。
大膳の小屋のほうを見やれば、すでに柿の木の下にお鶴の方の姿はなく、小屋の腰障子に晩ご飯の支度に立ち働く人影が移っている。
もうじき昼七つ半(午後五時頃)だ。
「そろそろ肝心なことを伺いとう存じまするが、あの十四年前の秋、雁右衛門殿が江戸屋敷からお鶴の方様と若君を連れ出し、富羅鳥山へ逃げてこられた時のことを――」
我蛇丸はキリッと表情を引き締めた。
「そう急かさんでもよかろう」
雁右衛門はやれやれと吐息する。
「富羅鳥城から藩外不出の秘宝を持ち出したのは雁右衛門殿に相違ござりませぬな?その若返った姿がなによりの動かぬ証拠っ」
我蛇丸はピシッと雁右衛門の顔を指差す。
富羅鳥藩主の近臣であった雁右衛門に対して甚だ無礼ではあるが、もはや、相手は城から秘宝を盗み出した謀反人である。
「うむ、いかにも。お城から秘宝を持ち出したのは、このわしぢゃ」
雁右衛門はケロッと白状した。
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