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天に三日の晴無し
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「行ってまいります」
桔梗屋の裏木戸から手代の銀次郎と小僧の四人が出てきた。
今晩も火の用心の夜廻りに行くのだ。
「火の用心~」
カチン、
カチン、
拍子木の音。
「火の用心~」
みなは声を揃えて一列に芳町の方向へ進んでいった。
通りの人混みにサギ、お花、おクキがいたことには気付かなかったようだ。
「ああ、危ない。一足遅かったら芳町で銀次郎等と鉢合わせするところだったわな」
お花はホッと胸を撫で下ろした。
堅物で融通の利かぬ四角四面の銀次郎に色町にいるところなどを見られたらお葉に告げ口されて蜜乃家へ行ったことがバレてしまうに決まっているのだ。
「おう、銀次郎どんは『いかがわしい場所だ』言うて夜廻りでも芳町は早足になるほどぢゃからの」
サギはいかがわしい色町のいかがわしい見世物のことなど堅物の銀次郎が知ったら必ずや夜廻りの道順を変えるに違いないと思った。
とはいえ、あの見世物は周りの待合い茶屋が提灯を灯す時分には店仕舞いして屋台もすっかり片付けるので夜廻りで見掛ける心配はない。
「次はもっと早めに遊びに行って明るいうちに帰ればええわな」
お花に芳町の蜜乃家へ遊びに行かぬという選択肢はなかった。
そうして、
「ふふふ、蕎麦屋の手伝いに小紋は贅沢だけれど貰い物なら惜しくはないわいなあ」
おクキはさっそく明日、錦庵へ着ていく新しい着物を広げて衣桁に掛けた。
(む~ん、熊蜂姐さんはおクキどんまでまんまと懐柔しおって、何か魂胆があるんぢゃなかろうか?)
サギは襖の隙間からおクキの部屋を覗き込んでそう怪しんだ。
あくる日。
おクキは新しい小紋の着物を着ていそいそと錦庵へやってきた。
今日の小紋は羊羮色の矢羽柄で縁起も良い。
矢羽は射止めるということで未婚の女子の縁結びに縁起が良いとされている柄だ。
小紋は無地に近い柄なので、たすき掛けには菫色、前掛けには撫子色の華やかな友禅柄を選んだ。
帯は白茶色で色合わせも完璧である。
「すまんのう、おクキどん。子守りのおマメが勝手な真似をしおったばかりにおクキどんにまで面倒を掛けて――」
シメは赤子の雉丸を抱き抱えて心底すまなそうな顔しておクキを出迎えた。
「いいええ、わしはちっとも面倒なんぞと思うておりませんわいなあ」
おクキはにこやかに顔の前でパタパタと手を振る。
おマメのおかげで錦庵の手伝いを続けられ、そのうえ、熊蜂姐さんに上等な着物を三枚も貰って、おクキにしてみればまったくおマメ様々である。
「そいぢゃ、すまんが頼んだの」
シメが赤子の雉丸をホイとおクキに手渡した。
「――へ?わしが子守りを――?」
おクキは(まさか、そんなはずでは)と目をしばたく。
「ぢゃって、おクキどんに出前は無理ぢゃろうが?」
シメは素早くパパッとたすき掛けして前掛けを掛ける。
たしかに出前は無理だが、
「……」
おクキは雉丸を抱いたまま茫然と突っ立った。
「すまんのう。おクキどん」
我蛇丸が前掛けで手を拭き拭き調理場から出てきた。
「えっ、いえ、わしはお花様、ミノ坊様、お枝坊様まで子守りして参りましたゆえ、子守りは慣れておりますわいなあ」
おクキはハッとして無理くり笑顔を作る。
「そりゃ頼もしいのう。桔梗屋のお子等はみんな健やかで気立ても良いからのう。おクキどんのお手柄ぢゃのう」
ハトはおだてることも忘れない。
「ははは、おクキどんが子守りしてくれたら雉丸も安心ぢゃ」
錦庵の面々は強引に笑った。
毎日、お洒落を凝らしてくるおクキが子守りなどイヤなことくらい承知している。
「ほほほ――」
おクキは気抜けして笑った。
(我蛇丸さんと一緒に店で働けると思えばこそ新しい上等な小紋を着てきたというに――)
それなのに当てが外れて裏長屋で赤子の子守りだとは、
まったく貧乏くじを引いたおクキであった。
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