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恋とお洒落
しおりを挟む「おや?サギだけかえ?」
お葉は縁側から首を伸ばして裏木戸を見やる。
(なんぢゃ。お花はまだ蜜乃家から帰っとらんのか)
サギは焦って言い訳した。
「ああ、日本橋の通りはすごい人混みぢゃからのう。歩きだと相当に遅うなるのう。どれ、ちょいと」
またピョンと屋根に飛び上がって通りを眺める。
「ああ、まだまだ、ずーっと十間も先ぢゃあ」
遠くからお花とおクキが歩いてきているかのような小芝居をする。
「まあ、そいぢゃ、もう晩ご飯にしようかえ。支度が整う頃合いには家へ着いとろう」
お葉はよっこらせと立って茶の間へ向かった。
「ミノ坊様、お枝坊様、さ、こちらへ」
乳母のおタネは実之介とお枝を井戸端へ連れて行って汚れた手足を洗わせる。
ニョキニョキ草を裸足で飛んでいたので泥んこだ。
「サギさんも座敷へ上がる前に汚れた手足を洗うのをお忘れなく」
おタネが屋根を見上げて言い付けた。
「合点承知の介っ」
サギは屋根の上から返事する。
屋根の上を飛ぶことはまかりならんとは誰も言わぬのだから桔梗屋はみな心がおおらかだ。
(おっ、今度はホントにお花とおクキぢゃっ)
通りのずっと先の人混みの中にお花とおクキの姿が見えた。
二、三歩後ろに蜜乃家の箱屋のドス吉が付いている。
「お花、遅いぞっ」
サギは桔梗屋の並びの商家の屋根から屋根へと六軒ほど飛んでお花の手前の地べたに飛び下りた。
「あれ、サギ、熊蜂姐さんの話につい夢中になって時が経つのも忘れてしもうたんだわな。今晩はおマメちゃんが入ったお祝いに仕出し料理のご馳走だから一緒にと誘って下すったけど遅うなると叱られるからって帰ってきたんだわな」
お花は興奮気味に早口で捲し立てる。
「仕出し料理のご馳走を断ってぢゃと?」
サギはご馳走のお呼ばれを辞退して帰るとはお花は見上げたものだと感服した。
「ああ、けど、愉しかったわな」
お花は胸元に手を合わせて満足げに吐息する。
サギが熊蜂姐さんに煙草の煙でいぶし出された後でお花はずいぶんと愉しく過ごしていたようだ。
「あっしはここで、ご免なすって」
ドス吉はいかにも堅気ではない挨拶をすると人混みを左右に蹴散らかすようにドスドスと帰っていった。
「色町では日暮れになると人混みに紛れて通りすがりに女子の尻を撫でていく不埒者がおるので熊蜂姐さんが見送りを付けて下すったんでござりますわいなあ」
おクキは何やら大きな風呂敷包みを抱えている。
「わしはこのとおり両手がふさがっていて不埒者の腕をへし折ってやることも出来ませぬゆえ」
今までにそういう不埒者の腕をおクキは実際に何本かボキボキとへし折っていた。
「おクキどん、その風呂敷包みは何ぢゃ?」
サギは風呂敷包みの中身が気になって顔を近付けてニオイをヒコヒコと嗅いでみたが食べ物ではない。
風呂敷包みは行きに鈴木越後の羊羮を包んでいた時より何倍も大きい包みになっている。
「へえ、熊蜂姐さんがわしにまで『気は心』とやらで良い物を下すったんでござりますわいなあ」
熊蜂姐さんはご贔屓からの貢ぎ物のまっさらな着物を三枚もおクキにくれたのだ。
お洒落なおクキとて錦庵へ着ていく着物にそろそろ困ってきたところなので嬉々として頂戴した。
着物は秋物の小紋で色柄もおクキの好みを知り尽くしたかのように趣味にピッタリと合っていた。
「またいつでも遊びに来ておくれと熊蜂姐さんが言わしゃったわな。なあ、おクキ?また蜜乃家へ遊びに行く時も一緒に付いてきてな?」
「へえ、そりゃもう」
お花もおクキも買い物だと嘘をついて蜜乃家へ遊びに行く気満々である。
サギには分からぬが女子は器量が良ければ良いほど華やかな芸妓に憧れるものなのであろう。
芸妓がお洒落な着こなしのお手本の時代なのだ。
そして、芸妓は色恋沙汰に事欠かぬ恋の手練れでもある。
お花もおクキも目下のところ恋とお洒落が最重要な関心事なので芸妓の話に興味が尽きぬらしかった。
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