富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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玄武の親分

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「おや、蜜豆かえ?」
ひねりがないね」
「案の定だよ」

 ようよう身支度を済ませた蜂蜜、松千代、小梅が半紙の名を見て口々に言いながら茶の間へ入ってきた。

 三人並んで手短にパパッと縁起棚に手を合わせる。

 縁起棚は文字どおり縁起物を置く飾り棚で水商売には欠かせぬものである。

 稲荷、達磨、丸〆猫、福助、たぬき、鶴亀、大黒、恵比寿、等々、あらゆる縁起物が並んでいる。

「――蜂蜜?」

 熊蜂姐さんがギロリと蜂蜜を睨み付けた。

「まさか今晩も桔梗屋の若旦那のお座敷へ出るつもりぢゃなかろうね?稲光関のお座敷へ出るよう言ったはずだよ」

 その顔は天女から鬼女へと早変わりの能面のように瞬時に変化へんげする。

「それならイヤだと断ったはずにござんしょ。それに今晩は丸正屋の若旦那のお座敷にござんすえ」

 蜂蜜はツンとそっぽを向く。

「ふん、どっおせ桔梗屋の若旦那も連れぢゃないか。まったく、熊五郎ときたら余計なことしてっ」  

 カンッ。

 熊蜂姐さんはいまいましげに煙管きせるを煙草盆に叩き付けた。

「――っ」

 おマメはビクッと正座のまま跳ね上がる。

 その時、

 ぬうっと大きな影が障子を覆った。

 カタンと障子を開けて現れたのは博徒の玄武の親分だ。

「おいおい、お熊、あれも今では丸正屋のれっきとした跡取り息子だぞ。熊五郎なんぞと気安く呼ぶものぢゃない」

 元力士だけに縁側から鴨居をくぐって座敷へ入る巨体は迫力満点だ。

「……っ」

 おマメは熊にでも出くわしたように固まった。

「……」

 正座のまま微動だにせず死んだふりをする。

「あれ、お前さん」

 熊蜂姐さんは煙管きせるを置いてササッと長火鉢の前から退しりぞいた。

「蜂蜜、お座敷へ出るだけなら構わんが、わしゃ桔梗屋の若旦那とのことは許さんからの」

 玄武の親分は長火鉢の前にドッカリと胡座あぐらを掻く。

 カタ、
 ゴロン、

 巨体の振動で背後の縁起棚から金ピカの置物が転げ落ちた。

 すると、

「――むん」

 玄武の親分はそれを畳に落ちる寸前でバッと後ろ手に掴み、ポイと背後へ放り投げる。

 金ピカの置物は縁起棚の元の位置に真正面を向いてストンと起立した。

 この一連の動作を玄武の親分はまったく背後を見ずにやってのけた。

 まさに神業。

 玄武の親分、只者ではない。

「……」

 だが、おマメは死んだふりしていて玄武の親分の神業を見ていなかった。

「お父っつぁんもおっ母さんもついこないだまであたしと草さんが夫婦めおとになることに大乗り気だったぢゃござんせんか?」

 蜂蜜は父の神業など珍しくもないようでお座敷着の裾をさばきながら玄武の親分の前に座り込んだ。

「そりゃあ思った以上にあの若旦那が馬鹿と分かったからだ。あんな馬鹿に大事な可愛い一人娘をやりたい親があるか」

「そうさ、お前はまだ十八で男を見る目なんざありゃしないんだよ。若旦那は美男なだけさ。頭は空っぽの馬鹿なんだよ」

 二人はケチョンケチョンに草之介を馬鹿呼ばわりする。

「あたしに男を見る目がないっ?お父っつぁんもおっ母さんもあたしの目がそんな節穴だと思ってたんでござんすかえっ?」

 蜂蜜はカッとしてお座敷着の裾を払って立ち上がった。

「草さんのことは誰よりあたしが一番よく知ってるってのに、そのあたしが草さんが馬鹿なことくらい知らないとでも思ってたんでござんすかえっ?」

 蜂蜜は声を荒げる。

「蜂蜜っ、お前、親になんて口をお聞きだいっ」

 熊蜂姐さんもキッとして立ち上がった。

 睨み合いになる母と娘。

「ポリポリ」
「ポリポリ」

 松千代と小梅は慣れっこなので知らん顔して豆菓子を摘まんでいる。

 蜂蜜も親も草之介が馬鹿ということでは意見が一致しているのだ。

「あんな――馬鹿に――惚れた――と――言うのか――」

 玄武の親分は恨めしい声でボソッと呟き、「くぅ」とうめいて羽織の袖で顔を覆った。

「ほれ、ご覧。蜂蜜、お前はお父っつぁんを泣かして平気なのかい?」

 熊蜂姐さんが蜂蜜に詰め寄る。

「……」

 蜂蜜はチラと玄武の親分を見やる。

「グスングスン」

 玄武の親分は山のように大きな肩を震わせている。

「ふん、ばからし。お父っつぁんの泣き真似になんざ騙されるもんかえ」

 蜂蜜は付き合ってられるかというように玄武の親分の前を横切って廊下へ出た。

「ドス吉、もう出掛けるよっ」

 玄関で箱屋を呼ぶ。

「へい、どちらのお座敷へ?」

 ドス吉が黒塗りの下駄を揃えて蜂蜜に訊ねる。

「稲光関のお座敷のある金星屋きんぼしやだよ。聞くまでもないだろっ」

 熊蜂姐さんが茶の間から口を出してドス吉に怒鳴る。

「……」

 松千代と小梅は豆菓子を摘んだ手を止めて、蜂蜜の返答に注目した。

宝来屋ほうらいやだよ。決まってんだろ?」

 蜂蜜は落ち着き払って草之介の来る料理茶屋の名を告げた。

 カラコロ、
 カラコロ、

「……」

 熊蜂姐さんは玄関を出ていく蜂蜜の下駄の音を苦虫を噛み潰したような顔して聞いていたが、

「おい」と言う玄武の親分の声でハッと気付いて神棚から火打ち石を取り、玄関へ出てカチカチッと切り火を打った。
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