166 / 325
玄武の親分
しおりを挟む「おや、蜜豆かえ?」
「捻りがないね」
「案の定だよ」
ようよう身支度を済ませた蜂蜜、松千代、小梅が半紙の名を見て口々に言いながら茶の間へ入ってきた。
三人並んで手短にパパッと縁起棚に手を合わせる。
縁起棚は文字どおり縁起物を置く飾り棚で水商売には欠かせぬものである。
稲荷、達磨、丸〆猫、福助、たぬき、鶴亀、大黒、恵比寿、等々、あらゆる縁起物が並んでいる。
「――蜂蜜?」
熊蜂姐さんがギロリと蜂蜜を睨み付けた。
「まさか今晩も桔梗屋の若旦那のお座敷へ出るつもりぢゃなかろうね?稲光関のお座敷へ出るよう言ったはずだよ」
その顔は天女から鬼女へと早変わりの能面のように瞬時に変化する。
「それならイヤだと断ったはずにござんしょ。それに今晩は丸正屋の若旦那のお座敷にござんすえ」
蜂蜜はツンとそっぽを向く。
「ふん、どっおせ桔梗屋の若旦那も連れぢゃないか。まったく、熊五郎ときたら余計なことしてっ」
カンッ。
熊蜂姐さんはいまいましげに煙管を煙草盆に叩き付けた。
「――っ」
おマメはビクッと正座のまま跳ね上がる。
その時、
ぬうっと大きな影が障子を覆った。
カタンと障子を開けて現れたのは博徒の玄武の親分だ。
「おいおい、お熊、あれも今では丸正屋のれっきとした跡取り息子だぞ。熊五郎なんぞと気安く呼ぶものぢゃない」
元力士だけに縁側から鴨居をくぐって座敷へ入る巨体は迫力満点だ。
「……っ」
おマメは熊にでも出くわしたように固まった。
「……」
正座のまま微動だにせず死んだふりをする。
「あれ、お前さん」
熊蜂姐さんは煙管を置いてササッと長火鉢の前から退いた。
「蜂蜜、お座敷へ出るだけなら構わんが、わしゃ桔梗屋の若旦那とのことは許さんからの」
玄武の親分は長火鉢の前にドッカリと胡座を掻く。
カタ、
ゴロン、
巨体の振動で背後の縁起棚から金ピカの置物が転げ落ちた。
すると、
「――むん」
玄武の親分はそれを畳に落ちる寸前でバッと後ろ手に掴み、ポイと背後へ放り投げる。
金ピカの置物は縁起棚の元の位置に真正面を向いてストンと起立した。
この一連の動作を玄武の親分はまったく背後を見ずにやってのけた。
まさに神業。
玄武の親分、只者ではない。
「……」
だが、おマメは死んだふりしていて玄武の親分の神業を見ていなかった。
「お父っつぁんもおっ母さんもついこないだまであたしと草さんが夫婦になることに大乗り気だったぢゃござんせんか?」
蜂蜜は父の神業など珍しくもないようでお座敷着の裾をさばきながら玄武の親分の前に座り込んだ。
「そりゃあ思った以上にあの若旦那が馬鹿と分かったからだ。あんな馬鹿に大事な可愛い一人娘をやりたい親があるか」
「そうさ、お前はまだ十八で男を見る目なんざありゃしないんだよ。若旦那は美男なだけさ。頭は空っぽの馬鹿なんだよ」
二人はケチョンケチョンに草之介を馬鹿呼ばわりする。
「あたしに男を見る目がないっ?お父っつぁんもおっ母さんもあたしの目がそんな節穴だと思ってたんでござんすかえっ?」
蜂蜜はカッとしてお座敷着の裾を払って立ち上がった。
「草さんのことは誰よりあたしが一番よく知ってるってのに、そのあたしが草さんが馬鹿なことくらい知らないとでも思ってたんでござんすかえっ?」
蜂蜜は声を荒げる。
「蜂蜜っ、お前、親になんて口をお聞きだいっ」
熊蜂姐さんもキッとして立ち上がった。
睨み合いになる母と娘。
「ポリポリ」
「ポリポリ」
松千代と小梅は慣れっこなので知らん顔して豆菓子を摘まんでいる。
蜂蜜も親も草之介が馬鹿ということでは意見が一致しているのだ。
「あんな――馬鹿に――惚れた――と――言うのか――」
玄武の親分は恨めしい声でボソッと呟き、「くぅ」と呻いて羽織の袖で顔を覆った。
「ほれ、ご覧。蜂蜜、お前はお父っつぁんを泣かして平気なのかい?」
熊蜂姐さんが蜂蜜に詰め寄る。
「……」
蜂蜜はチラと玄武の親分を見やる。
「グスングスン」
玄武の親分は山のように大きな肩を震わせている。
「ふん、ばからし。お父っつぁんの泣き真似になんざ騙されるもんかえ」
蜂蜜は付き合ってられるかというように玄武の親分の前を横切って廊下へ出た。
「ドス吉、もう出掛けるよっ」
玄関で箱屋を呼ぶ。
「へい、どちらのお座敷へ?」
ドス吉が黒塗りの下駄を揃えて蜂蜜に訊ねる。
「稲光関のお座敷のある金星屋だよ。聞くまでもないだろっ」
熊蜂姐さんが茶の間から口を出してドス吉に怒鳴る。
「……」
松千代と小梅は豆菓子を摘んだ手を止めて、蜂蜜の返答に注目した。
「宝来屋だよ。決まってんだろ?」
蜂蜜は落ち着き払って草之介の来る料理茶屋の名を告げた。
カラコロ、
カラコロ、
「……」
熊蜂姐さんは玄関を出ていく蜂蜜の下駄の音を苦虫を噛み潰したような顔して聞いていたが、
「おい」と言う玄武の親分の声でハッと気付いて神棚から火打ち石を取り、玄関へ出てカチカチッと切り火を打った。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる