富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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借りてきた猫

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 同じ頃、

 日本橋芳町の蜜乃家。

 二階の広間では芸妓げいしゃの蜂蜜、松千代、半玉の小梅がすでにお座敷着の着付けを済ませて各々の鏡台の前で髪飾りを選んでいた。

「ねえ?こっちとこっち、どっちが合うかえ?」

 蜂蜜が両手に銀の平打ちのかんざしを持って左右の二人に訊ねる。

「どっちだっていいさ。どっおせ桔梗屋の若旦那なんざ蜂蜜姐さんの顔より上は見やしないんだから」

 小梅は蜂蜜のかんざしに目もくれず自分の花簪はなかんざしをとっかえひっかえしている。

「ま、そりゃそうだけどさ」

 蜂蜜の選んでいる簪はすべて草之介からの貢ぎ物だ。

 似たり寄ったりの簪が蒔絵の鏡台の引き出しの中にガシャガシャと数え切れぬほどある。

「これ、帯の柄によく合うね。あっ、駄目だ。これ、こないだ稲光関いなびかりぜきがくれたヤツだよ」

 蜂蜜はいっぺん差した簪を引っこ抜いてポイと邪険に畳に放り投げた。

 横恋慕の稲光関も蜂蜜にせっせと貢ぎ物をしているようだ。

「差してったらいいぢゃないか。どっおせ草さんなんざ自分で買ったかんざしも覚えちゃいないよ」

 松千代が簪を拾って蜂蜜に差し出す。

「そりゃそうだけどさ」

 蜂蜜は受け取らずにシッシと簪を手で追っ払ったので、松千代はちゃっかり自分の鏡台の引き出しに簪を仕舞った。

 
 一方、階下したの茶の間では、

「ふうぅ」

 縁起棚えんぎだなを背にした長火鉢の定位置に蜜乃家のあるじである熊蜂くまんばち姐さんが座って物憂げに煙管きせる紫煙しえんをくゆらせていた。

 かなりの大年増のはずであるが娘の蜂蜜と姉妹かと思うほどに若々しい。

 どう見ても二十代半ばのつややかな美貌は若返りの金煙を使っていたからに違いない。


 そこへ、

「ただいま戻りましたぁ」

 大年増の女中に連れられておマメが帰ってきた。

 おマメは蜜乃家の女中のおピンと湯屋へ行ってきたのだ。

「……」

 おマメはおそるおそるという様子で茶の間へ入った。

 まだ蜜乃家へ来てから一度も声を出していない。

 それくらいおマメは借りてきた猫になっていた。

「おかえり」

 熊蜂姐さんがチラと横目で女中のおピンを見やる。

「……」

 おピンは熊蜂姐さんににんまりとして頷く。

「……」

 熊蜂姐さんもにんまりとして頷き返した。

 どうやらおマメは蜜乃家の仕込みっ子として認められたのだ。

 芸妓の修行をする娘を仕込みっ子だの下地っ子だのと呼ぶ。

 芸妓屋では仕込みっ子として家に置くかどうかを決める最後の試験で一緒に湯屋へ行って身体に痣や傷などがないかを確認するのだ。

 おマメはそうとも知らずに女中のおピンに紅絹もみの糠袋で全身を念入りに磨き上げられて茹で卵のようにツルツルになって湯屋から帰ってきた。


「さっ、そいぢゃ、二階で着替えさせてやっとくれ。蜂蜜のお下がりでいいだろうさ」

 にわかに上機嫌になった熊蜂姐さんがパパンと手を打つ。

「へい」

 ドスの利いた返事がして、筋骨隆々な強面こわもての箱屋が廊下からドスドスと足音を響かせて現れた。

 芸妓の着物の着付けは箱屋がするのだ。

「……っ」

 おマメはこの筋骨隆々な強面に着物を着せられるのかと思うと恐ろしさに顔が強張った。

「ああ、ドス吉、お前ぢゃなくて。おピンが着せておやり」

 熊蜂姐さんはおマメがビクビクしているのが可笑しそうに口元を緩める。

 強面の箱屋はドス吉というらしい。

 おそらくおピンもドス吉も熊蜂姐さんが適当に名付けたのであろう。

 昔は雇い主が好きに奉公人の名を付けるのであるじの名付けの趣味の良し悪しが知れるというものだ。

「へい」

 ドス吉はまたドスドスと廊下を引き返していく。

「……」

 おマメはホッと安堵して女中のおピンについて二階へ上がっていった。


 ほどなくして、

 振り袖に着替えたおマメが二階からしずしずと下りてきた。

 振り袖は縮緬ちりめん二枚重ね、地は江戸紫、模様は大輪の白菊、長襦袢は緋縮緬、帯は菊と宝尽くし織り出し金縫い登り龍下り龍だ。

 豪華絢爛を絵に描いたような支度である。

 女中のおピンにうながされておマメは熊蜂姐さんの前にかしこまって正座した。

 振り袖を着るのは初めてで長いたもとをどこへやったものかも分からない。

「なに、毎日、着ているうちに慣れてくるさ。よく似合うぢゃないか。絹物に負けてないよ。この子の器量は」

 熊蜂姐さんはおマメの振り袖姿に満足げに目を細める。

「……」

 おマメは褒められた嬉しさをギュッと奥歯に噛み締めた。

 長屋住まいの庶民の素人娘がいきなり上等な絹物を着てもしっくりしないものだがおマメは違った。

 おマメは日焼けもせず手荒れもせず色白の柔肌やわはだだ。

 それというのも、近所の裏長屋のガキ共とは決して遊ばず、子守り以外の仕事はおしめの洗濯すらかたくなに拒んでいたからである。

「気が利かない」「可愛いげがない」とさんざっぱら言われても何もしなかった自分を今こそ褒めたい。

 自分を「ふてくされた娘」などと馬鹿にした連中に勝ったとおマメは思った。


「いいかえ?これが今日からお前の名だよ」

 熊蜂姐さんがおもむろに筆を手に取り、半紙に名を書いてみせる。

 半紙からはみ出さんばかりの豪快な筆さばきだ。

「……」

 おマメは目を丸くして半紙の文字を見つめた。

「どうだい?良い名だろ?気に入ったかい?」

 熊蜂姐さんは有無を言わせぬ不敵な笑みを浮かべる。

 気に入らぬなどと言える訳がない。

「……」

 おマメはただコクコクと頷く。

「ほんに、結構な名でござんすよ」

 女中のおピンが半紙をうやうやしく縁起棚にかかげた。

 その名は『蜜豆みつまめ』。

 まるでおマメが蜜乃家へ入ることを予期していたかのようにあっさりと名が決まった。
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