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人の情は世にある時
しおりを挟む「どうしたもんぢゃろのう――」
サギは頭を抱えて唸った。
「ううううう――」
唸れども、唸れども、なにも考え付かない。
「ま、そのうち、ええ方法を思い付くかも知れん」
下手の考え休むにしかず、
サギはすっくと立ち上がった。
お桐の弟の樺平は命に関わる怪我ではないのだし、骨接ぎで名高い千住の名倉で治療中なのだから慌てることはないのだ。
(まずは金ぢゃ。取り敢えず、先立つものは金ぢゃ)
お葉に頼めばポンッと気前良く千両箱から二百両や三百両は出してくれるであろう。
だが、杉作があれほどに施しを嫌うところを見れば母のお桐も施しなど受け取らぬ性分に決まっている。
(そしたら、仕立て物の仕事で稼ぐしかないぢゃろ)
サギは長い縁側をお葉のいる奥の棟へと走った。
「おやまあ、それなら、ちょうど白見の家で婚礼支度の着物を誂えると言うとったから紹介しようかえ?」
お葉は先に義兄の白見根太郎から長女の婚礼支度の着物の相談を受けていたので好都合であった。
「お桐さんの腕前はお市が太鼓判を押したそうだし、間違いないわなあ」
お葉はさっそく白見根太郎宛てに紹介状をしたためた。
「あの家には娘が四人もおるのだから、次々と縁談が決まれば良いお得意になってくれるはずだえ」
ミミズがのた打ち廻ったような悪筆の草之介やお花と違って美しい筆跡だ。
白見根太郎の下谷の屋敷なら千住に近い。
弟の樺平の療養先の千住へ通うついでに下谷へ寄れるのでお桐にも都合が良い話だ。
「そうだえ、お桐さんさえ良ければ、うちの座敷でみんなと一緒に針仕事したらええわなあ。ああ、杉作の妹も連れてきたらええ。お枝と遊んでおれば寂しくなかろうし」
お葉は紹介状の半紙をヒラヒラと振って墨を乾かす。
「そりゃ、ええ案ぢゃっ」
サギはペチッと手を打った。
杉作が薪売りに廻る時に三人で一緒に来て、お桐は桔梗屋で針仕事して、帰りも三人で一緒に帰れば良いのだ。
まったくお葉は心配りが細かい。
桔梗屋の番頭等は旦那の樹三郎をないがしろにしてお葉の指示に従っていたのだから、そもそも桔梗屋は先代の亡き後はお葉の人望で保ってきたのであろう。
「杉作の妹のお栗はそりゃ可愛ええ子ぢゃからお枝もきっと気に入るぞ。今、お桐さんが台所のみんなのところへ来とるんぢゃ。これ渡して、そう伝えとくっ」
サギは紹介状を持って勢い込んで台所へ走っていった。
「まあ、さすが奥様は懐の深いお方だよ」
「良かったねえ。お桐さん」
下女中はみな我が事のように喜んだ。
「まあ、なにからなにまで、こんなに親切にして戴けるなんて、あんまり有り難くて――」
お桐が涙を浮かべつつ感謝して紹介状を受け取ったことは言うまでもない。
『落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ 知らるる』
こんな歌もあるが、まさに歌のとおりであった。
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