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娘一人に婿八人
しおりを挟むあくる日。
「ご免下されぇぇ」
昼過ぎにお庭番の八木明乃丞が戯作の続きを持って桔梗屋へやってきた。
今日は首尾良く手土産の菓子を買ってきている。
日本橋和泉町の虎屋の饅頭だ。
京の虎屋とは異なる別の店である。
「ん~、こりゃ美味いのう。昨日の羽衣屋の餡ころ餅といい、八木殿は美味い菓子屋をよう知っとるんぢゃのう」
サギは饅頭をモグモグと頬張った。
「頻繁に菓子を買うて参れと仰せつかるのでござるぅぅ」
八木はコソッとサギに囁いて渋い顔をした。
将軍様は直属の密偵であるお庭番に密命で菓子屋へお使いをさせているのだ。
なるほど将軍様がご所望なのだから有名店の絶品の菓子ばかりなのも頷ける。
「――ぅう、あ、あんまりだわな。小町娘の恋の行方はどうなってしまうんだえ?」
お花は八木の戯作『小町娘恋風涙雨』の続きを夢中で読んでハラハラと涙を流している。
八木はお花に読ませたいがために丁寧に読みやすい字で書いてきた。
読みやすい字ならばサギに清書を頼む必要はないので戯作を持ってくることもなかろうに、
もう当初の清書という目的はどこへやら八木の目的はお花に続きを読んで貰うことにすり変わっていた。
「なんぢゃ?泣くような話なのか?」
サギはお花が読み終えた分を抜き取って読み始める。
前話にも増して恋する小町娘が恋わずらいに悶々とするこっ恥ずかしい内容だ。
「うぅ、小町娘の恋する若侍が武家娘と見合いをするんだわな。うぅぅ」
戯作の小町娘と若侍を自分と児雷也で想像しているお花はすっかり感情移入している。
すると、
「うぅぅ」
何故か八木までが震え声で泣き出した。
「や、八木殿、どうしたんぢゃっ?」
サギはビックリした。
武士たるもの人前で泣くなど天地がひっくり返っても有り得ぬことだと思っていた。
「――じ、実はぁ、それがしにも見合いの話があるのでござるぅぅ」
八木は涙を拭き拭き打ち明けた。
「見合いの相手はそれがしと同じく直参武士の娘にござるぅぅ。誰の娘であるかは仲人が名を伏せておるゆえ知らぬのでござるぅぅ。わしだけでなく若侍八人がみな見合いをするのでござるぅぅ」
「八人がみな見合い?どういうこと?」
お花はキョトンと首を傾げる。
長唄や踊りの稽古仲間からも見合いしたという話は一度も聞いたことがなく見合いに関する知識もない。
「それはぁぁ、その、つまりぃぃ」
八木の説明によると、
その直参武士から娘の縁談を頼まれた仲人が取り仕切る見合いなのであるが、誇り高き武家娘の自尊心を傷付けぬように娘本人には見合いとは知らせずに乳母が芝居見物に娘を連れ出すのだという。
そして、娘の姿が見える席に見合い相手の若侍八人が座り、娘を気に入った若侍は後日、仲人に嫁に望む旨を伝えるのだそうだ。
お互いに恥を掻かぬよう武家らしく体面を重んじた見合いの形式なのである。
「あとは志望者の中から娘の父上がこれぞという者を選び、縁談は成立ぅぅ、目出度し、目出度しと相成るのでござるぅぅ」
八木は話すうちに自分は武家娘を嫁に望むつもりはないのだと思ったらとたんに気が楽になった。
さっきはお花の涙を見るうちに見合いするだけでもお花を裏切るような錯覚に陥ったのだ。
「まあ、そいぢゃ、見合いで娘は相手を選べぬのかえ?何も知らずに芝居見物していて一方的に相手から品定めされて選ばれるだけ?そんなのヒドイわなっ」
お花は自分とは縁もゆかりもない武家娘であろうが、あまりに理不尽な見合いのやり口に憤然とした。
まるで相手が直参武士でさえあれば誰でも構わなく娘には何も異存はないみたいではないか。
「こういう見合いの形式は武家には多いのでござるぅ。娘が相手を選ぶなど武家では聞いたことはござらんぅぅ」
八木は申し訳なさげな顔をする。
「まあ、なんてこと。あたし、武家娘ぢゃなくてホントに良かったわな。元々は武家だったのに菓子屋になるために家督を弟にお譲りなさったお爺っさんのおかげだわな」
お花は心底ホッとしたように言った。
「うぅぅ」
八木は「シマッタ」と思った。
武家の男尊女卑をわざわざ詳らかにしてしまった。
これではお花が武家の嫁になどなってくれるはずがない。
ましてや美男でもないこの八木明乃丞の嫁になど。
「サ、サギ殿ぉぉ」
八木は助けを求めるようにサギを見やった。
「んぐ?饅頭、美味いのう」
サギは我関せず五つ目の饅頭を頬張っていた。
縁談だの、見合いだの、まったくサギには興味ない話題だったのである。
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