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人は鏡
しおりを挟むそれから、
「ううぅ」
「お桐さん、苦労してるんだねえ。うぐっ」
「うっ、うっ、困ってんのなら、もっと、は、早くに言ってくれりゃ良かったに」
「えっ、ひっ、自分んちの畑を持ってるから食べるにゃ困らんとばかり」
「ふぐ、うぐ、誰か病人でもいるのかねえ?」
下女中は杉作が立ち去った後で一斉に嗚咽の大合唱になった。
「……」
サギはしんみりとして膝を抱えて壁の裏側に座っていた。
自分が隠れていて良かったと心から思った。
おそらく杉作はサギがいたなら恥じて頼めなかったであろう。
杉作の気位の高さは昨日一日だけでサギにも充分に分かっているのだ。
そこへ、
「なあ?姉さんがお茶はまだかえって」
実之介がやってきた。
「あっ、小母さん等、どうしたんだい?」
実之介は下女中がみなして泣いているので何事かとキョロキョロした。
桔梗屋の子等は下女中のことは小母さんと呼んでいる。
下女中ではあるが同じ手習い所に通う子等のおっ母さんでもあるので小母さんと呼ぶのが一番適当であったのだ。
「ああ、ミノ坊様、これが泣かずにおられましょうか」
下女中はさめざめと泣きながら杉作の話を実之介に話して聞かせた。
実之介が手習い所に通い始めた頃には杉作はすでに田舎で暮らしていたので、実之介は杉作のことは知らなかった。
杉作はこの辺りには手習い所の時間帯に薪を売りに来るので見掛けたこともなかったのだ。
「そいぢゃ、杉作は大きな材木問屋の一番番頭の子だったのに三年前の火事でお父っさんを亡くして――」
実之介は口を固く結んで土間に積まれたまきざっぽうの束をじっと睨んだ。
三年前といえば杉作はちょうど実之介と同じ九歳の頃である。
日本橋の裕福な暮らしから一転して田舎で野良仕事をして薪を売り歩くなど自分にはとても出来そうにない。
それどころか火事見物をさせてくれなかったと乳母を恨んで当て付けがましく手習い所から途中で帰ってしまった自分はなんと愚か者であったことか。
「わしはっ、わしが猛烈に恥ずかしいぞっ」
実之介は深く反省した。
「よう言うたっ。実之介っ、それでこそ、わしの弟子ぢゃっ」
サギは感極まって実之介の両肩をグッと掴む。
今、初めて知ったが、ニョキニョキ草を飛ぶ鍛練を教えてやったのでサギは実之介を弟子にしたらしい。
「サギ、痛い、痛いっ」
サギの馬鹿力で肩を掴まれて実之介は悲鳴を上げる。
また、そこへ、
「おや、どうしたんだえ?」
お葉がやってきた。
「あ、おっ母さんも聞いとくれっ」
実之介が今、聞いた杉作の事情を話し、サギは下女中の親切を話した。
「まあ、みんな、それこそ江戸っ子の心意気だわなあ」
お葉は下女中の義理人情にいたく感心し、
「けれど、みんなに任せる仕立て物はいつもどおりの数になるからちょうどええわなあ。ああ、これ、さっき選んだ反物をお持ち」
お葉が呼ぶと「へえっ」と返事して小僧の四人が十反の反物を持ってきてドドンと板間へ置いた。
「サギのお仕着せの反物だえ。サギはすぐ着物を汚して破くというから枚数があったほうがええと思うてなあ」
お葉は特別扱いのサギにはお仕着せに筒袖とたっつけ袴を五着ずつも誂えてやるつもりなのだ。
「――わしのお仕着せ?」
しかも、サギが自分で選んだ筒袖の玉子色の他のはお葉のお見立てで、撫子色、桜色、橙色、菫色という可愛ゆらしい色合いである。
(そんな娘っ子みたいな色、イヤぢゃあ)
サギは心の内でそう思ったが下女中が仕立てをお桐に譲った十着分が自分のお仕着せで補えるのだから文句は言えない。
「まあ、キレイな色」
「縫うのが楽しみだねえ」
「ああ、有り難や」
下女中は仕立ての手間賃がいつもどおりになるので大喜びだ。
またまた、そこへ、
「もぉ、お茶がないと餡ころ餅が食べられんわな」
お花が業を煮やして自分でお茶を取りに来た。
手も足も爪は小梅に爪紅を塗って貰ったので桜色のツヤツヤだ。
「ああ、姉さんも聞いとくれよ」
実之介はお花にも杉作の話を聞かせる。
「まあ、そんなことが――」
お花もホロリとして袂で目元を押さえた。
なにしろ町の読売より他は身近な出来事しか話の種がないという時代ゆえ、すぐさま口伝てに広げるのである。
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