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馬鹿に付ける薬はない
しおりを挟む「あ、ああ、そうだったなっ」
い組の頭は草之介が虎也が怪我をしたと知って取り乱して駆け付けたのだと早合点した。
巷の噂で虎也と草之介は恋仲だと聞いている。
ろ組の纒持ちのように美人の女房でも貰って人気がガタ落ちになられたら困るので、い組の頭にとっては好都合なことだ。
「そいぢゃ、邪魔者は消えるとすっかい。馬に蹴られねえうちにな。がははっ」
頭は機嫌良く笑いながら足早に去っていった。
「ああ、立ち話もなんだ。そこの羽衣屋にでも――」
虎也は近くの羽衣屋という餡ころ餅で名高い店に草之介を誘った。
「ごゆっくり」
女中がお茶と餡ころ餅を運んできて座敷を出ていくなり、
「と、虎也さんっ、お頼み申すっ。早う、一日も早うっ、『アレ』を取り返して下されえっ」
草之介はバッと畳にひれ伏して頭を下げた。
もう虎也の前では面子にこだわってはいられぬほど草之介は危機感を抱いていた。
「しかし、こう火事が多くっちゃなあ。火消で忙しくってよ、裏の仕事をする暇もありゃしねえ」
虎也は涼しい顔してザンバラの髪を掻き上げた。
「はあ、たしかに昨夜は二ヶ所で火事があったようで――」
火事は二ヶ所とも、い組の受け持ちである日本橋の北側だったのだ。
「ああ、最初の火事は幸いボヤですぐに消し止めたがよ。それが、どっちの火事も付け火らしいってえんだ」
虎也は餡ころ餅をブスブスといっぺんに串刺しにし、横向きにグイッと齧り取る。
忍びの者は酒も煙草もやらぬゆえ虎也も顔に似合わず甘党だ。
「――付け火?」
江戸の町は火事が多いが大半は不審火であったのだ。
「ああ、付け火の不届き者がお縄にならねえうちは、い組も毎晩、火の用心の夜廻りをすることになっている。てぇことは、ますます『アレ』を取り返す暇なんざありゃしねえってこった」
虎也は唇の端に付いた餡を猫のようにペロリと舐め取り、お茶を一気に飲み干すとさっさと席を立った。
草之介の必死の懇願にもけんもほろろな対応だ。
実のところ虎也は前金の五百両を手に入れただけで、はなっから『金鳥』を取り返してやるつもりなどさらさらなかった。
「そいぢゃな。ご馳走さん」
虎也は素っ気なく座敷を出ていく。
「……」
草之介は座敷に一人ポツネンと取り残された。
しかも、この餡ころ餅の勘定は草之介のツケになったらしい。
いくら馬鹿な草之介でも虎也に前金の五百両を騙し盗られたと気付きそうなものであるが、いかんせん、草之介は並みの馬鹿ではなかった。
草之介は気を取り直し、皿に五つある餡ころ餅をパクッと口に放り込む。
「う、美味いっ」
正直なところ家業である南蛮菓子よりも餅菓子のほうがずっと好物だ。
朝ご飯も食べてなかったので餡ころ餅のおかわりも注文してモリモリと食べた。
これでは年の瀬の支払いがまた増えてしまっただけではないか。
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