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忍びの鍛練
しおりを挟む「うひゃひゃ」
サギはカスティラ斬りまでは暇なので裏庭に面した縁側で寝そべって黄表紙を読んでいた。
キイッ、
裏木戸が開く。
「あれ?実之介、お枝、やけに早いのう」
出掛けてから半時(約一時間)も経たぬうちに乳母のおタネが付き添って実之介とお枝が手習い所から帰ってきた。
「だって、みんな夕べの火事見物の話ばかりするんだっ。つまらんから帰ってきたっ」
実之介は火事見物に行かせてくれなかったおタネを恨みがましく睨み付ける。
「おや、サギさんは本をお読みにござりまするかえ。お枝坊様も昨日、貸本屋さんに借りた面白そうな赤本がござります。ささ、タネがお読み致しましょう」
おタネは素知らぬ顔してお枝を連れて奥へ行ってしまう。
「ふんっ」
実之介は膨れっ面だ。
「火事見物に実之介ほどの童なんぞおらんかったがのう」
野次馬の中にいたのは一番小さくても桔梗屋の小僧の千吉くらいであった。
「みんなは自分んちの二階の窓から見とったんだと。辰吉さんや喜太さん弥太さん兄弟は山算屋の向かいの通りの小間物屋と紅白粉問屋の子なんだ」
実之介は「ちえっ」と小石を八つ当たりに蹴る。
「ほお、そんなら、わしが屋根にいた味噌問屋の並びぢゃ。そりゃ、よう見えるのう」
桔梗屋からでは屋根まで上がらぬと火事場は見えなかった。
「なあ?みんなが言うてた屋根の上をピョンピョンと飛んでおったのはサギだろう?何でそんなにピョンピョン飛べるんだい?」
実之介はサギに詰め寄る。
「そりゃあ、小さい頃から毎日毎日、ピョンピョンと飛んでおったからぢゃ」
サギは何でもないことのように答える。
「毎日毎日、ピョンピョンと飛んでおったら、わしもサギのようにピョンピョン飛べるようになるのか?」
実之介は熱を込めた眼差しでサギを見る。
「なんぢゃ、実之介もピョンピョン飛べるようなりたいなら鍛練法を教えてやろうぞ。なに、誰でも出来る容易いことぢゃ」
サギは縁側からピョンと飛んで裏庭に立った。
「容易い?ホントかいっ?」
実之介は期待いっぱいに目を輝かせる。
「う~んと――」
サギは裏庭をキョロキョロと何かを探しながら歩き廻り、実之介はその後ろに付いていく。
「お、あった、あった。ニョキニョキ草ぢゃっ」
サギは高さ五寸(約15㎝)ほどの雑草を指差した。
「ニョキニョキ草?」
実之介は前屈みになって雑草に目を凝らす。
「江戸では何と呼ぶか知らんがの、富羅鳥山ではニョキニョキ草と呼ばれとる草ぢゃ」
よく見掛ける年がら年中、そこらへんに生えている雑草だ。
「これをどうするんだい?」
実之介は雑草と飛ぶ鍛練法の関連が分からない。
「まあ、よおく聞け。このニョキニョキ草はその名のとおり伸びるのがニョキニョキと非常に早い。毎日毎日、朝晩、ニョキニョキ草をピョンピョンと飛び越すんぢゃ。ニョキニョキ草は大人の背丈ほども高う伸びるからの。毎日毎日、朝晩、ピョンピョン飛び越すうちにそれだけ高う飛べるようになるという寸法ぢゃ」
サギはいとも容易げに説明した。
一応、れっきとした古来から伝わる忍びの鍛練法である。
「へえ、この高さならお枝でも飛び越せるぞ」
実之介は下駄を脱ぎ捨て、裸足でニョキニョキ草をピョンピョンと何度も飛び越してみせた。
「毎日毎日、朝晩、欠かさず飛ぶのが肝心ぢゃ。昨日は飛べたニョキニョキ草が今日になって飛べぬことはない。ぢゃが、明日には飛べんかも知れんからの」
いったいニョキニョキ草が一日にどれほど伸びるかは謎である。
「うんっ、よおく分かったっ。わしゃ毎日毎日、朝晩の日課にするぞっ」
実之介は張り切ってニョキニョキ草をピョンピョンと飛び続けた。
「うんうん、ええぞ。実之介はなかなか見所があるの」
サギは左右にピョンピョン飛んでいる実之介を目で追いながらご満悦に頷いた。
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