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猿踊り
しおりを挟む「あんちゃ」
農家から杉作の妹と思しき小さな娘子が出てくる。
「これ、お栗、薪割りの側に行っちゃ危ないよ」
その後ろから杉作の母と思しき女子が追ってきた。
杉作の妹のお栗と母のお桐だ。
お桐は楚々とした美人で三年前まで日本橋で裕福に暮らしていただけにすっきりと垢抜けしている。
商家は番頭になるまで妻帯が許されぬゆえ三十五歳くらいで番頭になって、十五歳くらいの若い娘を嫁に貰う親子ほど年齢差の夫婦がほとんどであった。
お桐も材木問屋の番頭に十五歳で嫁いだので三年前の火事で亭主に死に別れてもまだ二十七歳の若後家だ。
「おっ、杉作のおっ母さんと妹ぢゃなっ」
サギは斧を切り株に突き刺して置くと、汚れた手をたっつけ袴でゴシゴシと拭き、
「わしゃ、杉作と仲良しのサギぢゃっ。これは手土産の甘酒ぢゃっ」
二人に駆け寄ってお桐に酒徳利を手渡した。
「まあ、それはそれは、まあ、杉作は気難しい子でしょうが仲良うしてやって下さいね」
お桐は酒徳利を目八分に掲げて謝意を表し、嬉しげに笑みを浮かべた。
日本橋育ちの杉作は母の郷里の農村では同じ年頃の童とは馴染めずに遊び仲間もいなかったのだ。
「な、仲良しだと?」
杉作は甚だ不本意そうな顔をしたが、嬉しげな母を見ると黙って頷いた。
この場はサギと仲良しということにしたらしい。
お桐は「良かったねえ」というように杉作に頷いてから家の中へ戻っていった。
「お栗かあ。美味そうなええ名ぢゃあ」
お栗はクリクリと黒目がちでプクッと頬が膨らんで栗鼠のように可愛い顔をしている。
さっそく、サギはお近づきのしるしにお栗に得意の猿踊りを伝授する。
「ほれ、手を上げて、足を上げて」
「うきゃうきゃ」
お栗はすぐにノリノリで猿踊りを覚えた。
サギは富羅鳥山の猿から直伝の猿踊りで十歳以下の童なら容易に手懐けることが出来るのだ。
(実之介やお枝もここで一緒に踊らせたいのう)
サギは青々と生い茂った木々を見渡して思った。
やはり、猿踊りは自然の中で踊ってこその猿踊りだ。
「おい、お栗に馬鹿みたいな猿踊りを教えるな」
杉作は猿踊りが気に入らぬらしく文句を言った。
「馬鹿みたいぢゃとお?」
サギはムッとして杉作を睨み付ける。
「富羅鳥山の仲良しの猿に習うた本家本元の猿踊りぢゃぞっ。お前はわしの仲良しを馬鹿にするつもりかっ?ええか、猿は賢いんぢゃっ」
仲良しの猿の名誉のためにサギはこれだけは譲れない。
「杉作、お前は鷹は勇ましゅうて格好ええが猿は馬鹿みたいだと、そういう了見なんぢゃなっ?見損なったぞ。おったんちんのスカタンのあんぽんたんめがっ」
サギはフンと踵を返して林道を走っていった。
「え?お、おい、違う。サギ、待て。思い違いだっ」
杉作もサギの後から走っていく。
「まあ、もう喧嘩を?」
サギの大声で家の中から出てきたお桐は残念そうな顔で吐息した。
「うきゃうきゃ」
お栗はノリノリで猿踊りを続けている。
「サギ、待てったらっ。おいらは猿を馬鹿みたいだと思うた訳ぢゃないぞ。お前の猿踊りが馬鹿みたいだと思うただけなんだっ」
杉作は必死に弁解しながらサギの後を追ったが、とてもサギの足には追い付かない。
「――おっ?あの木っ」
サギは走りながら前方の大きな樫の木に目を留めた。
「富羅鳥山の樫の木に枝ぶりがそっくりぢゃっ」
富羅鳥山でいつもサギが高い枝の上に立って山の麓を眺めていたのも大きな樫の木であった。
「えいやっ」
凄まじい跳躍で枝に飛び付くと、サギは猿のごとくスルスルと木を登って高い枝の上に立った。
「アイツ、何者だ?」
杉作は猿並みのサギの木登りに目を見張った。
この目で目の当たりにして確かにサギは猿と仲良しであろうと信じられた。
「う~ん」
サギは枝に両手で掴まり、めいっぱい後ろへ頭を反らした。
樫の木の葉の隙間から見える青い空は富羅鳥山で見ていた空と変わらない。
チチッ、
鳥が飛んでいく。
(摩訶は元気かのう)
富羅鳥山に残してきた忍びの犬の摩訶不思議丸を思い出す。
(来月のたぬき会が終わったら帰るからのう)
サギはにわかに富羅鳥山が恋しくなった。
江戸の町は「月日が経つのも夢のうち」というほど楽しいが、やはり自分の暮らすところは富羅鳥山だ。
「そうぢゃっ。ここもわしの樫の木と決めようっ」
サギは勝手にこの樫の木を自分の木登り用と決めた。
江戸近郊の雑木林は江戸の町で大量に消費する薪を賄うために幕府が植えたものであるが、この樫の木は樹齢三百年は経っているので昔から自生していた木に違いない。
「おい、サギぃ」
杉作がサギを追って樫の木によじ登り始めた。
「あ、杉作め。わしの樫の木に断りもなく登る気ぢゃなっ。わしの猿踊りを馬鹿みたいだと言うたのも許さんのぢゃっ」
サギは意地悪くパッと隣の木の枝へ飛び移る。
バサバサ、
「うわっ」
杉作は自分の頭上をムササビのように通過したサギにビックリして木からズルズルと滑り落ちた。
「ケケケ、木も登れん腰抜けめがっ」
サギは木の枝に片手でぶらさがって杉作にアカンベすると枝から枝へと木を伝わって雑木林を飛び去った。
「……」
杉作は地べたに尻を付いて幹に抱き付いたままサギの姿が遠く消えるまでポカンと見つめていた。
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