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にっちもさっちも
しおりを挟む同じ頃、
(あぁあぁ、つまらん。店になんぞ出たところでやることもありゃしない)
店の帳場で草之介はだらしなく上体を斜めに傾け、文机に頬杖を突き、算盤の玉をパチパチと玩んでいた。
番頭は帳簿とにらめっこしているし、
手代はご進物の菓子に添える挨拶状を書いているし、
若衆は菓子の紙袋にキリで穴を開けている。
この時代の袋入り菓子はたいてい口を二つ折りした部分に開けた二ヶ所の穴にこより紐を通して蝶結びにして閉じた包装になっている。
番頭三人、手代三人、若衆三人、小僧四人もいたら草之介が店でする仕事など何もない。
そもそも江戸は人手が有り余っている町なのだ。
その最たるものが武士である。
武士はあまりに仕事がないために一つの仕事を三人で分担しているので三日に一日か二日しか働かない。
それゆえに下級武士はすこぶる貧乏なのだ。
「若旦那様?手持ち無沙汰にござりましたら、こより紐でもこしらえになっては?」
一番番頭の平六が退屈そうな草之介を見かねて紅白の和紙を差し出した。
「ふん、ばからし。こよりを縒るのなんぞ小僧の仕事ではないか」
草之介はぞんざいに和紙をバサッと放り投げる。
(あぁあぁ、わしも店に出るのは三日に一日か二日にしたいんだがなあ。しかし、遊びに出るにも金はもう使えんし)
草之介は怠けて遊ぶことばかり考えている。
だが、
暖簾をくぐってきた人影を認めるや否や、
パッと姿勢を正し、
キリッと凛々しく決めた顔を上げ、
「いらっしゃいまし」
ハキハキと爽やかな声を響かせた。
一応、評判の美男として外面だけはめっぽう良いのだ。
「よお、草さん」
店の中に熊五郎の大きな図体が現れた。
「なんだい。熊さんか」
客かと思いきや熊五郎と分かるなり、草之介はまたグニャリと姿勢を崩して文机に片肘を突く。
「なんだいたぁつれねえな。あっしゃ、これから錦庵へ行くからよ。草さんも一緒にどうでい?」
熊五郎は蕎麦をたぐる手付きをしてみせる。
「おっ、蕎麦かい。いいね、いいね。そいぢゃ、番頭さん、わしはちょいと早めの昼にしてくるよ」
草之介は店番に飽き飽きしていたので熊五郎の昼の誘いを時の氏神とばかりに立ち上がった。
「――お、サギちゃん。あっし等、これから錦庵へ蕎麦ぁ食いに行くけどよ。何か言付けがありゃあ伝えとくぜ」
熊五郎は店を出ると通りの天水桶の横にしゃがみ込んでいるサギに声を掛けた。
「む――っ」
錦庵と聞いたとたんサギは思いっ切り顔をしかめた。
(おのれ、兄様、いや、我蛇丸めが。わしをコケにした恨みは忘れんぞっ)
(根性悪のひねっくれの唐変木のおったんちんのぺんぺろりんのべらぼーめがっ)
(出前の途中で馬に蹴られて肥桶にでも頭から突っ込んでしまえばええんぢゃっ)
こう言付けたいところであるが、熊五郎にいったい何があったのか訳を聞かれても面倒なので黙っている。
「……」
並び屋の男二人はなにやら意味ありげに互いの目を見交わしたが、サギは通りを見ていて気付かない。
熊五郎と草之介の姿はすぐに通りの人混みに紛れて浮世小路へ曲がっていく。
「ふん、あんないけ好かん奴等の蕎麦屋へ食いに行くとは酔狂ぢゃのう」
サギは憎々しげに下唇を突き出した。
「いらっしゃいまし~」
草之介と熊五郎が錦庵の暖簾をくぐると、おクキがいそいそと調理場の暖簾口から現れた。
「おや?うちの女中のおクキにそっくりな女子がおる」
「いやぁ、おクキどんよりか美人だろうが、ホントに瓜二つだ」
草之介と熊五郎は狐につままれたような顔をした。
「あれっ、若旦那様。ほんに、クキにござります。こちらの我蛇丸さんに是非にと乞われましてお手伝いに――」
おクキは「ほほ」と笑って勝ち誇り顔で小上がりの座敷にチラと目を向けた。
座敷には毎度お馴染みの芸妓の松千代と半玉の小梅が澄まして蕎麦を啜っている。
草之介と熊五郎に気付いていても知らん顔だ。
「なんでえ。お前等二人も来てたのか」
熊五郎は気安げに声を掛けたが、
「へえ、ご機嫌よろしゅう。あたし共、お座敷の他ではお相手は出来ませんので、どうぞ、そちらで」
松千代は素っ気なく返して自分等とは反対側の小上がりを差す。
お座敷へ呼ばれてこそ親密にもするが外で客に出逢った時にはことさら他人行儀である。
芸妓は笑みも千両、タダで愛想笑いしてやるほど甘くはないのだ。
「分かってらあな。へい、へい、あっし等はこっちだな」
熊五郎はチェッと舌打ちして通路を挟んだ反対側の小上がりに胡座を組む。
草之介もやれやれという顔をして熊五郎の向かい側に胡座を組んだ。
しかし、こうして芸妓と馴染み客がわざと知らん顔しているのもなかなかオツなものなので本気に怒っている訳ではないのだ。
「ところでよ、草さんを蕎麦に誘ったなぁ他でもねえ。まだ草さんは知っちゃいねえだろうから耳に入れとかなきゃならねえ大事な話があってよ」
熊五郎はもったいつけて話を切り出した。
「何の話だい?」
草之介は怪訝そうに訊ねる。
熊五郎とは物心付いた頃からの付き合いであるが、大事な話など一度も聞いたことはない。
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