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施しの日
しおりを挟むほどなくして、
桔梗屋の前に三々五々と施しを貰いに人々が集まってきた。
「ほお~」
サギは暖簾から顔を突き出して人々を眺めた。
橋のたもとに蓆を敷いて物乞いをしている人はよく見るが、それ以外の貧しい人々をつくづくと見るのは初めてだ。
日本橋は江戸の中心の繁栄地だけに富裕層ばかりで貧しい人が日本橋に住まう訳もない。
いったいどこから貧しい人々がやって来たのかサギには謎であった。
人々の着物はツギハギだらけでいかにもみすぼらしく桔梗屋の雑巾よりも汚れている。
(なんぢゃあ、着物がボロというだけぢゃのう)
富羅鳥山で木から木へと飛び移って着物にボロボロのかぎ裂きをこしらえて泥んこになって猿と遊んでいた頃のサギと比べたらまだ小綺麗に見える。
思ったより施しの日は楽しいものでもなさそうだ。
それでもサギは小僧等と一緒に百文束のおひねりをせっせと配った。
「おありがとうごぜえます」
「ありがたや、ありがたや」
「にゃんまみぢゃぶ、にゃんまみぢゃぶ」
人々はそれぞれに謝意を表して施しを受け取っていく。
ようやく五十人ほど過ぎた頃、
「――おや?」
サギの目がギラリと鋭く光った。
施しの列に並んでいる若い男二人に近付きギロギロと顔を睨み付ける。
「お前等、とっくに最初の五、六人目あたりに並んで施しを貰うたぢゃろうが?さてはズルして並び直して、もっぺん貰うつもりぢゃなっ」
サギは忍びの習いで人の顔はよく覚えているのだ。
「し、知らんっ。人違いだっ」
「俺等ぁ、まだ貰っとらんっ」
男二人は往生際が悪くブンブンと首を振る。
「嘘つけ。お前は手拭いをほっかむりして、お前は顔に膏薬をペタペタと貼っておるが、そんな姑息な変装でわしの目は誤魔化されんぞっ」
サギが男二人の襟元を掴んで引っ張ると、案の定、懐に入れた百文束のおひねりがジャラランと地べたへ落っこちた。
「ほれ、見たことか。こっちへ来いっ」
サギは男二人の襟首を掴んで通りの端に引っ立てていく。
男二人は不興げに天水桶の横にしゃがみ込んだ。
見るからに遊び人風のチャラチャラした男等だ。
「――あ、そういえば、思い出したぞっ」
またサギの目がギラリと光った。
「お前等、どこぞで見た顔ぢゃと思うたら、浅草奥山の見世物小屋におった並び屋ぢゃなっ」
男二人は鬼武一座の初日に先頭に並んでいた遊び人風の男等であった。
施しの列にまで並ぶとは、よほど列に並ぶのが好きなのであろうか。
この並び屋の男等は一ヶ月ほど前に桔梗屋の乳母のおタネに先頭の番付札を譲って一両も受け取ったのに遊びでとっくに使い果たしていた。
「もう、あん時の一両ぁスッカラカンさあ。あれ一度っきり鬼武一座にゃ木戸番の坊主頭の大男に睨まれちまって並び屋が出来ねえんだよお」
「一番人気の見世物で並び屋が出来ねえとなっちゃ、俺等ぁ、おまんまの食い上げなんだよお」
男二人は開き直って文句を言った。
江戸の言葉を真似ているがどうも舌の巻きが甘い、俄仕込みの発音だ。
「お前等、江戸っ子ぶっとるが、江戸の言葉ぢゃないのう。どこぞの者なんぢゃ?」
サギはよく適当に江戸っぽい言葉を使うが人の適当な江戸っぽい言葉にも耳は敏感なのだ。
「俺等ぁ、佃島から来たアサリの佃煮売りだあ」
佃島なら江戸府内だが、元々は家康が摂津国の佃村から漁師を呼び寄せて築いた島である。
「アサリの佃煮?」
サギの目が輝いた。
アサリの佃煮は大好物だ。
男二人は毎朝、佃島からアサリの佃煮を持ってきて露店で売った後に並び屋をやって稼いでいたらしい。
江戸の町では通りの真ん中に蓆を敷いただけの露店がいくつも並んで様々な物が売られている。
幕府もこの無許可の露店を黙認していた。
「あっ、アイツ、ちっとも仕事しとらんっ」
菓子職人見習いの甘太が通りへ出てきて、しゃべくっているサギを見咎めた。
結局のところサギはいつの間にやら施しを配る仕事もそっちのけで佃煮の話に聞き入っていた。
今日はいつもよりも早々と施しを配り終えた。
「ずいぶんと残ったね」
小僧等は振り返って余ったおひねりの山を見やる。
おひねりを百個ずつ盛った箱が三つ。
一つに十二個が残り、二つはまだ山盛りの手付かずだ。
今日は八十八個しか配っていないことになる。
「そらぁ、これまでも二度三度と並び直して一人で何べんも貰ってた不届き者がアイツ等の他にも何十人もいたってぇこったな」
桔梗屋と同じ通りに面した醤油酢問屋の丸正屋の店の中から熊五郎が出てきた。
サギの大声は丸正屋まで筒抜けであったのだ。
あの男二人がサギに見破られたので恐れをなした他の不届き者は今日は並び直しをせずに一度きりで帰ったのであろう。
「うちの丸正屋でも毎月、施しの日はあっけど、いっつも百人にも届きゃあしねえよ。ちゃあんと列の最後に若衆を立たせて並び直しにゃ目ぇ光らせてっからよ」
熊五郎は半纏の袖をやっこ凧のようにバサッと広げ、
「どれ、ちょっくら草さんをひやかしてくっかな」
何故かニヤニヤ顔で暖簾をくぐって桔梗屋の店の中へ入っていった。
「……」
小僧等はシュンと肩を落として面目なさげに顔を見合わせた。
他の店では施しを配るのが百人にも満たぬとは。
ずっと今まで桔梗屋の金銭感覚がユルユルで暢気なところをつけこまれて、並び直した不届き者に二度も三度も施しを渡してしまっていたのだ。
「ズルされて他の店の三倍も施しをしていたことに今の今まで気付かなんだとは――」
一番年長の小僧の一吉は悔しげに口を真一文字に結んだ。
「善意の施しをズルして何べんも貰うなんて信じられんよ」
「小僧だと思ってナメられたんだっ」
「あんまりだよ」
十吉、八十吉、千吉も憤懣やるかたない。
数えの十歳で田舎の親元を離れ、日本橋の裕福な大店で品行方正に勤めてきた小僧等はせっせとマメによく働くが性分は極めておっとりしていた。
せちがらい世間の荒波に揉まれたことなどなかったのだ。
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