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猫撫で声に油断がならぬ
しおりを挟むその頃、
半玉の小梅はまだ小唄のお師匠さんのお縞のところにいた。
お縞の芸妓の頃の話を小梅はなんやかやと訊きたがるもので、ついつい話に花が咲いて稽古もそっちのけに半時あまりもしゃべくっていたのだ。
「まいど、鏡研ぎにござります」
戸口の外で爺さんの声がする。
「――あ、ちょいとご免よ」
お縞は立って土間に下りて戸口へ出た。
出入りの鏡研ぎが磨いた鏡を届けに来たのだ。
この時代の行商は一日二里くらいは歩くのが普通なので品物だけ受け取ってすぐに返すような無下はせず煙草盆と麦湯でも出して一服して貰って世間話などもする。
二里は日本橋から浅草までを往復するくらいの距離である。
お縞が鏡研ぎの爺さんの相手をしている間に小梅は縁側へ出た。
「ねえ?おマメちゃんは芸妓になりたかないのかえ?」
小梅は庭にいるおマメに話し掛ける。
「――え?」
おマメは話し掛けられたのが信じられぬような顔で小梅を見返したが、あまりの小梅の美しさに圧倒されてパッと顔を反らした。
「わ、わっちみたいな不器量が芸妓になんぞなれっこないだろっ?」
おマメはそっぽを向いたまま怒ったように答える。
「――不器量?」
小梅はわざわざ庭下駄をつっかけて庭へ下りると「どれ?」と判定するようにおマメの顔を覗き込んだ。
「……」
おマメは美しい小梅と視線を合わせられず、何度もパチパチとまばたきを繰り返す。
「ふふん、あたしと比べて不器量なんぞと言ってんのか知んないけどさ。憚り様、あたしゃ、日本橋では一番、江戸市中でも三本の指には入る器量良しの半玉だよ。おマメちゃん、そこいらの並みの半玉と比べたら見劣りしやしないから」
小梅は高飛車に顎を突き上げて判定を下した。
「ホ、ホントに?」
おマメはまた信じられぬような顔で小梅を見返す。
今度は小梅の判定の真意を確かめるように小梅の目をじっと見つめた。
「ホントさ。そんな子守りの手拭いなんざ頭に巻いて粗末な格好していても見劣りしないんだからさ、ピチッと桃割れにでも髪を結って花簪に銀のピラピラ簪を差してシャリッとした豪華な振り袖を着てごらんよ。おマメちゃんのほうが並みよりかずうっと上だから」
小梅の目が転じた三日月の形になった。
「……」
おマメは頬がカアッと火照ってくる。
嬉しいやら恥ずかしいやらで何とも面映ゆい。
物心が付いて以来、初めてかも知れぬウキウキした気持ちで胸がいっぱいになった。
しかし、おマメはそれを決して顔には出さない。
頑なにふてくされた顔は固持している。
「そうそう、その顔さ。ニコニコと愛想笑いなんざ山出しの田舎っぺのするこったよ。おマメちゃんは江戸っ子なんだからツンと澄ましてなきゃ」
小梅はおマメのふてくされ顔まで褒め称える。
「……」
おマメはハッとして、ふてくされ顔から澄まし顔に変わった。
なにも無愛想だからといって、ふてくされずに澄ましていれば良かったのだと初めて気付いたのだ。
(小梅の奴、何か魂胆があるんぢゃなかろうか?)
シメはずっと聞き耳を立てながら怪しんだ。
おクキはとっくに昼休憩を終えて錦庵の店に戻っている。
「おまたせ。ぼちぼち稽古を始めようか」
お縞が土間から中へ戻って小梅に声を掛ける。
「へえ」
小梅は座敷に上がって、三味線を縮緬の袋から取り出した。
「まずはお手並み拝見といこうかえ。何でも得意なのを一つやってみせとくれ」
お縞にそう言われて、小梅は三味線を構えると糸を本調子に合わせて、
ペペン♪
「そいぢゃ、『戸板に豆』を――」
やや低めの声で唄い出す。
「いくら口説いても戸板に豆よ~♪いっそ、あんな奴ぁ死ねばよい~♪」
『戸板に豆』は明和の初め頃の小唄。
邪険にフラれて逆恨みの唄である。
(戸板に豆を――)
シメは聞き耳を立てながらますます怪しんだ。
先ほどのシメとおクキのおしゃべりで「戸板に豆」と言っていたのを小梅は戸口の外で盗み聞きしていたのではなかろうか?
シメが隣で聞き耳を立てているのをお見通しで当て付けがましく『戸板に豆』を唄ったのではなかろうか?
(むぅん、油断のならん娘ぢゃわ――)
シメは壁の向こう側の姿の見えぬ小梅を睨み付けた。
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