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おめかし
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昼八つ。(午後二時頃)
乳母のおタネが迎えに行って実之介とお枝が手習い所から帰ってきた。
「たっだいまぁ」
「ただいまぁ」
二人はいつも五段重ねの昼の弁当を持っていくのでおタネは空いた重箱の風呂敷包みを抱えている。
「わしゃ表から店を覗いてたまげたよ。だって帳場に兄さんが座っていて、おまけに算盤まで弾いとるんだものなっ」
実之介が目を真ん丸にして言った。
「ほんにな。兄さんが真剣な顔で大福帳を見たりして気味が悪いわな。妙な妖怪にでも取り憑かれたんぢゃなかろうかえ?」
お花は怪しむように首を傾げる。
「うわぃ、今日のオヤツはカスティラの耳にアンコを挟んだのぢゃっ」
サギはオヤツの膳を見て万歳した。
草之介が真面目になろうがなるまいが関心はない。
「今日は色々と嬉しい日だからの」
お葉は草之介の改心に喜んで今日はお祝いにした。
おタネに言い付けて出入りの魚屋に鯛を末広がりに縁起良く八尾も注文させた。
日本橋には鯛がウヨウヨと泳いでいる鯛屋敷という生け簀があり、常に活きの良い鯛が手に入るのだ。
ついさっき草之介に質素倹約と言われたはずであるが鯛をお目出度い日に食べることが贅沢だとはお葉はまったく思っていなかった。
「う~ん、アンコ入りは美味いのう」
サギはオヤツをペロリと平らげ、くろもじを未練がましく咥えながら思った。
「きっと美男侍もこれを食うたら『美味いっ』と言うぢゃろうなあ」
無性に美男侍にこのオヤツを食べさせたくなる。
美男侍は粟餅の味にも煩いし、甘酒も好きなようだから相当な甘い物好きに違いない。
「のう?たぬき会の手土産にこの菓子を持ってったらいかんぢゃろうか?」
サギはお葉の前へ身を乗り出す。
「うんっ。それはええわなっ。こんなに美味しいんだもの。なあ?おっ母さん?ええですわな?」
お花も乗り気である。
「ああ、そうだわなあ。けど――」
お葉は気乗り薄な口振りだ。
「もう、ちと、こう華やかな菓子に見えるよう工夫が出来んものかの?たぬき会は芸術の集まりだえ?何だかこれでは見栄えせんわなあ」
見た目が物足りぬようにお葉は餡入りカスティラの耳を手に取ってしげしげと眺めた。
上等な朱漆塗りの菓子皿のおかげで立派に見えていたが、菓子だけ見ればなんともパッとしない。
四季折々の花を模した飾り細工のように鮮やかな茶菓子と比べ、カスティラの耳に餡を挟んだだけの菓子はどう贔屓目に見ても地味だ。
「うむ、よしっ。華やかな菓子に見えるようにすればええんぢゃな?さっそく菓子職人の爺さん連中と相談ぢゃっ」
サギはすっくと立ち上がり作業場へ駆けていく。
「サギ、あたしもっ」
お花もワクワクと立ち上がってサギの後を追う。
「わしもっ」
「あたいもっ」
実之介とお枝も大急ぎで餡入りカスティラの耳を口いっぱいに押し込んで立ち上がった。
作業場では熟練の菓子職人の四人が焼き上がったカスティラの冷めるまで一休みしているところであった。
カスティラの大きな重たい木枠を直火にかざしながら焼くのはとてつもなく力仕事なので、見習いの甘太に年長の菓子職人から順番に肩を揉ませている。
「――という訳でカステラの耳にアンコを挟んだ菓子をよそゆきにおめかしさせたいんぢゃっ」
サギは熟練の菓子職人の四人に向かって熱心に説明したが、
「菓子をおめかしだとぉ?」
熟練の菓子職人の四人は揃いも揃ってイヤな顔をした。
おそらく面倒臭いと思ったのであろう。
「そんなことより、サギ、おめえは菓子職人見習いだろうが?ちったぁ働きゃがれ」
見習いの甘太が先輩ヅラしてサギに威張った。
甘太は桔梗屋で一番、サギに対してぞんざいである。
小僧等は片足跳びやカスティラ斬りや漢詩の達筆な書を見てサギに多少なりとも尊敬の念を抱いているが、お盆に郷里へ帰っていてサギの雄姿を見ていない甘太にとってはサギは物知らずな田舎者に過ぎぬのだ。
「ほれ」
甘太が熟練の菓子職人の二番目の砂吉の肩を示す。
サギにも肩を揉めという合図であろう。
「ちえっ、肩を揉めばええんぢゃな」
サギは舌打ちで返事して砂吉の肩をグイと揉んだ。
富羅鳥山で木から木へと飛び移って鍛えられたサギの握力は並大抵ではない。
「いたっ、お前、ちっこいくせに馬鹿力だのう」
菓子職人は力仕事なので年齢に似合わずガッチリした逞しい身体をしている。
「おう、わしゃ馬鹿力なんぢゃ。どんなゴッキゴキの肩でもグニグニにほぐしてくれようぞ。イヒヒ」
サギは骨も碎けよとばかりに肩をグイグイと揉む。
「いっ、痛い痛いっ、もうええっ」
砂吉は悲鳴を上げてサギの手を払いのける。
「思い知ったかっ」
サギはカンラカラと笑った。
菓子職人見習いの初仕事でこの態度とは、
「……」
甘太は唖然としてサギを見つめた。
「もお、サギは大人しゅうしとって。なあ?よそゆきの菓子のおめかしは桔梗屋の暖簾に関わる大切な仕事だえ。ご老中の田貫様へ差し上げる菓子なんだからの」
お花が熟練の菓子職人の四人にたぬき会のお知らせの一枚刷りを見せながら改めて説明する。
「――ええ?あの田貫様にっ?」
熟練の菓子職人の四人はたちまちシャキンと背筋を伸ばした。
「それを最初に言うて下さらんと、てっきり童のままごと遊びか何かで言うてるものかとばかり――」
実之介とお枝まで一緒にバタバタと作業場にやって来たのだから熟練の菓子職人等が童のままごと遊びと思ったとしても無理はない。
サギはよそゆきの菓子のおめかしと言っただけで老中の田貫兼次の屋敷で催される芸術のたぬき会へ持っていく手土産とは説明していなかったのだ。
熟練の菓子職人、糖吉、砂吉、麦吉、小吉、の四人は桔梗屋を立ち上げた時からの面々なので先代の弁十郎の長崎遊学仲間であった田貫兼次がまだ二十歳前後の若かりし頃から知っていた。
長崎で南蛮人から南蛮菓子の製法を習い覚えた弁十郎は江戸へ戻ってから菓子職人の四人と共に日本人の味覚に合う南蛮菓子の改良に苦心していた。
田貫兼次はその試作品の味見の役で協力していたのだ。
そして、完成したのが桔梗屋のカスティラであった。
「ほお、そいぢゃ、田貫様は桔梗屋のカスティラの味は最初の頃から何十年も知り尽くしておられるということぢゃな」
それなら少し趣向を凝らしたものも目先が変わって良いはずとサギは思った。
「田貫様は妥協を許さぬ厳しいお方だ。その田貫様にご満足して戴けるような菓子にせねばならん。なかなか骨の折れる仕事だがな」
菓子職人の四人は腕組みして眉間に皺を寄せた。
「考えたって始まらん。取り敢えず、ものは試しぢゃっ」
サギは台所と作業場を往復して様々な食材を持ってきた。
「まずは粟餅に倣って、きなこでおめかしぢゃ」
サギは餡入りカスティラの耳にきなこを振りかけた。
「なんだか、かえってみすぼらしく見えるわなあ?」
「材木問屋の前に転がっとる木屑にソックリだぞっ」
お花にも実之介にも不評だ。
「う~ん、そいぢゃ、こっちは砂糖ぢゃっ」
サギは餡入りカスティラの耳に砂糖を振りかける。
「ぢゃ、こっちのは白味噌を塗ってみるわな」
「わしはハンペンで覆ってみよう」
「あたいはおからをかぶせてみるわな」
お花、実之介、お枝もカスティラにあらゆる食材でおめかしを始めた。
酒粕、豆腐、鰹節、昆布、海苔、梅干し、等々、台所にあった食材はどんどんとカスティラのおめかしに使った。
作業台の上はどんどんと童のままごと遊びとしか見えぬ散々たる有り様になっていく。
それにつれて熟練の菓子職人の四人の眉間の皺もどんどんと深く寄っていく。
「ええい、もう、やめいっ。見た目の意匠だけ案を出せっ。そしたら、材料はわし等で考えてやるっ」
とうとう糖吉は見るに耐えずに怒鳴った。
「ええか?これ一つ残らず食うんだぞっ」
「わし等が精魂込めて焼いたカスティラだっ」
「無駄にしたら承知せんぞっ」
熟練の菓子職人の四人が口々に脅し付ける。
「ええええ――?」
サギ、お花、実之介、お枝は作業台の上の試作品を見つめて絶望的な顔をした。
どれもことごとく不味そうである。
「……」
お枝は自分のおからのカスティラをじっと見つめたかと思うとパッと作業場から逃げ出した。
「あっ、お枝め、案外、はしっこいの」
小さいお枝は作業台の下をくぐって逃げていったのでサギにも捕まえ損なった。
「お枝、ズルイぞっ」
実之介も逃げようと思ったが、サギに素早く襟首を掴まれる。
「もう観念して、全部、三等分にして食べたらええわな」
お花はせっせと試作品を切り分ける。
「ふうん、実之介のハンペンの見た目はなかなかぢゃのう」
「白いフワフワで周りを覆うのはええわなあ。切り口も綺麗だわな」
「うん、見た目はええ」
「梅干しもちょこっとなら合うわな」
三人はあれこれと感想を述べつつ味見をしていく。
「――あっ?梅といえば、小梅は来んのう?昨日、小唄の稽古の後に寄ると言うとったのに」
サギは小梅が遊びに来るはずなのを思い出した。
「もう、とうに稽古が済んで半時は過ぎてなかろうかえ?あ、きっと店に兄さんがおるせいで来られんのだわな。小梅はお座敷の他で兄さんと顔を合わせるのはマズいと言うとったもの」
「あ、そうぢゃった。なんぢゃあ、せっかくカスティラ斬りを小梅に見せてやろうと――」
そう言いながらサギが振り返ると、
「――あれっ?切れとるっ」
カスティラはとっくに細長い棹になって整然と並んでいる。
サギ等がカスティラのおめかしなどに熱中している間に熟練の菓子職人の四人の手で切り分けられた後であった。
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