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よそゆき
しおりを挟む「まあ、ほんに。ああ、何を着て行けば良かろうの?ああ、滅多に出掛けなんだからよそゆきがないわなあ。来月までに間に合うよう大急ぎで誂えなくてはなあ。――おクキい?あっ、おクキはおらんわな」
お葉はあたふた立ち上がると「誰ぞ、来ておくれ」と店に向かって声を掛けた。
「奥様、お呼びにござりますか?」
一番年長の小僧の一吉がすっ飛んでくる。
「加賀屋さんへ行って番頭さんを頼んできておくれな。わしが急ぎで秋物を四丈物で誂えるからと伝えてな」
来月は長月で旧暦では晩秋になる。
四丈物は反物の長さのことで礼服の八掛付きで仕立てる丈である。
お葉はたぬき会へ行く気満々のようだ。
「へいっ」
小僧の一吉は急ぎと聞いて足早に出ていった。
加賀屋は桔梗屋と同じ通りに面した呉服商で、驚くほどの早さで番頭が反物を山ほど包んだ風呂敷を背負った手代二人を引き連れてやってきた。
そうこうして、
「うわあ、綺麗ぢゃなあ」
サギは縁側から広間を覗いて、キョロキョロと目を動かした。
色とりどりの反物が加賀屋の手代二人の手で一直線にコロコロと長く広げられ、次から次へと川のように並べられていく。
手代二人の手際の見事さでどの反物も綺麗に広げた長さが揃っている。
「お葉様のその透き通るように白いお肌には濃い目の色合いが引き立つかと存じまする」
四十代の番頭が海老茶の色無地の反物を手に取る。
「秋らしゅうてええわなあ」
お葉はウキウキと番頭の差し出す反物をあてがってみる。
近所の商家の番頭もみな十歳くらいから同じ店に勤めているのでお葉が幼い頃からの馴染みだ。
おそらく昔よりもだいぶ肥えたので痩せて見えるよう濃い目の色を勧めているのであろう。
そこへ、
「ただいま戻りました」
お花が乳母のおタネと稽古から帰ってきた。
「あれまあ?」
「何の騒ぎかえ?」
広間のおびただしい反物の川を見て二人は目を丸くする。
「秋物のよそゆきを選んどるんだえ」
お葉は朽葉色と利休茶色の反物を肩に掛け、身体を右に捻ったり、左に捻ったりして鏡を見ている。
「へえ?おっ母さんがよそゆきを?珍しいこともあるものですわな」
お花が驚くほど母のお葉が出掛けるのは珍しいことであった。
「お花、お花」
サギは縁側でお花をちょいちょいと手招きした。
「何だえ?なあ?おっ母さんはどこへ行く着物を誂えるんだろの?」
「へへん、わしもお花も行くんぢゃぞ」
サギは大威張りで、お花の目の前に件の一枚刷りを突き出した。
「――たぬき会?」
お花は首を傾げる。
「ほれ、ここをようく見てみい」
サギはニマニマしながら余興の演目を指差す。
「――ん――っ?」
お花は一枚刷りにバッと顔を近付けた。
パチパチと何度もまばたきして『鬼武一座 児雷也の投剣』の文字を確かめる。
果たして、
お花は期待に違わず、
「きゃあああああああああっ」
まさに絹を裂かんばかりに一町四方に響き渡るほどの歓喜の叫び声を上げた。
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