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恋の面当て
しおりを挟む一方、錦庵では、
「いらっしゃいまし~」
支度中の店内でおクキが甲高い声に作り笑顔で接客の稽古をしていた。
おクキの二番目に良い着物は流行りの納戸色で半襟は藤色。
派手な撫子色のたすき掛けに若草色の前垂れ掛け。
くっきり引いた眉墨も玉虫色に輝く紅もぬかりなく身支度は万全だ。
「それにしても我蛇丸がおクキどんの手伝いを断らんかったとは意外ぢゃのう」
調理場でハトがすりおろし生姜を焙じながら、横で卵焼きを焼いている我蛇丸を見やった。
「いや、なに、わし等は蕎麦屋が忙しゅうて諜報する暇もないからのう。この界隈に広く情報網を持っとるおクキどんに来て貰えば一挙両得というものぢゃ」
我蛇丸はシレッと狙いどおりという顔をする。
己れの適当な相槌で知らぬうちにおクキの手伝いの申し出に承諾してしまったなどと体裁が悪くて誰が言えようか。
「まあ、なんにせよ、おクキどんならお運びには慣れとるし、店の中がパアッと華やかになるのう」
ハトは嬉しげに水口を出て裏長屋の住まいへ炮烙を持っていった。
「へえ、おクキどんが手伝いに?そんなら昨日のうちに言うてくれたらいいに、我蛇丸の奴めは照れとったのかのう?」
シメはおクキが手伝いに来てくれたことを聞くと、これで店のことは気にせずに養生が出来ると喜んだ。
「シメの腰が良うなるまで手伝うてくれるそうぢゃ。ほれ、生姜の湿布ぢゃ。貼ってやるから、うつ伏せになれ」
ハトは炮烙から熱々のすりおろし生姜をしゃもじですくって油紙にペタペタと塗り付けた。
「あいたた。しっかし、腰というのはどう動いても痛むのう。あいたたた――」
シメはやっとこさっとこ寝床にうつ伏せになる。
ハトが生姜の湿布を貼って晒しを巻いて腰を押さえる。
忍びの習いで医術の心得もあるので医者いらずだ。
「読んで字のごとく腰は身体の要ぢゃからのう。ぢゃが――」
ハトは声を潜めて、
「あんまり痛むようなら『アレ』でたちどころに治せようぞ。ほんの少し、二日三日だけ若返るよう吸うたらええんぢゃ――」
悪事をそそのかすように言う。
「たわけ。たかが腰の打ち身くらいで使うたら天罰が下るわっ」
いくら腰が痛むからとて鬼の一族たるもの『金鳥』で治す気になど毛頭ならぬのだ。
朝四つ半。(午前十一時頃)
「おう、ハト。暖簾を出しとくれ」
我蛇丸が調理場から呼んでいる。
錦庵の店開きの時刻だ。
「おいきた」
ハトは慌てて店へ戻っていった。
同じ頃、
「ふふん、小梅、どうだえ?夕べの福引きの大当たりで買った赤瑪瑙の簪」
「うわ、高そう。松千代姐さんはホンット無駄遣いだね。簪なんざ贔屓の旦那衆にねだるもんだろ?」
「あたしゃ、身に着けるもんは相惚れのお方からしか貰わぬ流儀なんだよ」
「松千代姐さん、そいだから簪でも櫛でも自分で買うばっかで金が残んないのさ」
「まっ、憎ったらしい子だねっ」
松千代は小梅の尻を目掛けて巾着袋をブンと振り下ろす。
「おっと」
小梅はヒョイと避けて逃げる。
「あっ、すばしっこいったら。お待ちっ」
松千代は巾着袋をブンブン振り廻しながら小梅を追い掛ける。
「きゃははっ」
芸妓の松千代と半玉の小梅はじゃれあいながら騒々しく錦庵の暖簾をくぐった。
すると、
「いらっしゃいまし~」
おクキがいそいそと調理場の暖簾口から現れた。
錦庵を手伝う姿を恋敵の松千代にこそ見せてやらんとおクキは二人の来店を待ち構えていたのだ。
こうして面と向かって芸妓の松千代とやらを見ると、たしかに小梅の言うとおり中の下くらいの容姿だ。
勝った。
楽勝で勝った。
「どうぞ」
おクキは勝ち誇り顔で笑んで小上がりの座敷を勧めた。
「――ちょいと、あの女、桔梗屋の女中ぢゃないかえ?」
松千代は座敷に座ると憎々しげにおクキの後ろ姿を睨み付けて小梅にヒソヒソと確かめる。
「うん、そうさ。松千代姐さん、よく知ってんね」
小梅はどうでも良さそうにお品書きを眺める。
「だって舟遊びに桔梗屋の屋形船にあの女も乗ってたぢゃないか」
松千代はなかなか記憶力が良いようだ。
「あの女、年齢は幾つか知ってるかえ?」
「うん。二十三歳だってさ」
「えっ?なあんだ。二十三歳?あたしより三つも上?」
松千代の声がとたんに大きくなった。
一つ二つの年齢の差で価値を決められる芸妓にとって三歳上は雲泥の差だ。
「……」
おクキはムッとして調理場から聞き耳を立てる。
「我蛇丸さん十九であたしゃ二十。『一つ増しは果報者』ってね。女房は一つ上を貰うと良いって昔っからいうんだよ。けど、『四つ増しは一生の不作』っていうのさ」
松千代は我蛇丸より四歳上のおクキに当て付けがましく言い立てる。
「――何ぞ差し上げましょう?」
おクキが苦々しい顔で注文を取りにきた。
蕎麦屋ではお茶は出さない。
「あたし、しっぽくに卵焼き。――何で四つ上の女房は不作なのさ?」
小梅は注文してから松千代に向き直って訊ねた。
「何でかは知んないけどさ、昔っから四つ上の女房は不作っていうんだよ。昔の人は間違ったことは言いっこないからね。――あたしゃ、きつね蕎麦に卵焼き」
松千代はおクキをチラッと横目で見てから注文した。
きつね蕎麦はキツネ顔のおクキに当て付けたと思われる。
「しっぽく、きつね、卵焼き二つ――」
おクキは松千代に嫌味を言われて「わしゃ、悲しいわいなあ」という半泣き顔を作りながら調理場へ戻ってきた。
「卵焼き、上がったぞ」
我蛇丸は釜戸に向いたまま卵焼き二人前を盆にのせる。
せっかく作った半泣き顔を見もしない。
おクキの顔がたちまちブスッとふてくされ顔に変わった。
「――ハトさん、わしが洗い場を代わりますわいなあ――」
おクキは呪わしい声で言って八つ当たり気味にガチャガチャと器を洗い始めた。
「……」
我蛇丸は面倒臭そうに渋面した。
不機嫌な女というのは扱いづらいにもほどがある。
元来、女というものが甚だしく苦手な我蛇丸なのだ。
ここは『触らぬ神に祟りなし』と知らん顔して通すことにした。
「へい、お待たせ」
ハトが蕎麦と卵焼きを持っていく。
おクキは松千代がいる間は店へ出る気はないらしい。
しばし、松千代と小梅は黙ってスルスルと蕎麦を啜ることに専念していた。
「――あ、そうそう、松千代姐さん、来月のター様の恒例行事にお呼ばれだろ?今年も蜂蜜姐さんとあたしゃ呼ばれたんさ」
ふいに小梅が思い出したように言った。
(――ター様?)
調理場で我蛇丸とハトが聞き耳を立てた。
芸妓の符丁で話されると人物が特定しづらい。
「ああ、勿論さ。小梅なんざぁ去年からだし、蜂蜜っちゃんだって四年前からだろ?あたしゃ、五年前の初回から毎年、欠かさず呼ばれてんだからね」
五年前は蜂蜜もまだお座敷へ出ていなかっただけであるが、松千代は得意げに鼻の穴を膨らまし卵焼きにかぶり付く。
「ター様は存外、松千代姐さんがお気に入りだよね。面白いもの好きだからかなあ?」
「存外ってのが余計だよ。ター様は女を見る目がおありってことさ。ほら、ター様がよくお言いだろ?『昨日の花は今日の夢』ってさ。美しい花も枯れたら屑なんだって。その点、松千代は婆になっても価値は変わらんから良いってさ」
「――?それ、褒め言葉なんだよね?」
小梅は首を傾げてみせる。
褒め言葉かどうかは松千代の受け取り方次第だ。
「当ったり前だろ。天下のご老中の言うことに間違いはないんだよ」
松千代は老中のお墨付きを貰ったとばかりに得意顔だ。
(やはり、老中の田貫兼次のことか)
我蛇丸とハトは顔を見合わせた。
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