富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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夜のお楽しみ

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 その頃、桔梗屋では、
 
 プッ、プッ、プッ、プッ。
 
「おおっ、八十吉どん、四連発ぢゃっ」
 
 サギが小僧の大部屋で遊んでいた。
 
 お花は風呂に入っているし、実之介もお枝も寝床に入ったのでサギは暇なのだ。
 
 プッ、プッ、プ~ッ。
 
「う~ん、十吉どん、惜しいのう」
 
 小僧等は飽きもせず曲屁きょくひの稽古をしている。
 
 それも屁放へっぴりながら粟餅をモグモグ食べている。
 
 オヤツは芋をしこたま食べたのでサギの買ってきた粟餅は夜まで大事に取っておいたのだ。
 
「ああ、美味い」
 
「寝しなに甘いものを食べるなんぞ贅沢の極みだ」
 
「ほんにな。晩はかしわ飯だったし」
 
「今日は豪勢だあ」
 
 桔梗屋は奉公人の食事もかなり贅沢だ。
 
 上方の江戸店えどだななどは上方の商人あきんどはケチなので奉公人はご飯に漬物と味噌汁だけだそうである。
 
 ただ、桔梗屋でもカスティラの耳が食べられるのは手代からなので小僧と若衆にとって甘いオヤツは貴重なのだ。
 
「一個ずつじゃ足らんぢゃろ?」
 
 大食らいのサギには足らんと思ったが、この時代は饅頭でも粟餅でも肉まんくらいの大きさだ。
 
 
 そこへ、
 
 若衆三人と菓子職人見習いの甘太が湯屋から戻ってきた。
 
 奉公人はみな湯屋へ行くのだ。
 
「あ、わし等も粟餅、食おうっ」
 
 この四人も粟餅を夜のお楽しみに取っておいた。
 
 ちなみに若衆三人は大助だいすけ中助ちゅうすけ小助しょうすけといういたって適当な名である。
 
「んん?この粟餅は美味いなあ」
 
「ああ、ずっとせんに目黒不動尊にお参りして名代粟餅を食うたけどこんなに美味くなかったぞ」
 
「こんな美味い粟餅は初めてだっ」
 
 若衆三人と菓子職人見習いの甘太の味覚はなかなか確かなようだ。
 
「そうぢゃろ、そうぢゃろ。美味いぢゃろ。知る人ぞ知るとっておきの粟餅屋ぢゃからなっ」
 
 サギは鼻高々になる。
 
 早馬はやうまなら目黒までは思ったより早かったので、またいつでも粟餅を買いに行くつもりだ。
 
 だが、
 
「あっ、わし、もう懐はスッカラカンなんぢゃった。のう?菓子職人見習いの給金はいつ貰えるんぢゃ?」
 
 サギは見習いの先輩である甘太に訊ねる。
 
「給金?見習いに給金なんぞあるかっ」
 
 甘太は口から粟餅のきなこを吹きながら答えた。
 
「ええっ?わしゃタダ働きはイヤぢゃあっ」
 
 サギはすわと立ち上がるとピュンッと縁側を走っていく。
 
「アイツ、まだ何も働いとらんくせに。あっ?あれ?速いっ」
 
 甘太が瞬く間にサギは中庭を挟んだコの字の向かいの縁側に着いていた。
 

「お葉さんっ――ぢゃない、奥様っ。わしゃタダ働きはイヤぢゃ。給金が欲しいんぢゃっ」

 サギは奥の間のお葉に詰め寄った。
 
「まあ、サギは給金を何に使うんだえ?」
 
 お葉は自分は金など欲しいと思ったことがないので興味深げに訊ねた。
 
「江戸の美味いオヤツを買うんぢゃ。けど、自分だけで食うたら小僧等は遊んでくれんから、みんなの分も買うんぢゃ。そしたら桔梗屋は家族と奉公人を入れて三十六人分も買わにゃならんぢゃろ?」
 
 サギは真面目な顔で言った。
 
「おやまあ、ほほ、そいぢゃ、これからサギには給金ではなくオヤツ代をやるわな。それでええかえ?」
 
 お葉としても他の奉公人の手前、まだ見習いのサギに給金をやる訳にはいかぬのだ。
 
「うんっ。そんならええ」
 
 サギは大きく頷いた。
 
「そうそう、今日、サギが買うてきてくれた粟餅代も返そうかえ」
 
 お葉は戸棚の千両箱の中から一両小判を一枚、取り出した。
 
「これで足りるかえ?」
 
 足りるどころか一両もあれば粟餅が千二百五十個は買える。
 
 お葉は粟餅の値段などまったく知らなかった。
 
 恐るべし、
 
 桔梗屋の家族にまともな金銭感覚を持つ者は誰一人としていないのである。
 
 
 一方、同じ頃。

 料理茶屋では、
 
 宴もお開きとなり、若旦那衆はそれぞれのねんごろの芸妓げいしゃとイチャつきながら待合い茶屋へと流れていった。
 
 待合い茶屋とは布団一組だけ敷いた寝間のある茶屋である。
 
「蜂蜜?わし等もそろそろぉ?」
 
 草之介は夜のお楽しみはこれからとばかりウキウキと席を立つ。
 
「草さん、お羽織を召しませな」
 
 蜂蜜はつややかに笑んで、かたわらに畳んで置いた草之介の羽織を取ると広げて背後から着せ掛ける。
 
 男物の羽織は裏地が派手な絵柄で凝らしているが、あれはお座敷で脱ぎ着する時に芸妓げいしゃに見せびらかして自慢するためなのだ。
 
「うふふ」
 
 蜂蜜はろくすっぽ三味線の稽古もせずばちダコのない白魚のような指で羽織紐を結んでやって草之介の気を持たせるように羽織の前身頃を撫でて折り目を伸ばしてやる。
 
「ふふふ」
 
 草之介はデレデレと鼻の下を伸ばした。
 
「そいぢゃ、支度してくるから」
 
 蜂蜜は草之介を待たせて箱部屋へ行った。
 
 箱部屋というのは芸妓が身支度を整えるための部屋である。
 
 芸妓も半玉も長い宴席では二、三度ほどお色直しをして着物を着替えるのだ。
 
 夜が更けるにつれて着物もくだけたものに替えて、お開きの頃には芸妓も黒襟を掛けた普段着になっているので待合い茶屋へはお座敷着では行かぬものである。
 

「お待たせ」

 蜂蜜も今は黒襟を掛けた格子柄の普段着に着替えて十八歳の年相応の娘らしく見える。
 
 草之介がまだ十九歳と若いので、普段着の蜂蜜とのほうが見た目の釣り合いがちょうど良い。
 
「うん、普段着のそのほうがずっと良いなあ」
 
 草之介はまたデレデレと鼻の下を伸ばした。
 
 そこへ、
 
「蜂蜜姐さん?箱屋さんがお迎えにござりますが――」
 
 無情にも料理茶屋の女中が蜂蜜を呼び止めた。
 
「……」
 
 草之介と蜂蜜は怪訝に顔を見合わせる。
 
 たしかに二人の縁談は玄武一家から一方的に破談にされたが客と芸妓として逢うことについては何も反対された覚えはない。
 
「箱屋さんがお待ちでござります」
 
 女中が遠慮がちに繰り返す。
 
「蜂蜜姐さん?熊蜂くまんばち姐さんが箱屋を迎えに寄越したんだよ。お座敷がひけたら帰らなきゃ駄目なんだって。若旦那と待合いなんて許さないってさ」
 
 小梅が女中ではハッキリと言い難いのでしゃしゃり出た。
 
「おっ母さんが?」
 
 蜂蜜は思いっ切り顔をしかめる。
 
「そ、そんな――」
 
 草之介は待合い茶屋を禁じられたと知って泣きそうな顔になる。
 
 玄武一家は『金鳥』を失った草之介をあからさまに邪険にするつもりなのだ。
 
 しかも、お座敷に蜂蜜を呼ぶことは構わぬらしいので草之介は期待だけさせられておあずけを食わされた格好である。
 
「さあ、蜂蜜姐さん。帰りましょうや」
 
 業を煮やした箱屋がドスの利いた声で言いながら、廊下をドスドスと歩いてきた。
 
 売れっ子の蜂蜜の用心棒のような役割もになう箱屋は恐ろしく筋骨隆々の強面こわもてで草之介をごみかのように手で払いのける。
 
「わわわ――っ」
 
 優男やさおとこの草之介は軽く払われただけで両手でバタバタとくうを掻きながら後ろへひっくり返った。

 ドテンッ。
 
「草さんっ」
 
 蜂蜜は両脇から箱屋と小梅に無理くり引っ張られて連れていかれる。
 
「蜂蜜――ぅ」
 
 草之介はひっくり返ったまま未練がましく蜂蜜の名を呼んだ。
 
 そして、情けなさと惨めさに「くぅぅ」と悔し涙を噛み締めた。
 
 なんとしても早く『金鳥』を取り戻したい。
 
 草之介は『金鳥』への執着をより一層、強くさせていた。
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