富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
84 / 312

顔と心は裏表

しおりを挟む
 

 果たして、
 
 九歳ほどの樹三郎は兄、白見根太郎しらみ ねたろうの下谷の屋敷へ来ていた。
 
 やはり、九歳ほどのわらしになってしまった樹三郎には実際の自分の九歳頃を知る兄しか頼るところはなかったのだ。
 
「いやはや、昨夜はたまげた。まさか、そんな懐かしい顔を見られようとはな。わしが長崎遊学から江戸へ帰った頃にお前はちょうどそのくらいの年齢としだったわ」
 
 兄の根太郎はフホフホと愉快げに笑った。
 
(ふん、日頃、桔梗屋に金の無心ばかりしておるので珍しく自分のほうが優位に立てたことが嬉しいのだな)
 
 九歳ほどの樹三郎は穏やかな顔を作りつつも心の内でそしる。
 
 二人は二廻りも年齢としの離れた異母兄弟で、それぞれ自分の母に似たので兄弟でもまるで容姿が違っていた。
 
 根太郎はずんぐりむっくりした出目のカエルづらで、スラリとした美男の樹三郎とは似ても似つかない。
 

「父上、道場へ稽古に行って参りました」
 
 根太郎の末っ子の十六歳になる根之介ねのすけが座敷へ挨拶していった。
 
 父によく似た出目の童顔で愛嬌はあるが利発そうには見えない。
 
「あの根之介もようやく元服した。白見家のただ一人の跡取り息子だ。是が非でも仕官させてやりたいのだ」
 
 根太郎の子は四人目まで娘ばかりで、五人目にしてやっと授かった一人息子なのだ。
 
 娘四人はいずれも器量には恵まれなかったが幼い頃から一流の師匠に師事し、武家娘として申し分のない教養と遊芸を身に付けていた。
 
 桔梗屋に頻繁に無心していた金は五人の子等の教育費に消えていたのだ。
 
 すでに娘四人は江戸城で奥女中としてご奉公している。
 
 奥女中の志願者には遊芸のお目見え試験があった。
 
 ある殿様などは奥女中のお目見え試験がことのほか好きで、みずから試験に立ち会い、三十人以上もいる遊芸を披露する志願者の娘等を『容姿 下』『容姿 美』などと評価して楽しんでいたそうだ。
 
 踊り、琴、三味線、唄などの芸事がどれほど優れていても不器量な娘は落とされるものだが、娘四人は根太郎が老中の田貫兼次たぬき かねつぐに渡した賄賂わいろのおかげかまんまと受かっていた。
 
(その賄賂の金もすべて桔梗屋が用立ててやったものなのだ。いったい娘四人に何百両を出してやったことか)
 
 九歳ほどの樹三郎は心の内で惜しがる。
 
「実は、お城の御膳所にご奉公しておる長女の美根みねが二十七歳でようやく宿下がりするのだ。どこか良い嫁ぎ先を見つけてやらねばならん」
 
 根太郎は嘆息した。
 
 ちなみに二十七歳というと大奥の御中臈おちゅうろうならば定年の年齢としである。
 
 将軍様のお手付きとなった者は生涯、大奥で暮らす定めだが、お手付きとならなかった者は二十七歳で城から下がるのだ。
 
 美根のような将軍様にお目見えが許されぬ下っ端の奥女中には定年はないが、さすがに三十歳近くなるとご奉公も引き際であった。

 何年も前から宿下がりするようにと再三、言っていたものの、美根はお城勤めを続けることを強く望み、とうとう二十七歳にもなってしまった。
 
「お城勤めは縁談の箔付はくづけにはなろうが二十七歳にもなっておるし、あの器量ではなあ。よほどの持参金でも付けんことには」
 
 根太郎はまた嘆息した。
 
(持参金だと?また桔梗屋に無心するつもりか?)
 
 九歳ほどの樹三郎は心の内で呆れ返る。
 
「うむ、美根の縁談の件も田貫に頼んでおくか」
 
 根太郎はなんでもかんでも旧友である田貫兼次たぬき かねつぐ頼みだ。
 
 一流の教養と遊芸を身に付けさせてお城の奥女中を勤めた娘なのだから、それ相応の武家に嫁がせなくてはならない。
 
 それも少なくとも五百石以上でなくては。
 
 根太郎はすこぶる高望みであった。
 
 根太郎は親馬鹿で可愛い我が子のために田貫兼次に下げたくもない頭を下げまくって賄賂を渡し、媚びへつらい続けてきたのだ。
 
 それというのも、
 
「身分の低い武家だろうが運にさえ恵まれたら必ずや出世が叶うのだ」という信念からであった。
 
 老中の田貫兼次が低い身分ながら出世したので今や身分より実力の時代だと身分の低い者はみな立身出世の夢を抱き始めたのだ。
 
 根太郎は一人息子の根之介に分不相応な望みを託していた。
 
(無駄、無駄、無駄)
 
 九歳ほどの樹三郎は心の内でき下ろす。
 
 田貫兼次は幼い頃からたぐれな美貌の持ち主で、神童と呼ばれるほどに賢かった。
 
 だからこそ低い身分ながら先々代の八代将軍の目に留まり小姓に抜擢されたのだ。
 
(ふん、御家人の身分でさほど賢くもなくカエル面の根之介などにどれほどの金を積んでも無駄に決まっておるのだ)
 
 九歳ほどの樹三郎は心の内で兄、根太郎が出来の悪い子のために使う金などドブに捨てるようなものだと思った。
 
「ほれ、旗本の宇治木うじき五木ごきなどは田貫への賄賂が少なくてせがれを仕官に推薦してもらえんかったそうだ。それを恨んで田貫の悪評を江戸市中に言いふらしておるらしい。まったく陰湿な奴等だ」
 
 根太郎はいい気味そうに笑った。
 
 実際、老中の田貫兼次の神田橋の屋敷には毎日毎日、引きも切らずに賄賂の付け届けが山のように贈られてくる。
 
 しかし、田貫兼次はどんなに賄賂を積まれても実力のない者は仕官に推薦しなかった。
 
 勿論、根太郎の娘四人も不器量ではあったが芸事は優れていたので実力主義の田貫兼次の推薦を得たのだ。
 
 田貫兼次の悪評は大抵が賄賂を贈っても出世の望みが叶わなかった者の逆恨みによるものであった。
 
 賄賂が少なかったというのは実力がなかったことを認めたくなくて誤魔化して言っているに過ぎない。
 
「また明日、田貫の屋敷へ出向くとするか」

 根太郎はまたまた嘆息した。
 
 わざと厚顔無恥に振る舞っているが田貫兼次に頭を下げながら内心は屈辱ではち切れんばかりなのだ。
 
 一人息子の根之介の将来のためにも田貫兼次にはまつりごとの実権をなるたけ長く握っていてもらいたいが、若い頃は共に長崎遊学をした仲間だけに根太郎には複雑な思いがある。
 
 かつては根太郎も幕府の長崎遊学の試験に受かったほどの秀才であったのだ。
 
 試験の成績は互角だったはずが、片や幕府の最高職の老中、片やお目見え以下の御家人とはなはだしく差がついてしまった。
 
 根太郎は長崎遊学の仲間として出世頭の田貫兼次は自慢であり、憧れであり、誇りでありながら、妬ましさ、悔しさ、恨めしさと様々な思いがぜになっていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。 当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。 そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。 旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。 つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。 この小説は『カクヨム』にも投稿しています。

B29を撃墜する方法。

ゆみすけ
歴史・時代
 いかに、空の要塞を撃ち落とすか、これは、帝都防空隊の血と汗の物語である。

処理中です...