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おマメの器量
しおりを挟むその頃。
錦庵の裏長屋では、
子守りのおマメが赤子の雉丸を見ていた。
「……」
とてつもなく不満げな顔で赤子の雉丸を見ていた。
「おマメは可愛げがない」と誰しもが口を揃えて言うほど、おマメはふてくされた娘であった。
「おマメぇ?今日は早仕舞いぢゃけぇ、もう子守りも上がってええぞ」
ハトが調理場の水口から裏庭へ出て、裏長屋のおマメに声を掛けた。
桔梗屋から盛り蕎麦五十枚の出前の注文が来たので、もう蕎麦が売り切れたのだ。
「へえい」
おマメは裏長屋のハトとシメの一軒の縁側から裏庭へ出て赤子の雉丸をハトに渡した。
「ほうれ」
ハトが雉丸を抱えてあやす。
江戸時代の庶民の夫婦はほぼ共働きで父が子守りも当たり前であった。
ちなみに鳥のほうの鳩もオスとメスが一緒に卵を温めて子育てする鳥だ。
「おう、そうぢゃ。近所の長屋の子等が浅草へ児雷也の投剣を見に行くと言うとったのう。おマメも一緒に見に行ったらええ」
ハトが小遣い銭を出そうと財布を出すと、おマメは遮るように言った。
「見たかねえもん、見世物なんざ、わっちに何も得がねえもん何で見んのさ?」
「おマメは可愛げがない」と言われるのも無理からぬ返答だ。
「そりゃあ、児雷也は滅多におらんほど美しいんぢゃし、投剣の技は見事なんぢゃから」
ハトは困り顔をする。
「そんな美しくて稼えでる花形芸人に不器量で子守りのわっちが銭を出すなんざ合わねえよ。わっちが損だ」
おマメはますます可愛げがない。
「わっちは美人を見ると憎ったらしくてムシャクシャする」
おマメはふてくされ顔で言い捨てるとクルッとハトに背を向け、裏長屋の縁側から貸本屋の文次の留守の一軒へ上がり込み、ゴロンと寝そべって黄表紙を読み始めた。
「おマメは不器量かのう?」
ハトは抱っこした赤子の雉丸に問うてみた。
「だぁわぢゃ~」
雉丸の返事は謎だ。
実のところ、おマメの器量は野に咲く可憐なシロツメクサのようであったが、小唄の師匠をしている母は大輪の白菊のようにすこぶる美人であったし、
サギも黙ってさえいれば美人で、
近所には小町娘の桔梗屋のお花もいて、
美人芸妓の蜂蜜や半玉の小梅も錦庵でよく見掛ける。
あまりに飛び抜けた美人ばかり見慣れたおマメは目が肥えているがためにどうしても自分が不器量と思ってしまうのであった。
「……」
小僧の千吉は錦庵で出前を注文した後に裏へ廻ってきて、先ほどからハトとおマメのやり取りを見ていて声を掛けるのを躊躇っていた。
「ご、ご免下さりまし」
おそるおそる声を掛ける。
「……?」
おマメは黄表紙から顔を上げ、千吉を見るやハッとした。
千吉はこじんまりと地味に整った顔立ちをしていて雰囲気もおっとりと品が良い。
日本橋の通りに店を構える桔梗屋の小僧は身だしなみも言葉遣いもそこいらの長屋のガキ共とはまるで違っている。
そこいらの長屋のガキ共は手足が泥んこで、いっぱい転んだカサブタがあって、着物の袖が乾いた鼻水でテカテカで、「ちんちんもがもが、おひゃらこぴ~」などと馬鹿みたいに大声で騒いで遊んでいる。
そんなガキ共とは千吉は見るからに別格だ。
「……」
おマメは寝そべって本を読んでいる姿など見られてカアッと赤面した。
ふてくされ顔で赤面。
千吉にはおマメが怒っているようにしか見えなかった。
おマメは努めて平静を装ってゆっくりと身体を起こした。
「何か用?」
動揺を悟られまいと邪険に突き放したような口調になってしまう。
千吉にはますますおマメがものすごく怒っているようにしか見えなかった。
「こ、これ、サギさんから言付かったオヤツにござりぁすっ」
千吉はビビって早口で言っておマメの読んでいた黄表紙の脇に粟餅の竹皮包みを置くとバタバタと逃げるように裏木戸から出ていった。
「……」
おマメはふてくされ顔で裏木戸を睨んで、
「なんて間が悪いんだろ――」
蚊の鳴くような声でポツリと呟いた。
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