富羅鳥城の陰謀

薔薇美

文字の大きさ
上 下
71 / 312

目黒不動尊

しおりを挟む


「――おお、あれに見えるは目黒不動尊ぢゃなっ」
 
 日本橋から目黒不動尊まで二里半。(約10km)
 
 サギの早馬は小半時こはんとき(約三十分)も掛からず目黒へ到着した。
 
 横断歩道の信号も無い時代なので一時停止もなく一直線だ。
 
 青々とした田畑。
 
 長閑のどかな農村の風景が広がっている。
 
「ええ景色ぢゃあ」
 
 サギは黒鹿毛からピョンと飛び下りると手綱を引きながらゆっくりと歩いた。
 
「エンヤ~コラヤ~♪」
 
 気分良く調子外れな唄も出る。
 
 そこへ、
 
 パッカ、
 パッカ、
 
「こらこら、そこの馬子まご
 
 馬に乗った侍がサギを追ってきてとがめるような口調で呼び止めた。
 
「わしゃ、馬子ぢゃないぞっ」
 
 サギはムッとして振り返ってハッとした。
 
 その馬上の侍はハッとするほどの美男であったのだ。
 
 背筋のスッと伸びた姿、切れ長の聡明そうな眼差し、彫刻のように整った鼻筋、キリッと引き締まった口元。
 
 非の打ち所のない美男の侍である。
 
 美男侍はヒラリと格好良く馬から下りるや否や、
 
「脚の裏を見せてみろ」
 
 命令口調で偉そうにサギに言った。
 
「――へっ?こうか?」
 
 サギは何のことやらと片足を上げて草鞋わらじの裏を見せた。
 
「馬鹿者。お前ではない。馬の脚だっ」
 
 美男侍はサギの乗ってきた黒鹿毛の右の後ろ脚をヒョイと曲げて持ち上げた。
 
「ほれ、思ったとおりだ。馬草鞋うまわらじひづめの間に石コロが挟まっておる」
 
 美男侍は黒鹿毛のひずめからアサリほどの大きさの石コロを取り除いた。
 
「馬が右の後ろ脚を振るように歩いておったのに気付かんかったか」
 
 美男侍は偉そうにサギを叱りつける。
 
「うん~、気付かんかった。すまんぢゃあ」
 
 サギはつい圧倒されて謝った。
 
「わしにではなく馬に謝れ。馬鹿者め」
 
 美男侍は黒鹿毛の鼻面をいたわるように撫でる。
 
 相当な馬好きなのであろう。
 
「ぅぅ――」
 
 サギは美男侍を睨んで低く唸った。
 
 見ず知らずの男に一度ならず二度までも馬鹿者と言われた。
 
「馬が汗びっしょりだ。ようく拭いておけ。なに?手拭いも持っておらぬ?馬鹿者め」
 
 二度ならず三度までも馬鹿者と言われた。
 
「これで拭けっ」
 
 美男侍は懐から出した手拭いをサギに投げ渡す。
 
「むう~」
 
 サギは手拭いを借りても礼を言うどころかブスッとして黒鹿毛の鞍を外し、
 
「ちぇっ、なんちゅう威張りん坊ぢゃっ」
 
 悪態をつきながら馬の背に浮かんだ玉の汗をせっせと拭いた。
 
「馬に水をたっぷりと飲ませるのだ」
 
 美男侍に命令口調で促され、サギはすぐ側の目黒川へ黒鹿毛を引いていった。
 
「ううむ、我が愛馬、黄金丸こがねまるの品格には遠く及ばぬが、なかなかスラリと姿の良い馬だ」
 
 美男侍は風呂敷包みから画材を取り出すと、原っぱに腰を下ろして黒鹿毛と黄金丸が水を飲む姿を写生し始めた。
 
 その画材はすべてオランダ渡来の品だ。
 
「その筆はオランダからの物か?」
 
 サギは美男侍の背後へ廻って鉛筆が画用紙に描く線を物珍しげに見つめた。
 
 この時代は鉛筆も将軍家や大名家へうやうやしく献上するようなオランダ渡来の高級品である。
 
「へええ、上手いものぢゃのう。ホントの馬のようぢゃ」
 
 浮世絵と違って美男侍の描く絵は写実的である。
 
「わしが描いておるのは長崎でオランダ人に習うた洋風画だ。光の当たる部分と影の部分とを立体的に描き出すことで奥行きが表れ、あたかも紙から実像が浮かび上がるかのように見えるのだ」
 
 美男侍は洋風画について熱く語ったが、サギの耳を右から左へ素通りした。
 
「ふうん」
 
 サギが美男侍の脇に置かれた画帳をパラパラと繰って見ると馬の絵ばかりだ。
 
「本物の馬が目の前におるのに描く意味が分からんのう」
 
 サギは仲良くたわむれている二匹の馬を見やって首を傾げた。
 
「馬鹿者め。お前は世の無常というものが分からぬのか?今、目の前にあるものが常にあるとは限らんのだ。そもそも――」
 
 美男侍はまた何か熱く語ろうとしているが、ややこしい話は真っ平ご免だ。
 
「おう、そもそも、わしゃ、河童と海女さんの絡みとか天狗と陰間の絡みとか見たこともない珍奇な絵が好きなんぢゃっ」
 
 サギはヌケヌケと言った。
 
「か、絡み?それは春画のことか?よくもそのような不埒な戯言たわごとを。洋風画が春画に劣るとでも言うつもりかっ」
 
 美男侍は気色ばんだ。
 
 どうやら怒らせたらしい。
 
 ここは逃げの一手だ。
 
「あっ、そうぢゃ。わしゃ、粟餅を買いに来たんぢゃった」
 
 サギは急に思い出した振りをして立ち上がり、キョロキョロと辺りを見渡した。
 
 いつの間にか目黒川の太鼓橋を参拝客がゾロゾロと渡って寺の前方にある店へと集まっている。
 
 店には名代粟餅という看板が見える。
 
「粟餅ぢゃっ」
 
 サギはパタパタと粟餅屋へ走った。
 
「あっ、おい、待てっ」
 
 美男侍は苦々しい顔で画材をまとめて立ち上がった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと
歴史・時代
三国志を題材にしています。劉備玄徳は乱世の中、複数の群雄のもとを上手に渡り歩いていきます。 当然、本人の魅力ありきだと思いますが、それだけではなく事前交渉をまとめる人間がいたはずです。 そう考えて、スポットを当てたのが簡雍でした。 旗揚げ当初からいる簡雍を交渉役として主人公にした物語です。 つたない文章ですが、よろしくお願いいたします。 この小説は『カクヨム』にも投稿しています。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯

古代雅之
歴史・時代
 A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。 女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。 つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。  この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。  この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。  ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。  言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。 卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。  【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。  【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?  この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

処理中です...