富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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雨上がり

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 一方、同じ頃。
 
 桔梗屋では、
 
「あぁあ、サギが遊びに来んと暇だわな。早よ、雨、やめばええのに」
 
 お花がゴロッと寝転んで二階の窓から空を眺めていた。
 
 雨はだんだん小降りになってきた。
 
「お花様?貸本屋さんが来とりまする。本でもお読み遊ばされましたら?」
 
 おクキがふすまの外から呼び掛ける。
 
「イヤだわな。本なんぞ読みとうない」
 
 お花はプンプンして答えた。
 
 
 一階の裏庭に面した座敷では、
 
「おや、お花は本は読まぬと?仕方ない子だわなあ。そいぢゃ、今日はこれだけお借りしましょうかえ」
 
 お葉はいつもの実之介とお枝の読む本の他に奥の間に引きこもりの樹三郎のために本を何冊か借りた。
 
「毎度、有り難う存じまする。ついでにこんなものもいかがにござりましょう?」
 
 貸本屋の文次はり気なく春画を勧める。
 
「まあ、こんなもの」
「あれまあ」
 
 お葉とおクキは揃ってたもとで顔を覆って恥じらいの仕草をした。
 
「いやいや、奥様、決して、いかがわしいものとしてではなく、こういうものをお武家ではお姫様ひいさまのお嫁入り前の心得にと買うて渡されるんでござりますよ。今や、お武家様ではお嫁入り道具の一つとして常識にござりまする」
 
 文次はパタパタと手を振って、もっともらしく説明した。
 
「まあ、お武家ではお姫様のお嫁入り前の心得に?」
 
 お葉はハッとして、
 
「そういえば、うちのお花もまだまだ幼くて無知でなあ?」
 
 思い出したようにおクキを見やる。
 
「へえ、ほんに。そろそろお花様にもお嫁入り前の心得がご入り用かと存じまする」
 
 おクキは真顔で強く頷く。
 
「けど、まあ、わしが娘の時分にはこんなものは見たことがなかったわなあ」
 
 お葉はチラチラと春画に目をやる。
 
「左様にござりましょう。こういう多色刷りの色鮮やかな錦絵が出来たのはまだほんの十年ほど前のことでござりまするゆえ」
 
 文次は十二種類の春画を紙挟みから取り出す。
 
「ま、まあ、ここで並べて選ぶのも体裁悪うて何だから、一通り戴いておきましょう。この紙挟みもついでに戴けましょうかえ?」
 
 お葉はポンと全種類の春画を買った。
 
「へえ、勿論。有り難う存じまする」
 
 文次はホクホク顔で全種類十二枚の春画を紙挟みに入れて渡した。
 
「では、そろそろ――」
 
 文次は書物の木箱を紺色の大風呂敷に包む。
 
 桔梗屋では奥様の他にも番頭、手代、若衆、熟練の菓子職人とみな本を借りるので二日置きに来ては長々と居座っていた。
 
 今日も雨が降り出す前に来て、一時いっとき(約二時間)ほど過ごし、帰る時分にはもう雨はやんできた。
 

「なあ?貸本屋さん?」
 
 お花が二階から下りてくる。
 
 本を借りる気になった訳ではない。
 
「なあ?貸本屋さんの住まいは錦庵の錦太郎店きんたろうだなだえ?帰ったらサギに遊びに来るよう言うとくれな」
 
 お花はそれを文次に言いに来ただけだ。
 
「へえ、そのように伝えまする。では、またどうぞご贔屓に」
 
 文次は長四角な風呂敷包みを背負って菅笠すげかさを被ると桔梗屋を後にした。
 
 案の定、通りはドブ鼠色の川のように見える。
 
 着物の裾をはしょって足首まで水溜まりにジャブジャブと浸かりながら歩いていく。
 
 魚河岸が近いせいか、たまに小魚も流れてくる。
 
 雨上がりの日本橋はますます魚臭い風が吹いた。
 
 

「へえ、お花が遊びに来いと言うてたんぢゃ?」
 
 錦庵の裏庭の縁側でサギは貸本屋の文次から言伝ことづてを聞いた。
 
「おうよ。サギ、お前、モテモテぢゃのう?」
 
 文次は脱いだ菅笠を物干し竿に引っ掛ける。
 
「うん。わしゃ、モテモテなんぢゃっ」
 
 サギは得意げに頷く。
 
「あらら、紙挟みに入れんかったら角がへしゃげてしもうた。サギ、これ、やるわ」
 
 文次は書物の木箱を開けて売り物にならなくなった春画を二枚、サギに手渡した。
 
「うわぃ、河童と海女さんの絡みに、天狗と陰間の絡みぢゃっ」
 
 サギは大喜びだ。
 
「おマメぇ?すまんが足を洗う湯を持ってきとくれ」
 
 文次は錦庵の縁側に腰を下ろして汚れた草鞋わらじを脱ぐ。
 
「うへぇ、ドロドロぢゃな」
 
 サギは文次の泥草鞋を覗き込んだ。
 
 裏長屋のハトとシメの住まう一軒に赤ん坊の雉丸の子守りでおマメがいる。
 
 デケデン。
 デケデン。
 
 雉丸はノリノリででんでん太鼓を振っている。
 
「わっちゃ子守りだけだ。キジ坊の世話より他は知らんっ」
 
 おマメはプイとそっぽを向く。
 
 やはり、江戸の娘だけにおマメも勝ち気である。
 
「可愛げない娘っ子ぢゃ」
 
 文次はドロドロの泥草鞋を裏庭の隅の屑箱にポイと投げ捨てた。
 
「むうん、遊びに行くにも道がジャブジャブぢゃしなあ。わしの草鞋わらじはまだ新しいんぢゃ」
 
 サギは物干し竿を見上げた。
 
「あ?サギ、今、竹馬で行けばええと思うたぢゃろ?いかんぞ。物干し竿を竹馬にするのは」
 
 文次が先廻りして注意する。
 
「なんぢゃ、文次は目ざといのう。そいぢゃ、竹馬はやらんから肩車して桔梗屋まで送っとくれ」
 
 サギはピョンと文次の肩に飛び乗った。
 
「ぢゃあ、ついでに番小屋で新しい草鞋を買うてくるかのう」
 
 文次は縁側から腰を上げてサギを軽々と肩車した。
 
 毎日、背負っている書物の木箱はサギよりも重たいので屁でもない。
 
「ほぉれ」
 
 文次は肩車したサギの両足首を掴んでグルグルと廻る。
 
「うひゃひゃひゃ」
 
 サギは逆さまにぶら下がって大笑いした。
 
 デケデン。
 デケデン。
 
 雉丸はまたノリノリででんでん太鼓を振っている。
 
「……」
 
 おマメは裏長屋の座敷から文次とサギの楽しげな様子を睨むようにして見ている。
 
「おマメぇ、わしゃ、桔梗屋へ遊びに行ったと言うといてくれ」
 
 サギは文次の背中に逆さまのまま裏木戸から出ていった。
 
 

「でな、文次の肩車で来たから道がジャブジャブでも草鞋わらじは濡れんかったんぢゃ」
 
 サギはお花の部屋でオヤツを食べながら言った。
 
「肩車で?イヤだ。サギときたら十五にもなって年頃の娘の自覚が足らんわな」
 
 お花は呆れ顔する。
 
「年頃の娘の自覚?むん?そんな自覚があったらビックリぢゃ」
 
 サギはクロモジをくわえてハテナと天井を睨んだ。
 
「あれ?サギ、いつもみたいにオヤツが進まんわな?とうとうサギもカスティラの耳に飽きたかえ?」
 
 お花がオヤツの皿を見やる。
 
 いつもならサギは五つはペロリなのにまだ一つしか食べていない。
 
 今日もカスティラの耳に餡を挟んだものだ。
 
「ううん。さっき卵焼きをしこたま食うてしもたんぢゃ。雨がザンザンで昼時に客が来んかったから児雷也と坊主頭に卵焼きを出して、駕籠かきにも卵焼きを折り詰めで持たして、そいでも、わしゃ五人前は食うたんぢゃっ」
 
 サギはペラペラとしゃべった。
 
「――んっ?なに?今、何てっ?」
 
 お花は児雷也という名にピクリと耳を立てる。
 
「ぢゃから、卵焼きを五人前も食うたんでオヤツが入るまでもうちょい――」
 
「そうぢゃないわなっ。何で児雷也に卵焼きを出したんだわなっ?」
 
 お花は飛び付いてサギの襟元を掴んでグイグイと揺さぶる。
 
「うわわわわ、児雷也が錦庵に来とったんぢゃああああ――」
 
 サギは揺さぶられて声も揺れる。
 
「児雷也が錦庵にっ?」
 
 お花はパッと立ち上がって廊下へ走り出ようとした。
 
「もう帰ったんぢゃっ。雨がやんで駕籠かきが駕籠屋へ新しい駕籠を呼びに戻って、駕籠が来たんで乗って帰ったんぢゃっ」
 
 サギが慌ててお花の浴衣の袂の端っこを掴んで引き止める。
 
「な、何で児雷也が錦庵におるうちにあたしを呼んでくれんっ?雨が降ろうが槍が降ろうが水溜まりを泳いでだって行ったのにいっ」
 
 お花はまたサギの襟元を掴んで揺さぶる。
 
 しかも、さっきよりも揺さぶり方が乱暴になっている。
 
 お花もなかなか年頃の娘の自覚が足らぬのだ。
 
「うわわわわわわ――」
 
 サギは揺さぶられて言葉も出せない。
 
 何で呼んでくれんと言われても児雷也が来ていた時にはお花のことなどチラッとも思い出さなかったのだから仕方ない。
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