55 / 325
因縁の刺繍
しおりを挟む「どうぞ」
人心地が付いたところでハトがお茶と菓子代わりに卵焼きを出す。
「重ね重ねのご厚意、傷み入りまする」
児雷也は無表情ながら丁寧に会釈した。
「とんだ災難にござりましたのう」
ハトが暢気そうにお茶を啜る。
「先ほどは浮世小路の料理茶屋へ向かう途中でござりました。おそらく物取りにござりましょう」
児雷也はさして気に留めぬ様子だ。
「――あ、あの、わし、わし、ほれ――」
サギは柄にもなくドキマギと上擦って自分の鼻の頭を幾度も指差した。
児雷也に自分のことを覚えているかと訊ねたいのだ。
「ああ、鬼武一座の浅草奥山での初日においで遊ばしたお客様でござりましょう。此方様が小屋へお入りになって一番に掏摸に懐の財布を抜かれたのでござりまする」
児雷也は淀みなく答える。
実はあの日からサギのことがずっと気になっていた。
「えっ?わしが一番に掏摸に財布を抜かれたのかっ」
サギは決まり悪い。
初めての江戸の町に大はしゃぎして田舎者丸出しで真っ先に掏摸に目を付けられていたようだ。
「児雷也殿は舞台袖から見物席をご覧になって掏摸が財布を抜くのにまで気付かれたのでござりまするか?」
我蛇丸も柄にもなく緊張気味に訊ねる。
「ええ、投剣という商売柄、目は人並み以上に良うござりまするゆえ。ただ、いつもなら小屋で掏摸など見掛けても構わず捨て置きまするが、あの日は抜かれた財布に気になるものがござりまして――」
児雷也の切れ長の涼しい目がサギを見た。
「あの紫地に刺繍のある財布、今一度、見せて戴いてもよろしゅうござりましょうか?」
児雷也の人形のような無表情がやや思い入れのある表情に変わる。
「うん。そんなにわしの財布が気に入ったのか?けど、どこにも売っとらんのぢゃ。母様のお手製ぢゃからなっ」
サギは自慢げに懐から財布を取り出して児雷也に手渡した。
紫地に白鷺と秋の七草の刺繍があるお鶴の方のお手製のこの世に二つとない財布である。
「お手製――」
児雷也はサギの財布の刺繍をじっくりと眺めた。
「おっ?その財布はお前の守り袋とソックリだ」
坊主頭の大男が驚いた顔で財布を覗き込んだ。
「守り袋?」
我蛇丸が児雷也へ問う。
「ええ、これにござりまする」
児雷也が懐から守り袋を取り出して畳へ置く。
紫地に鳶と春の七草が刺繍してある守り袋である。
「あっ、ホントにソックリぢゃっ」
サギは財布と守り袋を並べて置いた。
お鶴の方はたとえ記憶は失っていても刺繍の図案を考える趣向は少しも変わってはいなかったのだ。
「ああ、鳶の刺繍ぢゃ」
我蛇丸が感慨深げに呟いた。
「え?何故、その鳥が鳶と分かるのでござりまするか?わしはてっきり雀かとばかり――」
児雷也は怪訝そうに我蛇丸を見やる。
「そ、それは――」
我蛇丸は言葉を濁す。
我蛇丸は児雷也の素性に予め見当が付いていた。
富羅鳥と蟒蛇の忍びの者が全国各地を行脚し、その行方を突き止めていたからだ。
そして、鬼武一座が江戸へ興行にやってくると知り、サギも江戸へ呼んだのである。
「その話はいずれ改めまして――」
我蛇丸は財布と守り袋の刺繍の繋がりを打ち明けることを先延ばしにした。
サギは自分のことをまだ何も知らない。
児雷也は三歳の頃のことも自分の本当の名も覚えておらぬらしい。
二人の母であるお鶴の方は十四年前の記憶を失っている。
ややこしいことに当事者が誰も自身の素性を知らぬのだ。
「……」
我蛇丸はチラッと店のほうへ視線を向けた。
店では駕籠かき二人が休んでいる。
十四年前の富羅鳥城の陰謀の込み入った事情などをゆっくりと語れるような状況ではない。
「ええ、左様ならば、また日を改めまして――」
児雷也も我蛇丸の様子で今ここで語るのは憚られる話なのだと察した。
「近いうちに必ずや――」
我蛇丸はかしこまって頭を下げる。
児雷也とサギに二人の素性を明かすのは、草之介の件が済んで落ち着いてからと思った。
「のう?卵焼き、食わんのか?めっぽう、べらぼうに美味いんぢゃぞっ」
サギは我蛇丸の心情も知らず、卵焼きをモリモリと食べて、児雷也にも勧める。
「いえ、いただきまする」
児雷也は卵焼きを一切れ、口に入れた。
「これは、美味しゅうござりまする」
僅かに唇の両端が上がった気がする。
たぶん、美味しくて笑みを浮かべたのであろう。
「……」
坊主頭の大男も黙々と卵焼きを食べ始めた。
児雷也より先に箸を付けなかったところを見ると、児雷也を呼び捨てにしていたわりに上下関係があるかと思われる。
「上方の人は江戸の甘い味付けの卵焼きは口に合わぬとよう言われまするがのう?」
シメはホッとして新たに焼いた卵焼きを出した。
「ええ、京を拠点としておりますが鬼武一座には上方の者はおりませぬゆえ、わたしはどちらの味付けでも好んで戴きまする」
児雷也はおかわりの卵焼きも食べる。
「児雷也が食えんのは豆だけか?」
サギは何の気なしに訊ねた。
「――豆?」
我蛇丸は気になるように繰り返す。
「うん、そうぢゃ。児雷也は小さい頃に豆で死にかけたことがあるんぢゃ。それで豆が嫌いなんぢゃ」
サギは児雷也が幼い頃に鼻の穴に豆を詰めて死にかけたことがあると勝手に決め付けていた。
「何故、わたしが豆で死にかけたことをご存知で?」
児雷也は驚いてサギを見る。
勿論、児雷也は鼻の穴に豆を詰めた訳はなく、三歳の頃に毒入りの豆菓子で危うく殺されかけたことがあるのだ。
幼い頃のことはほとんど記憶にないのだが豆菓子をやった鳩がコロリと死んでしまった情景はずっと脳裏に焼き付いていた。
「わしゃ、なんでもお見通しなんぢゃっ。これでも、富羅鳥の忍――、あ、いや、しの、四の五の言わず卵焼きぢゃっ」
サギはつい得意げに忍びの者と言いかけて、慌てて卵焼きを頬張って誤魔化した。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる