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因縁の刺繍
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人心地が付いたところでハトがお茶と菓子代わりに卵焼きを出す。
「重ね重ねのご厚意、傷み入りまする」
児雷也は無表情ながら丁寧に会釈した。
「とんだ災難にござりましたのう」
ハトが暢気そうにお茶を啜る。
「先ほどは浮世小路の料理茶屋へ向かう途中でござりました。おそらく物取りにござりましょう」
児雷也はさして気に留めぬ様子だ。
「――あ、あの、わし、わし、ほれ――」
サギは柄にもなくドキマギと上擦って自分の鼻の頭を幾度も指差した。
児雷也に自分のことを覚えているかと訊ねたいのだ。
「ああ、鬼武一座の浅草奥山での初日においで遊ばしたお客様でござりましょう。此方様が小屋へお入りになって一番に掏摸に懐の財布を抜かれたのでござりまする」
児雷也は淀みなく答える。
実はあの日からサギのことがずっと気になっていた。
「えっ?わしが一番に掏摸に財布を抜かれたのかっ」
サギは決まり悪い。
初めての江戸の町に大はしゃぎして田舎者丸出しで真っ先に掏摸に目を付けられていたようだ。
「児雷也殿は舞台袖から見物席をご覧になって掏摸が財布を抜くのにまで気付かれたのでござりまするか?」
我蛇丸も柄にもなく緊張気味に訊ねる。
「ええ、投剣という商売柄、目は人並み以上に良うござりまするゆえ。ただ、いつもなら小屋で掏摸など見掛けても構わず捨て置きまするが、あの日は抜かれた財布に気になるものがござりまして――」
児雷也の切れ長の涼しい目がサギを見た。
「あの紫地に刺繍のある財布、今一度、見せて戴いてもよろしゅうござりましょうか?」
児雷也の人形のような無表情がやや思い入れのある表情に変わる。
「うん。そんなにわしの財布が気に入ったのか?けど、どこにも売っとらんのぢゃ。母様のお手製ぢゃからなっ」
サギは自慢げに懐から財布を取り出して児雷也に手渡した。
紫地に白鷺と秋の七草の刺繍があるお鶴の方のお手製のこの世に二つとない財布である。
「お手製――」
児雷也はサギの財布の刺繍をじっくりと眺めた。
「おっ?その財布はお前の守り袋とソックリだ」
坊主頭の大男が驚いた顔で財布を覗き込んだ。
「守り袋?」
我蛇丸が児雷也へ問う。
「ええ、これにござりまする」
児雷也が懐から守り袋を取り出して畳へ置く。
紫地に鳶と春の七草が刺繍してある守り袋である。
「あっ、ホントにソックリぢゃっ」
サギは財布と守り袋を並べて置いた。
お鶴の方はたとえ記憶は失っていても刺繍の図案を考える趣向は少しも変わってはいなかったのだ。
「ああ、鳶の刺繍ぢゃ」
我蛇丸が感慨深げに呟いた。
「え?何故、その鳥が鳶と分かるのでござりまするか?わしはてっきり雀かとばかり――」
児雷也は怪訝そうに我蛇丸を見やる。
「そ、それは――」
我蛇丸は言葉を濁す。
我蛇丸は児雷也の素性に予め見当が付いていた。
富羅鳥と蟒蛇の忍びの者が全国各地を行脚し、その行方を突き止めていたからだ。
そして、鬼武一座が江戸へ興行にやってくると知り、サギも江戸へ呼んだのである。
「その話はいずれ改めまして――」
我蛇丸は財布と守り袋の刺繍の繋がりを打ち明けることを先延ばしにした。
サギは自分のことをまだ何も知らない。
児雷也は三歳の頃のことも自分の本当の名も覚えておらぬらしい。
二人の母であるお鶴の方は十四年前の記憶を失っている。
ややこしいことに当事者が誰も自身の素性を知らぬのだ。
「……」
我蛇丸はチラッと店のほうへ視線を向けた。
店では駕籠かき二人が休んでいる。
十四年前の富羅鳥城の陰謀の込み入った事情などをゆっくりと語れるような状況ではない。
「ええ、左様ならば、また日を改めまして――」
児雷也も我蛇丸の様子で今ここで語るのは憚られる話なのだと察した。
「近いうちに必ずや――」
我蛇丸はかしこまって頭を下げる。
児雷也とサギに二人の素性を明かすのは、草之介の件が済んで落ち着いてからと思った。
「のう?卵焼き、食わんのか?めっぽう、べらぼうに美味いんぢゃぞっ」
サギは我蛇丸の心情も知らず、卵焼きをモリモリと食べて、児雷也にも勧める。
「いえ、いただきまする」
児雷也は卵焼きを一切れ、口に入れた。
「これは、美味しゅうござりまする」
僅かに唇の両端が上がった気がする。
たぶん、美味しくて笑みを浮かべたのであろう。
「……」
坊主頭の大男も黙々と卵焼きを食べ始めた。
児雷也より先に箸を付けなかったところを見ると、児雷也を呼び捨てにしていたわりに上下関係があるかと思われる。
「上方の人は江戸の甘い味付けの卵焼きは口に合わぬとよう言われまするがのう?」
シメはホッとして新たに焼いた卵焼きを出した。
「ええ、京を拠点としておりますが鬼武一座には上方の者はおりませぬゆえ、わたしはどちらの味付けでも好んで戴きまする」
児雷也はおかわりの卵焼きも食べる。
「児雷也が食えんのは豆だけか?」
サギは何の気なしに訊ねた。
「――豆?」
我蛇丸は気になるように繰り返す。
「うん、そうぢゃ。児雷也は小さい頃に豆で死にかけたことがあるんぢゃ。それで豆が嫌いなんぢゃ」
サギは児雷也が幼い頃に鼻の穴に豆を詰めて死にかけたことがあると勝手に決め付けていた。
「何故、わたしが豆で死にかけたことをご存知で?」
児雷也は驚いてサギを見る。
勿論、児雷也は鼻の穴に豆を詰めた訳はなく、三歳の頃に毒入りの豆菓子で危うく殺されかけたことがあるのだ。
幼い頃のことはほとんど記憶にないのだが豆菓子をやった鳩がコロリと死んでしまった情景はずっと脳裏に焼き付いていた。
「わしゃ、なんでもお見通しなんぢゃっ。これでも、富羅鳥の忍――、あ、いや、しの、四の五の言わず卵焼きぢゃっ」
サギはつい得意げに忍びの者と言いかけて、慌てて卵焼きを頬張って誤魔化した。
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