富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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忍びの猫とお庭番

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 その晩、

「あぁあっ、晩も蕎麦かあ。わしゃ昼も蕎麦ぢゃったんぢゃがなあっ」

 サギは晩ご飯の支度中の調理場を覗き込んで聞こえよがしにほざいた。

「文句を言う奴は食わんでええっ」

 鬼のシメが角を出す。

 シメはよく角を出すが髪を銀杏返しに結っているので角が出ても目立たない。

「サギはここんとこ桔梗屋でご馳走になってばかりで贅沢になっとるんぢゃ」

 ハトが呆れ顔して言うとおり近頃は桔梗屋でカスティラの耳のオカズばかりであった。

 高価な卵と砂糖がたっぷりのベッタリした味に慣れたら晩ご飯に蕎麦だけでは物足りないのだ。

「店を早仕舞いして桔梗屋へ行ったからのう。蕎麦が余っとるんぢゃ」

 我蛇丸は盛り蕎麦のせいろをドドンと重ねる。

「裏長屋のみんなに食うて貰わんとわし等だけでは食べ切れんのう」

 ハトは調理場の水口から裏庭へ出て、裏長屋の一軒一軒に蕎麦を配った。

 八軒長屋であるが小唄のお師匠さんと娘のおマメ、貸本屋の文次しかサギは逢ったことがない。

 他の店子たなこは朝から晩まで外へ出ていて長屋には寝に帰るだけなのだ。


 そこへ、

 ヒュンと塀の向こうから裏庭へ黒い影が飛んできた。

「ニャッ」

 にゃん影だ。

 将軍様にくっ付いて江戸城へ潜伏していた忍びの猫、にゃん影が帰ってきた。

「おう、にゃん影か」

 我蛇丸はにゃん影の後ろに屈んで、緋鹿子ひかのこの首輪をいた。

 筒縫いになっている鹿子の中から細く折り畳んだふみを抜き取る。

「あっ、ふみぢゃ。上様は何ぢゃと?」

 サギは飛び寄って我蛇丸とふみの間に顔を突き出す。

「ん~、なになに、上様は伝書猫を試したいのでにゃん影を送り出すが特に用はないそうぢゃ」

 我蛇丸はふみの半紙をサギに渡した。

「なぁんぢゃ」

 サギは将軍様のふみをしげしげと見る。

 達筆なうえに絵までたしなむ将軍様は端っこににゃん影の似顔絵まで描いてある。

「折り良く、にゃん影が帰ってきたのう」

 我蛇丸はサラサラとふみをしたためて細く折り畳んだ。

 鹿子の筒縫いの中へふみを差し込む。

「にゃん影、帰った早々にすまんが、メシを食うて毛繕いが済んだら上様へふみを届けとくれ」

「ニャッ」

 にゃん影は我蛇丸を見上げて答えた。


「のう?前々から思うとったんぢゃが、にゃん影は人の言葉が通じるのか?」
 
 サギが不思議そうに我蛇丸に訊ねる。
 
「何を今更なことを訊く。言葉が通じんでは忍びの猫にならんぢゃろうが?」
 
 我蛇丸はさも当然というように言って、にゃん影に首輪を結び付けた。
 
「いや、なぁんか、にゃん影は兄様あにさまの言うことしか聞いとらん気がするんぢゃがのう?」
 
 サギは首を傾げる。
 
「にゃん影は賢いから人を選ぶんぢゃ」
 
 シメがにゃん影の前に冷や飯に味噌汁をぶっ掛けてオカカを混ぜたねこまんまを置いた。
 
 猫の皿はお決まりの大きなアワビの貝殻だ。
 
「……」
 
 にゃん影はヒコヒコとねこまんまのニオイを嗅ぐと、
 
 ザッ。
 ザッ。
 
 不服げにねこまんまに前足で砂をかける真似をした。
 
「あっ?小癪こしゃくな。にゃん影め、きっとお城でねこまんまより美味いもん食わせて貰うとるんぢゃなっ」
 
 サギは自分のことを棚に上げて、にゃん影を睨み付ける。
 
 だが、にゃん影はサギに目もくれずパッと身をひるがえして縁側から塀の上へ飛び上がった。
 
 ねこまんまが気に入らぬので将軍様のほうでご飯を食べようというつもりらしい。
 
 にゃん影はヒュンと風が吹き抜けるように素早いので日本橋本石町から江戸城までなどあっという間だ。
 

 そうこうして、
 
「ブッ、ブッ」
 
 サギがしぶしぶと蕎麦を十枚も食べ終え、縁側でスイカをシャクシャクと食べながら種を裏庭へブッブッと吹き飛ばしていると、
 
「ご免下されぇぇ」
 
 裏木戸から誰かが訪ねてきた。
 
 見たところ二十代前半の若侍である。

 背後にお供の者が二人、控えている。
 
「おお、八木やぎ殿。さっそくにかたじけない」
 
 我蛇丸が若侍を座敷へ招き入れた。
 

「江戸城のお庭番の八木明乃丞やぎ めいのじょう殿ぢゃ」
 
 ハトがコソッとサギに教える。
 
「八木のメエさんぢゃなっ」
 
 サギは分かりやすく名を覚えた。
 
「主命にて馳せ参じつかまつりましたぁぁ」
 
 八木は語尾が震えるか細い声で挨拶する。
 
 ボ~ッと締まりのない顔付きの若侍だ。
 
 
 お庭番は将軍様の直属の密偵である。
 
 お庭番という役職のとおり普段は江戸城の庭の番をしている。
 
 八木はにゃん影が届けた我蛇丸のふみを読んだ将軍様から「早急に錦庵へ参れ」と命じられて馳せ参じたのだ。
 
「八木殿、ご足労をお掛け致しましたのう」
 
 シメが八木にも蕎麦を出しながら言ったが、江戸城から日本橋本石町まではご足労というほどの距離ではない。
 
 往復で小半時(約三十分)ほどだ。
 
「いえぇ、して、急な用件とはぁぁ?」
 
 八木が寝惚けたような顔で訊ねる。
 
「これを上様にお渡し願いたい」
 
 我蛇丸はカスティラの桐箱を開いた。
 
 桐箱の中には乳白色の小瓶八本が二列にキッチリ並んでいる。
 
 今日、桔梗屋の客間で話を聞いた後で、お葉に金煙を小瓶に詰めて貰って錦庵へ持ち帰ったのである。
 
 桔梗屋では上得意先へ注文のカスティラと共にこうして密売の金煙も届けていたのだ。
 
「おおぉ、これが例の『アレ』でござるかぁぁ?」
 
 八木はこれでも将軍様の直属の密偵なので『金鳥』についても知っている。
 
「左様にござりまする。これをお毒見係のお三方へ吸わせて下され。たちどころに元へ戻られましょう。やや若返ってしまわれまするが、お三方は三十歳半ばから四十歳半ばと聞き及んでおりますので、ご懸念なきかと存じまする」
 
 我蛇丸は濃紫色の風呂敷にカスティラの桐箱を包んで八木に差し出す。
 
 先日の御側用人おそばようにんの木常どん兵衛との密談で何よりもまず幻薬に当たってしまったお毒見係の三人に金煙を吸わせねばと考えたのである。
 
「おおぉ、これは有り難いぃぃ。上様もさぞやお喜びになられようぅ。しからば、さっそくにぃぃ」
 
 八木は蕎麦を急いで平らげると風呂敷包みを大事に抱えて江戸城へ戻っていった。
 
 
「プッ、プッ、さしものにゃん影もあんな荷物を届けるのは無理ぢゃのう」
 
 サギはスイカの種を吹き飛ばして言った。
 
「小瓶二つくらいならにゃん影にも運べたぢゃろうがのう」
 
 ハトは猫はよく仔猫をくわえて運んでいるので小瓶二つなら運べると思った。
 
「忍びの猫が荷物まで届けた日にゃ、お庭番は仕事を猫に取られようが。ただの庭の草むしりぢゃわ」
 
 シメはカンラカラと笑った。
 
 しかし、にゃん影はヒュンとあっという間に帰ってこられるにも関わらず行ったきり帰りゃしない。
 
 よほど江戸城が気に入ったとみえる。
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