富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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右往左往

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「――あぁ――」
 
 お葉は顔から血の気が引いてフラリと気を失った。
 
「おっ母さん?しっかりっ」
 
 お花がお葉の身体を揺さぶる。
 
「ああっ、揺すってはいかん。安静に。おクキどん、すぐに医者をっ」
 
 シメがすっくと立ち上がる。
 
「へえっ」
 
 おクキはハッとして長い廊下を一目散に走った。
 
 
 店の奥の板間では手代の銀次郎がご進物に添える挨拶状を書いている。
 
 小僧の四人はせっせと金平糖を量っては袋詰めしている。
 
 手代の金太郎と銅三郎に若衆の三人はカスティラを数件の得意先へ届けに出ていていない。
 
「おクキ様?何事かござりましたか?」
 
 銀次郎が走ってくるおクキのただならぬ様子に筆を置いて立ち上がった。
 
「……?」
 
 小僧の四人も何事かと顔を見合わせる。
 
「だ、誰か医者を呼びに行っとくれっ」
 
 おクキはゼイゼイと息を切らす。
 
「へ、へえっ」
 
 一番年長の小僧の一吉が素早く暖簾口を抜けて店から表へ駆け出ていく。
 
「だ、旦那様はっ?」
 
 おクキは暖簾口からキョロキョロと店の中を見廻す。
 
 大店では奥様ですら店には顔を出さぬものなので女中のおクキも店へ入ることはない。
 
「それが、旦那様はどちらへお出掛けやら行き先もおっしゃりませず――」
 
 帳場に座っている番頭が困ったように答える。
 
「あぁ、こんな一大事に旦那様はいったいどちらへ――」
 
 おクキは取り乱して右往左往する。
 
 乳母のおタネは実之介とお枝の手習い所の付き添いで出ている。
 
「あぁ、こんな時に、わしだけで――」
 
 おクキまで混乱して目が廻った。
 
「おクキどん、わし等が力になりますけぇ安心しなせえ。千吉どん、すまんが錦庵へひとっ走りして我蛇丸とハトを呼んできとくれっ」
 
 シメはしゃしゃり出て采配を振った。
 
「へえっ」
 
 小僧の千吉は弾かれたように店から表へ駆け出ていく。
 
「おクキどんは奥様のお床をのべとくれっ」
 
「へえっ」
 
 おクキはバタバタと奥へ戻っていく。
 
「わたしは旦那様を探しに行きつけの料理茶屋を廻って参りますっ」
 
 手代の銀次郎はみずから進んで店を駆け出ていった。
 


「軽い目眩めまいにござりましょうな」
 
 医者の見立てではお葉はまったく心配はなさそうであった。
 
「あぁ、良かった」
 
 お花はホッと胸を撫で下ろす。
 
「もう大丈夫だえ。寝とる場合ではないわな」
 
 お葉は起き上がって気丈にシャンとしてみせた。
 
「お大事に」
 
 店先から出る医者と入れ違いに、
 
「錦庵にござります」
 
 裏木戸から我蛇丸とハトがやってきた。
 
 
 そうして、
 
 桔梗屋の客間にお葉と錦庵の面々が相まみえた。
 
 おもむろに我蛇丸が口を開く。
 
「若旦那様の一件につきましては今し方、シメより聞いてござりまする。奥様、この上は一つ、この蕎麦屋に詳しい事情をお聞かせ願えませぬか?及ばずながらお力になれましょう」
 
 我蛇丸のどこかで聞いたような台詞せりふにサギもハトもシメもうんうんと頷く。
 
「お、お前さん方はいったい?」
 
 お葉は不審げに問う。
 
「なに、ただのお節介焼きの蕎麦屋にござりまする」
 
 我蛇丸は悟ったような笑みを見せる。
 
「まあ、ただのお節介焼きとな?そのような方に大事な話を打ち明ける訳には参りませぬわなあ」
 
 お葉は半笑いして拒んだ。
 
「ごもっとも」
 
 我蛇丸は苦笑いして頷く。
 
 やはり、黄門様の真似など若輩者の我蛇丸には二、三百年も早かった。
 
「致し方ない。わし等はただの蕎麦屋ではござりませぬ。実は、かくかくしかじか――」
 
 我蛇丸が富羅鳥の忍びの正体を明かした。
 

「まあ、なんと、それでは将軍様より直々の密偵っ?」
 
 お葉はビックリとしたものの、
 
「そのような話、にわかには信じられませぬわなあ。何かお前さん方の身分を証明するものは?」
 
 なかなか疑り深い。
 
「えっ?ええと?ハト、何かあったかのう?」
 
 我蛇丸はコソッと訊ねる。
 
「ないのう」
 
 ハトは悠然と首を振る。
 
「ほれっ、印籠いんろうぢゃっ」
 
 サギは自分の印籠をお葉の鼻先へ突き出す。
 
「たしかに印籠だわなあ」
 
 お葉はキョトンとして印籠を見る。
 
「たわけっ。その印籠は富羅鳥山の土産物屋で買うた安物ぢゃろうがっ」
 
 シメが突っ込む。
 
「駄目ぢゃあ」
 
 サギはガッカリと印籠をふところへ仕舞った。
 
「のう?いい加減、こんな無駄なやり取りだけで日が暮れてしまうぢゃろうが?」
 
 ハトがイライラと我蛇丸をせっつく。
 
「おう、分かっとる。しからば、れ言はほどほどにして、単刀直入に申し上げましょう」
 
 我蛇丸は打って変わって厳しい顔になると、
 
「奥様、その人攫いめが若旦那様の命と引き換えに要求しておる『金鳥』とは、若返りの金煙の吹き上がる玉手箱にござりまするな?」
 
 ズバリと『金鳥』の秘密をお葉に突き付けた。
 
「おお、そ、それをご存知ならば、やはり、お前さん方はっ?」
 
 お葉はようやく我蛇丸がただのお節介焼きの蕎麦屋ではないことを承知したのであった。
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