富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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無愛想な蕎麦屋

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 あくる日。
 
 草之介の行方はようとして知れず。
 
 町の噂はどんどんと一人歩きした。
 
「桔梗屋の若旦那は浮気して蜂蜜から逃げたらしい」
 
「嫉妬深い蜂蜜に懲りたんだろう」
 
「桔梗屋の若旦那は船頭と一緒におるようだ」
 
「若旦那は女に懲りて船頭と浮気したらしい」
 
「若旦那は船頭と駆け落ちしたそうだ」
 
 人の口から口へと伝わるうちにどんどんと話がズレていった。
 
 
 朝四つ半。(午前十一時頃)
 
「まいどありぃ」
 
 甘酒売りの小父おじさんからサギは甘酒を五合(一升瓶の半分)も買った。
 
 小梅は甘酒の酒徳利は桔梗屋へ忘れたが、甘酒売りに錦庵へ寄るように伝えることは忘れなかったのだ。
 
「ん~、甘酒、美味いのう」
 
 サギは丼鉢で甘酒をグビグビと飲む。
 

「ご免よ」
 
 店を開けてまもなく、芸妓げいしゃの松千代と半玉の小梅が連れ立ってやってきた。
 
「あ、マッチョ姐さんと小梅ぢゃっ」
 
 サギは調理場から店へ顔を出した。
 
「ああ、サギ。今日は蕎麦を食べに来たんさ。昨日、ご馳走になった蕎麦の美味さが忘れらんなくてさ」
 
 小梅は調理場の我蛇丸とハトに艶っぽく会釈して、小上がりの座敷へ座った。
 
「いらっしゃい」
「いらっしゃい~」
 
 我蛇丸は無愛想だが、ハトはデレデレして鼻の下を伸ばす。
 
「さっき、マッチョ姐さんって言ったかえ?松千代だからね。ま・つ・ち・よ」
 
 松千代はにらめっこのようにしかめた顔を突き出しサギに注意した。
 
 いくら下帯姿の筋肉男が好きだからといってもマッチョ姐さんではない。
 
 松千代は美人という訳ではなく剽軽ひょうきんで座持ちする芸妓のようだ。
 

「小梅はさ、美味いもん食うと飽きっまでそればっかし食うんだよねえ」
 
「ふふん、蕎麦は飽きやしないさ」
 
 二人はおしゃべりしながらスルスルと蕎麦を啜る。
 
「草さん、まだ音沙汰なしだってね?あたしゃ、ちいとばかし責任感じてんだよねえ」
 
「あぁ、若旦那の浮気、蜂蜜姐さんにバラしちまったの松千代姐さんだもんね」
 
「それなんだけどさ、あたしの勘違いだったんだよ。その浮気したと思った芸妓の相手って惣太郎って名でね、『惣さんと待合いにしけこんで、しっぽり濡れた』なんて言うの小耳に挟んだもんだから草さんと間違えちまったんだよ」
 
「ええっ?そのこと、蜂蜜姐さんに話したかえ?」
 
「言えやしないよぉ。蜂蜜っちゃん、怖いんだもん。蹴り殺されっちまう」
 
「あぁあ」
 
 どうやら松千代の話では草之介の浮気は濡れ衣だったらしい。
 

「ふうん」
 
 サギは舟遊びの晩に見た草之介と蜂蜜を思い出した。
 
 屋根船に乗り込む時のイチャイチャした様子はどう見ても相惚れの二人であった。
 
「あ、そうそう、サギ?あたし、昨日、甘酒の徳利、忘れてなかったかえ?」
 
 小梅が訊ねる。
 
「ああ、それなら、桔梗――」

 サギが桔梗屋と言い掛けると、
 
「あっ、思い出したっ。そうそうっ」
 
 小梅は慌てて大声で遮る。
 
「うへぇ」
 
 小梅は『シマッタ』とばかりに顔を歪めたが、
 
「ま、いいやね」
 
 すぐにケロッとして蕎麦を啜った。
 
「――?」
 
 サギは何のことやらと首を傾げる。
 

「卵焼き、お待ち」
 
 我蛇丸が卵焼きの皿を運んできた。
 
 ハトはシメの嫉妬で運ばせて貰えなかったし、シメは自分が運ぶのもイヤなのである。
 
「――あ、ねえ?我蛇丸さん?」
 
 小梅が戻り掛けた我蛇丸を呼び止める。
 
「あたしの幼馴染みで芳町に大黒屋の久弥って陰間がいるんだけど、我蛇丸さんに是非、店へ来て欲しいって言うんで、いっぺん顔を出してやって下さりましな」
 
 小梅はニッコリして我蛇丸を見上げた。
 
 男をメロメロにする悩殺の笑みであるが、まったく我蛇丸には効き目がない。
 
「気が向きましたら」
 
 我蛇丸は素っ気なく答えて調理場へ戻った。
 
 こんな態度で客商売としてどうかと思うであろうが大丈夫。
 
 江戸の商人は愛想がないのが当たり前だからである。
 
 客にお愛想を言うのは江戸店えどだなの上方の商人で、江戸の商人は『客を客とも思わない』『売ってやる』という態度ですこぶる感じが悪いのだ。
 
 江戸時代から続く老舗の蕎麦屋が二百年を経ても、尚、無愛想で態度が悪いのは伝統を守っているからであろう。
 
 
 そこへ、
 
「お頼う申しぁす」
 
 桔梗屋の小僧の千吉が蕎麦の出前を頼みにやってきた。
 
「盛り蕎麦を五十枚、願いますぅ」
 
 千吉はいつもどおりに頼んだ。
 
 桔梗屋は三日にあげず盛り蕎麦の出前を頼むが枚数は決まって出前の上限の五十枚であった。
 
「おや?千吉どん、若旦那がおらんのにいつもどおりでええんかえ?」
 
 シメが念のため確かめる。
 
「へえ、奥様が数を減らすのはげんが悪いのでいつもどおりにと。若旦那様の分の蕎麦は陰膳かげぜんに据えるそうにござりぁす」
 
 千吉は間違いなく五十枚だと頷く。
 
「蕎麦を陰膳?」
 
 我蛇丸は露骨にイヤそうな顔をして暖簾口から出てきた。
 
「陰膳にして置いたら蕎麦が乾いて不味うなってしまうだろうが?すぐに食うて貰わんと困るのう」
 
 静かな口調ながら低い声に凄みがあるので千吉はビビった。
 
「へ、へえ、奥様にそのようにお伝え申し上げますぅ」
 
 千吉はペコリとして逃げるように戸口を出ていく。
 
「あっ、千吉どん、わしも行くっ。そいぢゃ、小梅、マッチョ、いや、マツ、チョ、マッツチョ」
 
 サギはどうしても『松千代姐さん』がスラスラと口から出ない。
 
「えい、面倒ぢゃ。小梅、マッチョ姐さん、またなっ。わしゃ、桔梗屋で遊んでくるっ」
 
 サギは千吉を追って戸口を出ていった。
 

「はぁ、騒々しい子だね。それよか、ねえ?我蛇丸さんって、よう見ると細いがガッチリして、あたし好みだえ」
 
 松千代はニマニマとして小梅に囁いた。
 
 さっきから松千代は我蛇丸を頭のてっぺんから足の先まで舐めるように見ていたのだ。
 
「またぁ?松千代姐さん、惚れっぽいんだからぁ。まっ、そいで蕎麦を食べに通うってんなら喜んで付き合うけどさ」
 
 小梅はちゃっかりと言って、あんぐりと卵焼きにかぶり付いた。
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